恋文、代作いたします

中田カナ

恋文、代作いたします


 カランカランカラン


 古書店の扉に取り付けられたベルが鳴る。

「いらっしゃいませ。ごゆっくりどうぞ」

 入ってきたのは若い女性。

 少しおどおどしているところを見ると、本が目当ての客ではないかもしれない。

 そう思いつつ、手元にある本に視線を戻す。


「これ、お願いします」

 やがて女性客はおずおずと花言葉の本を差し出してきた。

 おや、お目が高い。

 これはちょっと傷んでるところもあるけど花の絵が繊細で綺麗なんだよね。

 紙袋に本を入れて会計を済ませる。


「あ、あの、こちらで恋文の代筆をしてくださると噂で聞いたんですけど…」

 やはりそちらの客だったか。

 その緊張した表情から冷やかしの客ではなさそうだ。

「正確には代筆じゃなくて代作なんですけど、それでもよろしければご依頼なさいますか?」

「はい」

 小さいけれど決意のこもった声が返ってきた。

「では少々お待ちください」


 チリンチリン


 レジカウンターにあるベルを鳴らして少し待っていると、奥からオーナーの奥様が毛糸と編み棒が入った籠を持ってやってきた。

「すみません、打ち合わせが必要なお客様がいらっしゃったので店番をお願いしたいんですけど」

「はいはい、わかりましたよ。ああ、そうだわ。2階の休憩室にクッキーを置いといたから、よければお2人で食べてね」

「いつもありがとうございます」

 奥様と席を交代する。

「ではお客様、お2階へどうぞ」


 2階の休憩室にはテーブルと4人分の椅子がある。

「お好きなところにお掛けになってお待ちください」

 女性はキョロキョロしながら椅子に座る。

 壁際にはまだ未整理の本がいくつも積み上がっている。


 お茶とクッキーを出して私も席に着く。

「さて、ご依頼の前にまずは説明させていただきますね」

 うなずく女性。

「先ほども申しましたが、正確には代筆ではなく代作となります。こちらで文面は作成いたしますが、ご自身で清書していただくことになります」

 再びうなずく女性。


「定型の文面はございません。貴女とお相手のことをうかがった上で、その内容を元に作成いたします。同意していただけた場合には、この後で聞き取り調査に少々お時間をいただくことになりますが、よろしいですか?」

「はい。あの、その前に確認しておきたいんですけど、お礼はどうすればよいのでしょうか?」

 うん、それは心配だよね。


「お店で本を買っていただいているのでそれで十分なんですけど、できれば今後に生かすためにも結果をご報告していただければと思います」

「それだけでいいんですか?」

 女性が不思議そうな表情になる。


「はい、もしどうしてもとおっしゃるならお金以外でお願いできればと。これは商売でやっているわけではありませんので」

 そう、これはビジネスではなく、あくまでサービス。

 納得した女性がうなずいた。


「では説明を続けますね。聞き取り調査は私が行いますが、うちには何人かスタッフがおりますので代作をするのは私とは限りません。そのため他のスタッフにもお聞きした内容を知らせることになりますが、それでもよろしいですか?」

「はい」

 再びうなずく女性。


 返事をいただけたところでスッと女性に紙を差し出す。

「こちらの用紙に貴女とお相手の方の情報をご記入いただきたいのですが、できればお名前は何でもいいので仮のものにしておいてください」

「仮の名前、ですか?」

 小首をかしげる女性。

「はい、私が加わる前からそういうお約束なんですよね。清書する際に本当の名前に戻していただければと」


 机の上に小さなベルを置いて立ち上がる。

「私はしばらく店の方におりますので、ご記入が終わりましたらベルでお呼びください。ゆっくりでかまいませんからね。あ、それから書きながらお茶とクッキーもどうぞ。奥様手作りのクッキーはおすすめですよ」

