第17話 額縁

 僅かに隙間のあいた扉があれば、気になるのが人の性。

 少女の齢は十三歳。場所は少し前に話題になった温室。

 ──気にならない、わけがない。

 納屋へと向かう途中だった足を、温室へと進路を変える。止める生首も吸血鬼もここにはいない。あっという間に、手を伸ばせば扉に触れられる距離に達する。自分の家のものだからと、何の疑いもなく腕を持ち上げ──勝手に扉が開いた。

 少女の瞳は黒いまま、魔法は使っていないことの証。

 それなら何故、扉が開いたのかと言えば、という以外に答えはない。


「……貴殿は?」


 見たこともない青年が出てきた。

 長い金髪と赤い双眸が目を惹く、貴族風の出で立ちをした外国の青年。

 赤い月夜が輝く夜、来客の予定は聞いてない。


「貴方こそ、誰?」


 淡々と問いながら、少女は静かに袖先を握り締める。

 羽織ったカーディガンにも寝間着にも、吸血鬼や生首からもらった涙は一粒も入っていない。どうせ納屋に行くのだからと、涙を口に含んでこなかった。

 華奢な少女にはもしもの時、抵抗の術はない。


「私はタンザナイト・ヴィリアーズ。愚かな友人を迎えに来た」

「友人? シャムロックか、アスターのこと?」


 青年の容姿とヴィリアーズという姓から吸血鬼と察し、そう少女は問い掛けてみたが、青年は首を傾げるだけだった。


「その名前に心当たりはない。友人は回収済みだ」

「カエデの家に、シャムロックとアスター以外の吸血鬼がいたの?」

「……貴殿は、この家の者なのか」


 よく見れば、青年は腕に何かを抱えている。赤い、という以外に何を持っているのか把握できないが、そのサイズ感はどこか見慣れたものを想起させる。

 たとえば──。

 そこまで考えていた所で、少女は腕を掴まれる。力が徐々に強くなっていき、思わず目を細めた。下手人は、考えるまでもなく目の前の青年。痛みに喘ぎながら視線を向ければ、端正な顔を仄かに怒りに染めていた。


「貴殿がナイトフォールをこんな姿にしたのか」

「だっ、だれ? しらなっ、かえで、しらな」

「とぼけるな! 貴殿ら魔法使いは、吸血鬼を単なる素材程度にしか思っていない外道! だからこんな真似ができるんだ!」


 腕を強く引かれ、抜ける、と瞼を閉じる。──膝から衝撃が伝わる。

 自分が地面に膝を着いたと思った次の瞬間には、背中を蹴り飛ばされ、思わず前のめりに倒れてしまった。


「この娘が! 貴殿らを生首にした!」

「……え」


 貴殿ら、とは。

 生首、とは。

 身に覚えのない罪を頭から被り、ゆっくりと瞼を開ければ──目に入ったのは、首のない胴体だった。

 一体だけではないようで、両手では数えられそうにない。鼻を押さえたくなるほどの悪臭で満ちていたが、突然のことに驚いて、少女はまともに動けなかった。


「貴殿の罪と向き合え」


 その言葉を最後に、青年のものと分かる足音が遠ざかっていく。

 罪。自身の罪。

 思い当たるのは、生首や吸血鬼に対してのもの。

 変わってしまった母を止められずに生首を生首にし、吸血鬼に傷付いたような笑みを浮かべさせていること。

 魔法で何でもできるくせに、解決に動かない少女。

 罪と向き合えと言うなら、それをどうにかするべきなのか。まだ、求められていないのに。

 ──そんなことを勝手にして、一緒にいるのを嫌がられるようになって出ていかれたら、どうしたらいいんだろう。

 無意識に思い浮かんだことに、少女は息を飲む。

 自身は、そんなことを、いつの間に。


 ──いつもの裏切り者ではない。

 ──小さく軽い者だ。


 どこからか声がする。

 首のない胴体達から目を逸らし、声の出所を探す。


 ──この臭いは人間か。

 ──血の臭いがする。

 ──先ほどの裏切り者、何と言った?

 ──我々を生首にした者と。


 少女はゆっくりと身体を起こして立ち上がると、一歩、一歩と、一歩ずつ、声のする方へ近寄った。

 別の所から足音がしたが、そちらは気にならなかった。


 ──魔法使い。

 ──化け物め。

 ──よくも我々から胴体を奪ったな。


「……」


 少女はしかと目に焼き付ける。──鉢植えの中の生首を。

 黒髪赤目の生首は、見慣れた生首と違い全体的に生気がなく、なのにその赤い目だけは、殺意に輝いていた。


「こいつだ」

「……っ」


 生首の口が動き、少女は一歩後ずさる。掠れた声には憎悪がよく混ざっている。


「その顔を忘れない。お前が我らの首を落とした。カズキを作ると、意味の分からないことを」

「カズキ」


 父の名前に、思わず少女はアーモンド型の目を見開いた。

 扉の鈍い開閉音が耳に届くが、視線は生首に釘付けだ。


 ──そうだ、お前は夫に逃げられて、

 ──夫を取り戻したくて、

 ──我々を素材に夫を造ろうとした。

 ──所詮は吸血鬼。

 ──胴体なんていらないだろうと。


「……っ」

「カエデ! 何故ここに!」


 焦った声と共に肩を掴まれ揺らされる。だが少女の意識はそちらに向かない。


 ──我々は素材ではない。

 ──我々に胴体を返せ。

 ──お前の夫は帰ってこない。


「カエデ、戻りましょう、カエデ!」


 ──カエデ、それがお前の名前か。

 ──カエデ、卑しい女。

 ──待て、いつもの裏切り者の声。

 ──違う、カエデじゃない。

 ──そうだ、カエデはあの女じゃない。

 ──あの女はとっくに、


「黙りなさい!」


 ──とっくに殺されているじゃないか、その裏切り者に。


「……っ!」


 膝から崩れ落ちてしまった少女。響き渡る生首の哄笑。

 ずっと少女の背後から呼び掛けていた裏切り者──吸血鬼は一言、すみませんと謝罪を口にし、少女を抱き抱えて外に出る。


「カエデ、今のは、その」

「……あすたあ」


 掠れた声で吸血鬼の名前を口にすると、少女は潤んだ瞳で吸血鬼の顔を見ようとし、胸元をぐしゃりと掴む。


「いまの、ほんと?」

「……」

「おかあ、さま、なまくび、たくさん、しゃむ、いがい……あすたあが、とめた」

「私は……考えなしに動いただけです。ただ、怒りのままに……私は……っ。本来、貴方に顔向けできない立場で」

「あす、たー」


 大きな額縁に入れられた家族写真。

 笑顔で父と腕を組む母、そんな母に頭を傾ける真顔の父、二人の間に座る無表情の少女。

 父がいなくなり、地下牢に閉じ込められるまでの間、母は常にその額縁を抱き締め、時に殴り付け、何度も口付けをしていた。

 母がいなくなった、否、母亡き今、あの額縁の家族写真はどうなったのだろう。

 ──何故か、粉々に砕けた映像が、何度も脳内で流れていた。


「……っ」

「カエデ、無理に話さないでください」

「……アスター」


 深呼吸をして、いつもの調子が少し戻ったのか、少女は慎重に吸血鬼に向けて言葉を紡ぐ。


「カエデは、カエデの罪を償いたい」

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