4-10 届きましたか?

 ただ意表を突かれたのではない。


 大砲じみた低音の咆哮ほうこう。それがすぐそばを突き抜けたとき、赤緒の脳裏に電流が走って手足の先まで届いた。テンポが乱れ、音をはずしかける。


(なんッ……!?)


 立て直し、ピアノに指示してCメロのインストに戻る。咆哮の根本を見おろそうとして、妖しげな黒い光が下から来ているのに気がついた。


「なんだ、そりゃ?」


 ほとばしるような暗雲。紫紺の稲妻を飼う闇のようなかたまりが、それを乗せた氷柱ステージと共にせりあがってくる。

 鳥肌を立て思わずにやけた赤緒の目に、さらに雷雲から湧きだす黒い〝手〟が映る。


 巨大な鋼鉄の平手だった。ひとつでなく、ふたつ。左右。なにかを受け止めるように広げた一対の五指と手のひら――そのあいだに、さらに〝手〟がある。


 刃の集まりのようだった群青の甲手こてが、沸騰ふっとうしたように膨張していた。鋭利で繊細だった指部はつぶれた砲弾の数珠つなぎのようになり、腕部はより分厚く豪快なせいの板金を重ねた姿に変化する。色は暗くにごり、毒々しい濃紫こむらさきに。


 そのよどんだふたつの鉄塊は、あざやかな紫色の道具を抱いていた。ひょうたん型のボディに二本ヅノダブルカット。ハムバッカータイプなのも黒縁黄色サンバーストボディだったときと同じだが、より鋭角的なデザイン。


 見る前から、赤緒は知っていた。

 たとえ違っても、知っていた。

 あそこに弦は、七つある。


「うぉぉ!? マジかよッ、サクちゃん……!?」


 向こうで白いマスコットが騒いでいる。


自力の再変身登録セルフ・リコーディング!?」と、背後で緑のマスコットも。「初めて見た……」


 巨腕に変形した鎧甲手ガントレットのあいだで、黒いポニーテールがゆれている。

 ゆれて、ねじれて、ひらめく紫の螺旋らせんを描く。


 背中のあいたハイネックの衣装は、切り刻まれたようなより好戦的なデザインに。浮き雲のようだったスカートはちぎれ飛び、腕と同様に鉄塊化した足鎧あしよろいが両脚に。


 そして、うしろへ流れていた一本ヅノは、前へ突き出す二本ヅノに。


 かすかに紫がかったシールドゴーグルの下から、いだ両目が見あげている。その瞳が帯びたわかりづらい熱を見てとって、赤緒は「へっ」と笑声を吐いた。


「なんだ、そのでかいシャベルは。アイスクリーム用か?」

「よくわかりましたね。アイスクリーム博士でしたか?」

「冷てぇやつに目がなくてな」


 開口一番の皮肉をいなしいなされながら、赤緒は視線をメタリックパープルのエレキギターへとずらす。調弦用の糸巻きマシンヘッドがやはり七つ。ボディの色こそ違うが、糸巻きの配置といい、全体の刃物じみた造形といい、つい数分前に突っ返されて無事を確認した古臭いケースの中身とうりふたつだった。


「ジイさんのやつだな。付け焼き刃ですって言ってるようなもんだろ」

「負けたら大恥ですよ?」

「どこ産だよ、その自信はよ?」

「あなたこそ」


 あがってきたステージは、赤緒の足場より二メートルほど低いところで止まった。雀夜はその位置から赤緒だけをあおぎ見る。


「手を抜くなと言っておきながら、自分はへらへらと出し惜しみ。存外軽いんですね、ホンモノって」

「…………」


 赤緒の顔から熱が消える。おきのように暗い目で見おろしたまま、おだやかに自分のギターを構えなおす。


「ネコかぶってたのはそっちもだろ?」

「では、ここからはお互い」

「飛び道具あり」

「小細工歓迎」


 同意を済ませ、互いに見あう。

 音楽はすでに鳴っている。


「セカンド・コード:『ベオ★ハルコン』――リターン・オン・ステイジ」

「仕切り直しだッ! 遅れんじゃ――」


 爆音。もとい、爆声。


 先ほどと同じ濁った咆哮が、まだコードを押さえたばかりの赤緒の声をかき消した。


 最終ラスサビの導入にその重すぎるコーラスをねじこまれる。赤緒がとっさに原曲どおりのメロディをギターで流しこむと、雀夜の七弦は素直についてきた。不意打ちと拍子抜けを同時に食らって編集アレンジのめどが立たないまま、赤緒は愚直に歌詞をなぞりはじめる。


(リードを獲りに来ない? むしろ押しつけられた? というか……)


 メロディに乗せて、また咆哮。脚をひらき腰を落とした雀夜の口からこもったノイズのかたまりが噴きだし、赤緒の歌声に容赦なくかぶさってくる。吠えるたびより太く、重く。歌声などとはつゆほども言えないひずんだ絶叫。


(こンの脳筋メガネッッッ!! 力任せにがなればデスボイスになると思ってんじゃねえ! どんな教え方したんだ、あのクチバシ野郎はよぉッ!?)