 休憩室の扉は開けたままにして階段を降りて店に戻った。


 チリンチリン


 店内ではたきをかけているとベルの音がした。

 はたきを片付けてから2階へ上がる。

「お待たせしました。書けましたか?」

「あ、はい」


 女性の向かい側に座って書き込まれた紙を受け取る。

 ご本人の名前の欄には花の名前、お相手の方は『カフェの店員さん』と書かれていた。

「あの、実はあの人のお名前を知らないんです」

 うん、よくあることだ。

「別にかまいませんよ。それではこれからお話をうかがいますね」


 女性自身のこと、お相手について知っていること、惹かれたきっかけ…

 そのカフェでは長身で美形の男性店員が人気だそうで、彼目当ての女性客が多いらしい。

 でも、彼女が好きなのはその美形さんではなく、小柄で眼鏡をかけた男性店員とのこと。


「注文したものを持ってきてくれる時、ちょっとはにかんだような笑顔がいいんです」

「人気がある男性店員さんと仲がよくて、お2人で話しているとすごく自然な笑い方で素敵だなって」

「柔らかい声がとっても心地よくて」


 女性は恋心を誰にも打ち明けたことがなかったそうで、最初のうちこそとまどっていたものの、慣れてくると堰を切ったように言葉があふれ出てくる。

 うん、これは書きやすそう。


「ありがとうございました。それでは1週間後にお越しいただけますか?」

「はい!よろしくお願いいたします」

 女性はずっと心に秘めていた想いを解き放ったせいか、さわやかな笑顔で帰っていった。



「これはお前向きの案件だと思うけど、俺も書くからどっちかいい方を出そう」

 今日引き受けた件の情報を夜の店番担当の男性に見せる。

「わかりました」


 私とほぼ入れ違いにやってくる夜の店番担当はオーナー夫妻の甥で、正確にはここの店員ではない。

 この店の3階というか屋根裏部屋に住んでいるのだ。

 昼間は王都の中心部にある高等学院で教鞭をとっていて、経済や経営が専門らしい。

 だから教え子じゃないけど私も『先生』と呼んでいる。

 面白半分に呼んでいたのが定着しちゃったんだよねぇ。


 先生は高等学院での仕事を終えて帰宅し、売り物の本を読むついでに店番もしている。

 そういう事情で給与はないんだけど、

「夜中だろうと好きなだけ本が読めるって最高の環境だろ?」

 うん、それは本当にうらやましい。


 現在は主に先生と私の2人で恋文の代作を引き受けている。

 店の仕事も代作も先生の方が先輩で、いろいろと教わった。

 でも最終確認をするのはオーナー夫妻で、そこで合格が出ないとやりなおしとなる。


「わかりました。それじゃ先生、私はこれで帰りますね」

「おつかれ。あ、お前は今夜もパブの仕事?」

「そうですよ。人手不足で頼まれてやってますけど、まかないも出るから夕食代が浮くので助かるんですよね」

 夜はこの古書店から近いパブで皿洗いをしている。

 そのパブが入っている建物の3階が私の住まいなのだ。


 休憩室を出て階段を降りて店にいたオーナー夫妻に声をかける。

「お先に失礼します」

 夕方の交代の時間帯はいつもオーナーが店に立つ。

 ほぼ毎日のようにやってくる常連客たちと語らうためだ。


「おう、おつかれさま」

 白髪にたっぷりと蓄えた白い髭のオーナーが片手を上げる。

「あ、これ持っていって。たくさん作っちゃったから明日の朝食にでもしてね」

 そのそばにいた奥様がパンが入った紙袋を手渡してくれる。

 ラッキー!

 奥様はパン作りもお上手なのだ。

「いつもありがとうございます!それじゃ帰りますね」

「はい、気をつけてね」



 1階にあるパブでの皿洗いを終えて上の階にある自室へと戻る。

「ただいま~。やれやれ、今日もよく働いたなぁ」

 そう言うけれど、部屋に誰かいるわけではない。

 机の上にオレンジ色のリボンをつけた茶色いくまのぬいぐるみがいるだけだ。


「さてと、忘れないうちに書いておきますかね」

 皿洗いしていた時に浮かんできた代作の文面を書き連ねる。

 無心で作業している時の方がいいアイデアが浮かんできたりするのだ。


「ん~、だいたいこんなもんかな。明日また見直そっと」

 1人暮らしもすっかり板につき、独り言のくせもすっかり身についてしまっている。

 シャワーを浴びて寝巻きに着替え、いつもの独り言をつぶやいて明かりを消した。

「今日も1日がんばった!明日もまたがんばろう!それじゃおやすみ~」




「これ、すごいですっ!そうなんです、こういうことをあの人に伝えたかったんです!」

 1週間後、私が代作した文面を読んだ依頼主の女性が興奮している。

 夜の店番担当である先生も早々に仕上げてきたけれど、オーナー夫妻の判断により私が書いたものに決まった。

 オーナーから細かいところで何ヶ所かダメ出しをくらって修正はしたけれど。


「本当にありがとうございます!」

 彼女は当初自分自身で書こうとしたそうだが、思いが強すぎてどうしても上手くまとまらなかったらしい。

「いいえ、こちらこそ。そしてここから先は貴女次第です。結果の報告、お待ちしておりますね」

「はい!がんばりますっ!」

 そう言って軽い足取りで古書店を出ていった。


 それからしばらく経った頃。

「そういえばこないだのヤツ、結果報告とかあったのか?」

 休憩室で帰り支度をしていたら先生に尋ねられる。

「ああ、今日ありましたよ。どうだったと思います?」

 ちょっと考える先生。

「俺はあの文面は表現もすごくよかったと思うから成功したんじゃないか?」


 ニヤッと笑う私。

「はずれ。お相手の方にはすでにお付き合いしている人がいて、丁寧に謝られて断られたんですって」

「へぇ、そうだったのか」

 あまり表情を表に出さない先生の驚く表情が見られてちょっとうれしい。


「あの件の聞き取り調査の内容、覚えてます?」

「ああ、だいたいのところはな」

 先生が小さくうなずく。

「同じカフェにすごく人気のある長身のかっこいい男性店員がいるってあったでしょ?お付き合いしているのは、その人なんだそうですよ」

「へっ?」

 うん、驚くよね。私も驚いたもの。


「いつか自分達の店を持つために2人で経験を積みつつ資金を貯めているそうで、依頼主の女性も『お似合いの2人だからキッパリあきらめられます!』と笑顔でおっしゃってましたよ」

