第6話 眠り

 少女の為に用意された寝室のカーテンは全て閉められ、隙間から時折、陽光が入り込んでくる。外では未だ日が昇っているからか、照明の落とされたその場所はほんのり明るい。


「すっかり昼夜逆転してしまいましたね」


 少し高めの男の声が申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。少し待つと、いかにも眠たそうな少女の声が、気にしないでと返事をした。

 壁際に寄せて設置された寝台は、華奢な少女があと二人寝転んでも窮屈に感じない大きさであり、横たわる少女の左側に生首が置かれ、右側に吸血鬼が椅子に腰掛けて少女を見守っていた。

 セーラー服を脱いだ少女は、縛っていた黒い髪を下ろし、赤く柔らかそうな素材のワンピースに袖を通している。


「アスター、も、寝たら?」

「私はやることがありますので、もう少し起きています」


 長い黒髪は一つに束ねられ、服装もシャツにスキニーパンツのまま。その状態で眠りにつけば、目覚めた時にはシワになり跡がついているはず。一応、少女は父のパジャマを吸血鬼に渡しているが、それを着た所は一度も見たことがない。

 少女から、眠さだけではない理由で細まっていく目を向けられて、吸血鬼は苦笑いを浮かべながら、生首に話し掛けた。


「シャムロック様はお休みしてくださいね」

「眠った後でやればいいだろうに」

「……カエデの、横」

「お気持ちだけ受け取ります。カエデ、無闇に男を寝台に招くのは、もう少し大人になってからになさい」

「どんなアドバイスだ」

「年長者として当たり前の助言ですよ、シャムロック様」

「それならオレはどうなんだ?」

「……難しい質問ですね」


 主従の会話に挟まれている間に、少女の瞼はゆっくりと閉じていき、やがて寝息が聴こえてくる。

 先に気付いたのは吸血鬼。少女の眠りを妨げないよう気を付けながら、布団を首元まで掛けてやり、静かに立ち上がった。


「本当に休まないのか?」

「……えぇ、やることがありますから」

「それって何だ?」


 背を向けようとしていた吸血鬼の動きが止まる。急な静止に、束ねられた黒髪が微かに揺れた。


「オレにも言えないことか」

「……」


 赤い目を泳がせながら、自然と拳が丸まっていく吸血鬼。それを生首に振り下ろすつもりは毛頭ない。無意識の癖なのだ。


「……シャムロック、様」

「言いたくないなら別にいい。きちんと戻ってこい。お前がいなければ、誰がオレを運ぶんだ」

「カエデが、いますよ」


 力ない返事に、生首は鼻を鳴らす。


「カエデが死ねばオレも死ぬな」

「シャっ」

「黙れ、失言だった」


 命じられてすぐに、吸血鬼は自身の口を手で押さえ、少女に視線を向ける。起きた様子はない。吸血鬼は安堵から肩を撫で下ろした。


「……食事もろくに取れないオレが、唯一摂取できるのがカエデの血液だ。こんな状態だと、気軽に他の人間の血を試すこともできないな」

「明日外出した時に、もらってきましょうか?」


 吸血鬼は少女の血を吸ったことはない。一緒にどうかと言われたことはあるが、主たる生首の取り分が減ってはいけないと、自分はよそで吸血を済ませていた。


「ウエソノの魔法でこうなっているんだ、ウエソノの血を引く者でないといけない制限を設けているはずだ」

「試すだけでも」

「無駄になる。いや、お前が飲めばいいな。鮮度が落ちてもいいなら、持ってこい」

「……いっそ、私の血でも」

「……お前の血か」


 どこか眠そうに自分を見上げる生首を、吸血鬼は真摯に見つめ返す。

 別にそれでも良かった。

 吸血鬼同士の吸血行為は可能だ。人間や他の動物と同じく、美味しく飲むことも、不味くて飲めないこともあるだろう。

 なんなら、生首と吸血鬼の出会いは、干からびる寸前で行き倒れていた、胴体があった頃の生首に、人間だった吸血鬼が血を与えたことにある。

 吸血鬼が吸血鬼になってから数度、生首は吸血鬼の血を吸っていた。味は心なしか、人間の頃より美味なものに変わっているらしい。

 返事を待てなかった吸血鬼は袖を捲りだしたが、今はいいと生首は止める。


「寝る」

「かしこまりました」


 生首が瞼を閉じたのを見て、吸血鬼は彼らに背を向け、音を立てぬよう気にしながら、寝室から出ていった。

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