 グロウル、ガテラル、極低音域デスボイス。


 誰の入れ知恵かは考えるまでもない。先週往来で雀夜と連れ立っていた無駄にかっぷくのいいペストマスク。あれが町内会の有志と寄り合ってやっているのは北欧系リスペクトのヘヴィメタル・バンドだ。担当はボーカル。二つ名はスワンレイク。死ね。


 コンビニ前で遭遇したときが、雀夜が店長を頼った最初の日のようだった。であれば、トレーニングは一週間。それでいまの声量を出せていることはめてもいい。だがそれ以外はお粗末もいいところだ。魔法少女でなければ喉がつぶれることだろう。ただし、、わかってやっているのではないかという疑念が赤緒の脳裏をチラついた。


(リードを食わねえように調節もできねえからグダグダだ。自分てめぇの曲なら自分てめぇでなんとかしやがれ――ってか? っざけんな!)

「上等だ」


 マイクに入らないようつぶやき、ギターのコードを変える。

 ピアノのメロディに対して強引に引きあげるような速弾きをしこむ。歌詞を切り、キーをあげ、わずかにピッチを落として喉をひらく。


 眉間まで突き抜けるような超高音ホイッスル


 力強い速弾きの反復リフを続けながら、予定どおりの歌詞を跳ねた声色に乗せかえる。

 まっすぐに疾走するようだった曲調から、鋭く舞いあがるようなムードへ。重力じみた雀夜のコーラスと引き合い、はち切れそうな和音が互いのステージを行き来する。


 もはやどちらがリードとも言えないライブに、天使たちのドームもめちゃくちゃに乱れていた。激しくぶつかり、ヒレのような羽根でたたき合いながら縦横無尽に飛びまわっている。混乱は熱狂を呼び、魔力の泡が嵐のように吹き荒れた。


(目新しさに酔ってるな、天使ども。デスボの魔法少女なんざ聞いたことねえよな)


 気を抜けば声がゆれる高音域。その声量を限界まで引きあげつつ、赤緒は冷静に場を読んでいた。


(おかげでボーカルは五分ごぶ。となればけんはギター次第……だがッ)


 赤緒がホイッスルをためらっているあいだに、雀夜のステージ高度は赤緒に近づいていた。だが、いまはふたたびジリジリと落ちはじめている。ピアノの主旋律はもはや機能していない。雀夜の足を引っ張っているのは雀夜自身ではない。


(ギターじゃ絶対に追いつかれねえ。七弦が付け焼き刃なの差し引いたって、だ。オマエらマスコットは、そう作られて――)

(ボクらはそうだね)

(……!?)


 口から出ているのは歌声だけだったはずなのに、相づちを聞いた。

 思わず対戦相手の得物を注視し、そして目を見ひらく。


 それまで弦に触れないよう、ほとんどつまむようにしてギターを支えているだけだった、岩塊のようにおおざっで巨大すぎるガントレット。その指とも呼べない指先が、指板の上をゆっくりと動いている。


(押さえようとしてる……あの手で!?)


 冗談みたいな話だ。ギターのさおより指が太い。魔法でどうこうできるか以前に、魔法の結果があの特大鎧甲手ヘルズ・ガントレットだ。自分で弾かない魔法少女だから許されるフザケた演出。その演者でいながら、大真面目に弾こうというのか。


(できるわけねぇ……けど、できたら?)


 目線が無意識に数えやすい糸巻きマシンヘッドに行く。


 弦は七本。六弦慣れしているギタリストにとって、増えた一本も、そのために肥大化した棹も無駄で邪魔だ。六弦で百点満点を出せるなら、素直に六弦を持てばいい。


 その一弦を、誰かが代わりに押さえるなら?

 六弦の百点満点の上に、その一弦分が乗るのなら――


「やれ……押さえろ」


 最後のサビの間隙ブレイク、ギターソロ。

 歌詞のない場所でささやいて、その自分に一瞬驚く。

 けれど、ためらいを押し殺し、赤緒はもう一度地声で叫んだ。


「押さえろ、バカ眼鏡ッ!!」


 鉄塊が弦に振れる。


 重くひずんだ音階が流れ出る。


 超高音ホイッスル極低音デスボイス混沌こんとんが力ずくで歌詞をなぞり終え、最後の伴奏プレイ

 およそ五小節足らずのカッティング。二色のディストーションが並走し、ふたつのステージが同じ高さで止まると同時に、ついに無音が訪れる。


 五秒後。


 天使クリオネたちが爆裂した。

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