 先生の表情が少し緩む。

「そうか、彼女にもよい出会いがあるといいな」

「そうですね。あ、そこのお菓子は依頼主からのお礼なので召し上がってくださいね。それじゃお先です」

「ああ、おつかれ」

 ひらひらと手を振って見送られた。




 タンタン タタタン タンタン タタタン


 少し離れた場所から陽気な音楽が流れてくる。

 打楽器の代わりに果物用の木箱を叩く人の隣には南の地方特有の小型の弦楽器をかき鳴らす人。

 そのまわりで楽しげに歌ったり踊ったりしている人達。


 今日は建国祭、この国が出来た記念日だ。

 少し先の大通りはもうすぐパレードが通るので人だかりができているのが見える。

 勤め先の古書店は例年通り今日限定でマルシェに参加しているので、私はこの出張店舗の1日店長さん。

 といっても、出店場所は古書店の目の前なんだけどね。

 このあたりの商店街の取り決めで、建国祭を盛り上げるために何らかの出店をすることになっているそうだ。

 屋根だけのテントの下でいくつかの木箱に本を詰め込んで並べている。

 どうせパレードが終わるまでは人もたいしてこないので、のんびりと読書している。


「よう!暇そうだな」

 本から目を離して見上げると先生が立っていた。

「あれ、先生どうしたんですか?」

 古書店は建国祭のため店舗での営業はお休みだ。

「夕方に友達と会う予定があるんだが、それまで暇なもんでちょっとぶらぶらしてたんだよ」

 そう言いながらテントの下に入ってきて木箱の中の本を物色する。


「お前、パレード見に行かなくていいのか?ちょっとくらいなら店番を代わってやってもいいぞ」

 せっかくの提案だけど首を横に振る。

「別にいいですよ。人混みって苦手なんですよね。王都に初めて出てきた年にうかれてパレードを見に行ったんですけど、あまりの混雑で気持ち悪くなっちゃいまして」

「なんだ、そうなのか」

 彼は売り物の中から1冊の本を手に取り、空いている木箱に座る。


「…ん?初めて出てきた年ってことは、お前って王都の出身じゃないのか?」

「あれ、言ってませんでしたっけ?東部の国境沿いの小さな村で生まれました。昔、東部で大きな災害があったのって覚えてます?」

 少し考えてからうなずく先生。


「ああ、確か大雨が長く続いて洪水とかもあったんだよな」

「そうです。山崩れとかもあったんですけど、それで家族みんな亡くなっちゃいまして。たまたま家を離れていた私だけが生き残りました」

 あの時は2つ上の兄が熱を出し、私は伝染しないようにと父の友人宅に預けられていたのだ。


「…すまない。無遠慮に聞いてしまったな」

 申し訳なさそうにするのでこちらがあわてる。

「もう昔のことですから気にしないでください。当時は向こうの孤児院も満杯状態で、災害支援で来ていた騎士団が引き上げる際に同行して王都の孤児院に入ったんです」

 私を預かってくれていた父の友人が引き取ると言ってくれたけど、どこの家も被害を被っていたから甘えるわけにはいかなかった。


「でもね、悪いことばかりじゃなかったんですよ。向こうにいたらたぶん初等学校で終わってたでしょうけど、国の支援のおかげで中等学校まで通わせてもらえましたからね」

 この国では義務教育は初等学校まで、それより上は任意となる。

 孤児院では希望すれば中等学校へ進学できたのだ。

 今の勤め先である古書店は中等学校時代に通っていて、よく立ち読みしていた私の憩いの場でもあった。

 頻繁に通っているうちにオーナーや奥様と雑談を交わすようになり、卒業と同時に雇ってもらえたのだ。


 ここでパシンと手を叩いて鳴らす。

「はい!私の話はここまで。今度は先生にご自分のことを話してもらいますよ」

 ニヤッと笑う私。


「え、俺のことか?まぁ、知ってのとおり高等学院で経済とかを教えてて、オーナー夫妻の甥なんだが、本当の家族は王都で暮らしてる」

「あれ、そうなんですか?」

 それは初耳だ。


「おふくろが病気で亡くなって、親父が後妻を迎えてからちょっとうまくいかなくなってさ。それで叔父であるオーナーの家に転がり込んだ」

 聞けば少し年の離れたお兄さんが1人いて、お父さんと後妻さんとの間には妹さんがいるとのこと。

 ちなみに親代わりとなったオーナー夫妻に子供はいない。

「言っておくが、別に疎まれたりしてたわけじゃなかったからな。当時はまだ俺もまだガキでさ、気持ちの整理がうまく出来なかったんだ」


 オーナー夫妻の家は古書店のすぐ裏手にある。

 先生も子供の頃はそちらで一緒に住んでいたけれど、高等学院へ通うようになってからは店の屋根裏部屋へ移ったとのこと。

 夜中にこっそり店まで降りてきて本を読みふけったりしたんだとか。

 それ、すごくうらやましいんですけど。


「それなりの年になれば1人になりたいと思う時もあるし、何より売り物とはいえ好きなだけ本が読める暮らしは心地よかったんだよなぁ。お前も本好きならわかるだろ?」

「あ~、それはわかりますね」

 こくこくとうなずいた。



 先生は結局夕方近くまで一緒に店番をしてくれて、いろんな話をした。

 古書店のこと、読んだ本のこと、代作のこと、お互いのこと…

 毎日のように顔を合わせてはいたけれど、思えばこんなにゆっくりと話したことはなかった。

 立場は違えどそれなりに共通点もあったので、話も弾んで楽しかったのだ。


 出張古書店では子供向けの絵本などが意外と売れた。

「ありがとうございました!店舗の方にも子供向けの本がいろいろとありますので、ぜひまたいらしてくださいね」

 通りすがりに立ち寄ってくれる人も多く、見知らぬ人と本談義に花が咲いたりする。

 こういうのも悪くはないなぁ。


「さてと、俺はそろそろ約束の時間が近くなってきたから、あとはよろしくな」

「あ、はい。一緒に店番してくださってありがとうございました!」

 夕方近くになって先生は店じまいまで手伝ってくれた。

 本が詰まった木箱を全部1人で運ばずに済んだのはとてもありがたかった。

 いい人だなぁ。




 建国祭以降、私の生活にいくつか変化があった。

 まず夜のパブでの手伝いが終わった。

 家の都合で店を辞めた人がいて、裏方だけならということで助っ人を引き受けたのだが、新たに調理師見習いの男の子が入ったのだ。

 その子とは面識はなかったけど私と同じ孤児院の出身だそうで、皿洗いや芋の皮むきなどは私と同様に孤児院でもやっていたので即戦力として採用されたとのこと。


「あの子は君と同じ孤児院の出身というのも決め手の1つだったんだよ」

 ひげの店長さんがそう言っていた。

 少しは私の仕事ぶりも認めてもらえたということなのかな?

「先輩、よろしくお願いします!」

 最後の数日間は見習いの男の子と一緒に働いたけど、明るくてやる気もある子だからきっとうまくやっていけるだろう。



「うん、これでいいんじゃないかな。後でオーナーに確認してもらおう」

 それから恋文の代作依頼が増えた…といっても建国祭の後に増えるのは毎年のことなので、これは予想の範囲内。

 お祭りは出会いの機会でもあるのだろう。

 依頼が増えたことでちょっと忙しくなり、先生と話す機会も増えた。

 私の故郷のこと、孤児院のこと、先生が勤める高等学院のこと…

 少しずつお互いを知っていく感じかな。


「え、王都にいるのに植物園も博物館も行ったことがないだと?!」

「はぁ」

 2階の休憩室での雑談時、先生から信じられないようなものを見る目が向けられる。

「どこも国立だから無料だし、休みの日に出かける定番じゃねぇか」

「だって交通費がかかるじゃないですか!それに今までそんな余裕がなかったんですよ」


 孤児院には中等学校卒業までいたけれど、授業が終わると小さい子達の面倒を見たり調理を手伝ったりしていた。

 それに目標があったから良い成績を取るために時間をひねり出して勉強三昧。

 卒業後は今の職に就いて1人暮らしを始めたけれど、生活するのに手一杯で気持ち的に余裕が出来てきたのはわりと最近になってからのことなのだ。


「わかった、俺が連れて行ってやる!」

「へっ?」

 なんで?

「王都にいてあれだけの施設を見ていないのはもったいなさ過ぎる!それに俺はガキの頃からさんざん通ってるからいくらでも解説してやるぞ」

 もしかしてちょっと先生モード入ってる?


「あ、でも、予定が合わないのでは…?」

 私が勤める古書店の定休日は平日。

 先生の勤める高等学院は暦どおり7日に1度の休息日がお休みのはず。

「心配するな。学院はもうすぐ長期休暇に入るから調整もしやすい。オーナー達にも話をつけておくからな」

 先生の中ではすでに決定事項であるらしく、口を挟む間もなく休憩室を出て行ってしまった。




 トントン


 乗合馬車から景色を眺めるのに気を取られていたら軽く肩を叩かれた。

「ほら、そろそろ着くぞ」

「…あ、はい」


 馬車を降りると凝った装飾の門が見える。

「へぇ、ここが植物園ですか」

「ああ、王家が各国から贈られためずらしい植物を鑑賞できるように作ったのが始まりだな。昔は貴族しか入れなかったが、今は一般にも公開されている。植物の他に外国の鳥なんかも見られるぞ」


「うわぁ!」

 門をくぐると色とりどりの花が咲き乱れる庭園が広がる。

「ここは季節ごとに植え替えられていて、来るたびに違う表情を見せるんだ。ああ、そうだ。そこの展望台に上がってみよう」

 言われるまま展望台の階段を登る。


「なるほど、上から見るとこうなってるんですね!」

 さまざまな形の花壇が庭園を構成しているのがわかる。

「この庭園は季節ごとの植え替えだけでなく、3年ごとに大規模な改修が行われる。来るたびにいろんな表情を楽しめるようになっているんだ」

「ああ、だから繰り返し訪れる人達がいるんですね」

 古書店の常連で園芸好きの人はたびたび足を運ぶと言っていたっけ。


 その後は園内を見てまわる。

 図鑑でしか見たことのない花がたくさんあり、先生がここを勧めるのも納得だ。

「おっ、この花が咲いてる!ツイてるな。ほら、香りをかいでみるといい」

「あ、結構甘い香りなんですね」

 図鑑では知ることの出来ない香りまで堪能できる。


「ここが一番の見所の大温室だ」

 ガラス張りの温室に入るともわっとした湿気を感じる。

「じめじめして暑いくらいですね」

「南の国の雨が多い地方の気候を再現しているんだよ」

 どうやって調整しているのかなぁ?


「あれ?先生じゃないですか!」

 温室の奥の方から現れた若い男女6人ほどのグループに声を掛けられた。

「…なんだ、お前らか」

 ちょっと不機嫌そうに答える先生。


「偶然ですねぇ!俺らも遊びに来てて、そろそろ帰るところなんすよ…あれ、もしかしてそちらは先生の」

 ポカッ

 しゃべっていた小柄で元気のいい男の子の頭を隣に立っていた長身で眼鏡の男の子が軽く叩く。

「こら、野暮なことを言うもんじゃない。先生、失礼しました。我々はもう帰りますのでごゆっくりどうぞ」

「…あ、ああ。気をつけてな」

 集団は時々こちらを振り返りながら去っていった。


「騒がしくてすまないな。まさかここで連中と会うとは思わなかった」

 そう言いながら頭をかく先生。

「あの人達、先生の教え子なんですか?」

「男どもはそうだが、女の子達の方は見覚えがないな」

 へぇ、そうなのか。


「へぇ、高等学院の学生さんもしっかり青春してるんですねぇ」

「勉学に支障が出たりしなければ別にかまわないさ。あ、もしかしてああいうのがうらやましいのか?」

 楽しそうに温室から出て行く彼らの後ろ姿に私にはなかった別の道をふと思う。

 先生とは今までいろんなことを話したけれど、ずっと言えずにいたことがある。

 言おうかどうしようか迷ってたけれど、これも何かのきっかけかもしれない。


「…うらやましいとはちょっと違うかな。もしかしたら私も先生の教え子だったかもしれないんですよね」

「え、お前って学院を受験してたのか?」

「受験して合格もしたんですけど、取り消されたんです」

 先生が驚きの表情をこちらに向ける。


「数年前に高等学院の学院長達が交代したのは覚えてますよね?」

「もちろん。さまざまな不正が発覚して上層部がごそっと入れ替わったからな」

 学院だけでなく世間を騒がせた件だから誰でも知っている。


「その学院長交代の前年のことでした。高位貴族のご子息とその従者が急遽学院に入学することになり、平民で孤児院出身の私がはじき出されたんです」

 抵抗しようにも何の後ろ盾もない身では無理だった。

 口止め料を押し付けられ、泣く泣くあきらめたのだ。

「…そういう件があったことは聞いていたが、お前のことだったのか」

 私の話に唖然としている先生。


 関わっていた人達はすでに学院から排除されているし、不正の調査結果は公表済なので今さら黙っておく必要もないだろう。

 報告書には不正入学で被害を被った私の名前も載っているそうだが、他の不正の方が注目されがちだし、私はしょせんは孤児上がりの平民だしね。


「高等学院は国の管轄下にあり、不正調査で私のことも明るみに出ました。国と学院からは正式な謝罪と慰謝料、それと入学を望むならば配慮するとも言われました」

「…入学はしなかったのか?」

「はい。なんだかもう気力がなくなっちゃったんですよね」


 合格と聞いた時は『学院を出て上級文官に!』という将来の目標が現実に近付いてきたと思ったのに、それが突然目の前で閉ざされてしまった。

 ただ縁がなかったと思うしかなかった。

 そしてしぼんでしまった夢はそう簡単には膨らまなかった。


 先生が突然深々と頭を下げた。

「末端とはいえ俺も高等学院に所属する者だ。謝って済むことではないが、学院の一員として詫びたいと思う。本当に申し訳なかった」

 詫びられてこちらがあわててしまう。

「あ、あの、顔を上げてください!別に先生が不正に関わったわけではないんですから」


 ゆっくりと先生が顔を上げた。

「あの頃は俺も教職員の中では一番の下っ端で、正直なところ上層部の入れ替わりなんて自分には関係のないことだと思ってた」

 ため息を1つついてから言葉を続ける先生。

「お前にとっては人生の一大事だったのに、同じ現場にいながら俺には他人事だった。それがなんともなさけなくてな…」

 そんなこと気にしなくてもいいのに。


「それはしかたないと思いますよ。直接関わっていたわけではないですし」

「お前さ、学院で教鞭をとる俺が身近にいることが不快じゃなかったのか?」

 先生の言葉に笑って首を横に振る。

「そりゃ最初のうちはちょっとモヤッとしてましたけど、すぐに割り切っちゃいましたから大丈夫ですよ」

 私は笑っているのに先生はまだなさけない表情をしている。


「それにね、働いているうちにこれからやってみたいことが見つかったんです。だからもう学院にこだわる必要もないかなって」

 驚きの表情に変わる先生。

「…そうか。やってみたいことって何なんだ?」

「それはまだ内緒ってことで。もう少しで具体的なところまで決まりそうなんですよ。目途がついたらそしたら教えますね」



 改めて先生の真正面に立つ。

「先生、一方的に話しちゃって不快な思いをさせましたよね。本当にごめんなさい。ずっと黙っておくことも考えたけど、どこかで先生に知られるよりは自分で話した方がいいかと思って言っちゃいました」

 ペコリと頭を下げた。


「…」

 いつまで経っても先生の声が聞こえてこないので、おそるおそる頭を上げてみる。

「本当にお前ってヤツは…」

 なぜか頭をわしわしと撫でられる。

「せ、先生?!」


「ったく、今日はお前に話したいことがあってここまで連れてきたってのに、今のお前の話で全部吹き飛んじまったじゃねぇか!」

 それはここ最近の雰囲気からなんとなく予想はしてた。


「それじゃ先生、お願いがあります」

「…なんだ?」

「それ、手紙にしてください」

「は?」


「何か言おうと思っていたことが吹き飛んじゃったんでしょ?だったら手紙にすればいいじゃないですか。代作でたくさんの恋を成就させてきた先生なら書けるでしょ?」

 わざと挑発するようにニヤッと笑う。

「代作じゃなくて自分用を書けってことか。わかったよ、俺の本気を見せてやるさ」

「納期はいつもどおり1週間でお願いしますね」

 依頼がよほど重なったりしなければ1週間というのが決まりごとなのだ。


 再び歩きながら不正入学に巻き込まれて押し付けられた口止め料を孤児院に全額寄付した話などをする。

「不正調査で事情聴取に来た文官さんに『今さら返せとか言われても返せませんよ』って言ったら、逆に貴族の家から慰謝料をむしりとってきてくれました」

「へぇ、そんな文官もいるのか」

「文官さんも学院の卒業生だそうで、母校の腐敗が許せなかったらしいですよ」

 そんなことを話しながら先生とめぐる植物園はとても楽しくて、また別の季節にも来てみたいと思った。




 植物園へ行ってからちょうど1週間後。

 仕事を終えて2階の休憩室に上がってきた私を先生が待ち構えていた。

「今回、代作を依頼する人の気持ちがよくわかったよ」

 そう言いながら薄い水色の封筒を差し出した。

「見ず知らずの他人のことなら客観的に考えられるけどさ、自分のこととなると全然ペンが動かなくなるんだよなぁ」

 頭をぽりぽりと掻く先生。


「えっと、ここで開けても読んでもいいんですか?」

「ああ、かまわない。普段は読む側の反応を見る機会なんてないしな」

 封筒を開けて折りたたまれていた便箋を開いてみる。

 書かれていたのはたった1行。


「…ずいぶんと偉そうなことを言っていたわりに短いですね」

 熱くなった顔をごまかすために減らず口を叩いてしまう。

「すまん、伝えたいことを突き詰めたらこうなった」


 便箋を折りたたんで封筒に戻す。

「先生、私の返事も1週間後でいいですか?」

「え?別に今すぐ口頭でも構わないんだが」

「こっちにも事情ってものがありまして。まぁ1週間お待ちください」



 そして1週間後。

「先生、これが私の答えです」

 赤いリボンがかけられた本を手渡す。

「これは…絵本か?」

 うなずく私。

 本の題名は『ねずみのきょうだい もりへいく』。


「出来たてほやほや、私の初作品です。これ、著者のサイン本進呈の記念すべき第1号ですよ」

 先生への答えを1週間保留にしたのは、この本の完成を待っていたから。

「…本当にお前の本なのか?」

 驚きの目を向ける先生。


「はい、オーナー夫妻にもたくさん協力いただいたんですよ」

「全然知らなかったよ」

「完成するまで内緒にしてもらってましたからねぇ」

 ちゃんと実現するまで不安だったし、打ち合わせなんかは先生がいない昼間だったしね。


「ずいぶんとかわいい絵を描くんだな」

「あ、そういえば今まで絵を見せたことってなかったですね」

 代作で文章に関してはいろいろ言われてきたけどね。



「植物園の温室で話した『私のやりたいこと』がこれなんです。孤児院にいた時、お話や紙芝居を自分で作ってたのを思い出しまして」

 小さい子達に読み聞かせはよくやっていたけど、同じ話ばかりでは飽きられるので自作するようになった。

 評判がよくてシリーズ化したものもある。


 やろうと思いついたきっかけは、パブの裏方の助っ人をしていた時に私と同じ孤児院の男の子が入ってきたこと。

 その男の子は私の作った話を知っていた。

「えっ、ねずみの3兄弟の話って先輩が作ったんですか?!」

 私が残してきたお話ノートや紙芝居は今でも孤児院で使われているそうで、彼は読み聞かせる方もさんざん経験したとか。

「小さい子に『ねずみさんのおはなし、もっとないの?』ってよくねだられて困りましたよ」

 もう結構ボロボロだけど補修しながら大事に使っているらしい。


 あの頃に作ったお話をちゃんとした本にして子供達に読んでもらいたい。

 そう思ってまず最初にオーナー夫妻にそんな想いを打ち明けた。

 オーナー夫妻は高等学院に受かったことも合格が取り消されたことも知っていて、進路に困っていた私を雇ってくれた。

 雇い主ではあるけれど、私にとっては親のような存在なのだ。

「うん、いいんじゃないかな。知人でちょうどよさそうな人がいるから話をしておくよ」

 再び書き起こしたものを見せたら、出版社の人を紹介してもらえることになった。


「もしダメだったとしても自費で出版するという手もあるよ」

 オーナーからそう教えてもらった。

 たくさんの子供達の手に渡ることは無理でも、孤児院に配るくらいなら作れるかもしれない。

 不正入試の件で受け取った結構な額の慰謝料はいまだ手付かずなのだから。


 幸い紹介された出版社ではちょうど子供向けを増やす計画があり、そこに私も組み込んでもらえた。

 絵も文も素人だけど、シンプルな絵が企画会議でかえって好評だったと後になって聞いた。



「ほら先生、いつまでも表紙を見てないでリボンを解いて中身も見てくださいよ…あ、でもサイン部分は一番最後にしてくださいね」

 私に言われるがままリボンを解いて絵本を開く先生。


「…字が大きいな」

 最初の感想がそれ?と思ったけど、先生が普段読む本とは全然違うからねぇ。

「そりゃ子供向けの絵本ですから」


 内容はねずみの3兄弟がお母さんに頼まれて森のふくろうおじさんのところへ届け物を運ぶというもの。

「ふくろうはねずみを捕食するのでは?」

「絵本でそういうこと言わないでくださいよ!」


 道に迷って通りすがりの動物に助けられたり、困っている動物を兄弟で協力して助けたりしながら目的地へと進んでいく。

「なるほど、ちゃんと教訓にもなっているんだな」

 最後まで読み終えた感想がこれとはなんとも先生らしい。


「それで絵本作家の先生様、最後まで読んだのでサインを見てもよろしいでしょうかね?」

 わざとらしく首をかしげて尋ねてくる先生。

「…どうぞ」

 先生がゆっくりと絵本の見返し部分を開く。


 私が先生からもらった手紙はたった1行。

 だから著者のサインとともに私の想いを1行だけ綴った。

 それを読んだ先生は無言で絵本を閉じてそっと机の上に置く。


「ありがとう!今日は最高の日だ!」

 そう叫んでガバッと抱きしめられた。

「せ、先生、ちょっと痛い」

 力、入れすぎ!

「あ、ごめん」

 腕の力は緩むけれど離してはくれない。


「これからもお前はお前自身のやりたいことをすればいい。ただ、他の男に目移りするのはやめてほしいけどな」

「その言葉、そのままお返ししますよ。勤め先の高等学院には優秀な女子学生だって多いんでしょ?」

 首を横に振る先生。

「ないない。きゃぴきゃぴしてるのは苦手だし、俺はずっとお前しか見てないから」

「ずっと?」

「ま、それはおいおいとな」


 こうして私と先生は恋人という関係になった。

「「 おめでとう! 」」

 オーナー夫妻は祝福してくれた。

「古書店の方は休息日にアルバイトを入れようと考えている。これからは一緒に過ごせる時間も増やせるだろう」



 お付き合いを始めてから新たに知ったこともある。

「俺は昔から時々店番をしていたからさ、お前が中等学校に通っていた頃から知ってるんだよな。立ち読みしかしてなかったからお前は覚えてないだろうけど」

 ううう、すみません。

 買うのはどうしても勉強に必要なものだけで、他は立ち読みしまくってました。

 レジにも行かないから顔もろくに見ていなかったし。


「なんか年の割にはずいぶんとしっかりしててさ、オーナー夫妻や常連たちに交じって話をしているのがなんだかおもしろかったんだよなぁ」

 あの頃は孤児院で年下の子達の面倒を見ていたから、大人と話すのは楽しかった。

 古書店に集まるだけあって熱心な読書家ばかりで、話の内容もおもしろかったのだ。


「そんなちょっと大人びた女の子がさ、ある日古書店から近い小さな公園で声を殺して泣いてるのを見ちゃったんだよ」

「え?」

 小さい頃はともかく、学校に通うようになってから泣いたことなんてほとんどない。

 唯一泣いたのはあの時だけ。


「思えばあれが不正入学に巻き込まれて合格を取り消された時だったんだな。けど当時は何も知らなかったからさ、とりあえず涙を拭くハンカチを手渡したんだよ」

 それ、ちゃんと覚えてるし、ハンカチは今でも持ってる。


「…あれって先生だったの?」

「やっぱりわかってなかったか」

 苦笑いする先生。


「ごめん、でも言われたことはよく覚えてる。『何があったか知らないけど、今がどん底なら後は上がるだけだぜ』って言ってたよね」

「あはは、そんなこと言ったっけ?」

 今も一字一句違えずに覚えてる。


「私、あの言葉に救われたんだよね。終わってしまったことはもう覆らないから前を向かなきゃ!って思えた」

「そっか、お役に立てたようで何よりだ」

 くしゃくしゃと頭を撫でられた。



 交際して半年ほど経った頃、求婚されて受け入れた。

「結婚式の準備は任せてね!」

 古書店のオーナーの奥様はとても張り切っている。

 私には両親もいないし、わからないことだらけだから頼ることにしよう。


 結婚前に先生のご家族にもご挨拶に行った。

 とても大きなお屋敷だったのでびっくりする。

 誰でも知ってる有名な商会を営んでいるおうちなんだとか。

「そうか、幸せにな」

 先生とお父様は少しギクシャクした感じではあったけど、お互いに嫌ったりしているわけではなさそう。

 おうちは先生にちょっと似ているお兄さんが継ぐそうだ。


「それでさ、うちが所有している小さな一戸建てを譲り受けることになったんだが、そこを新居にしていいかな?」

 先生は今までも実家を離れて暮らしていたけれど、結婚して独立ということでお祝いと財産分与も兼ねているらしい。

 まずは見てからということで行ってみると、ちょっと古いけど小さな家が待っていた。

 私が勤める古書店や先生の勤め先である高等学院からもそう遠くない。


「なんだか絵本に出てきそうですね」

 クリーム色の外壁に赤い屋根の2階建て。

 玄関の周辺には小さな花壇もある。

「次回作にでも使うか?」

「ふふふ、ちょっと考えてみます」


 先生の曾祖母が隠居後に暮らしていた家だそうで、中に入ると作り付けの家具もある。

 ただ、しばらく使っていなかったので修繕が必要とのこと。

「親父と兄貴が手配するそうだから心配ないってさ。希望があれば伝えておくよ」

 私は特に望むことはなかったけれど、先生はそれぞれの仕事部屋を作りたいと告げたそうで、修繕ではなく改築となって少し時間がかかることになった。


 その間に結婚式の準備を進める。

 ドレスや小物などはオーナー夫妻と相談しながら決めた。

「貴女はもはや私達の娘のようなものだから、こうして一緒に選ぶことが出来てとても嬉しいわ」

「私も嬉しいです」

 

 そして結婚式当日。

「え、何これ?!」

 こじんまりとした結婚式のつもりが、式を終えて教会を出ると楽器演奏や合唱で迎えられた。

 先生の教え子である高等学院の学生さん達がサプライズで企画してくれたらしい。

 とてもにぎやかで楽しい思い出に残る結婚式となった。

 私達は幸せ者だ。



 結婚後の私は古書店勤めを続けながら絵本作家として活動し、出版社からの要望もあって児童文学も手がけるようになった。

 恋文の代作もひそかに続けていることは世間には内緒だ。

 夫は学生達に慕われ、研究者としても優れた実績をあげて副学院長にまで上り詰めた。


 仕事以外では一男一女をもうけて幸せに暮らした。

 そして互いに天寿を全うし、先に夫が逝ってそれからまもなく後を追いように私も息を引き取った。


 長年暮らしていた私達の可愛らしい家は児童文学記念館となった。

 居間だった部屋の暖炉の上には額に入った手紙と絵本が飾られている。



 額の中には先生からのたった1行だけの恋文。

『これからの人生を貴女とともに歩みたい』


 絵本の見返しに書かれた私の恋文の答えも1行だけ。

『貴方とともにいつまでも』



 ちょっと恥ずかしいけど、こういうのも悪くないかな。

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恋文、代作いたします 中田カナ @camo36152

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