10年目の浮気のやり直し
茂由 茂子
第1章 10年目の浮気
第1話 10年目の浮気
雨が降っていた。土砂降りの雨だった。急なゲリラ豪雨に、
二階建てのアパートの階段を駆け上り、二つあるうちの一つの扉へと鍵を差し込む。四世帯が入居できる2LDKのファミリータイプのアパートだ。ここに入居してもう十年になる。ずぶ濡れになった身体をまずは拭こうと思いながら玄関を開けると人の気配がした。
あれ。もう
全身が震える。寒さで震えているのか、恐怖で震えているのか。それは夏希にも分からない。ただ一歩ずつその声のする方へと足を進める。玄関から入って左手には寝室と洋室の二部屋があり、そこに人の気配はない。右手にはトイレと水回りだ。そこも空だ。
残るは突き当りのリビングだ。ゆっくりとリビングと廊下を隔てる扉へと近づけば近づくほど、その声は大きくなる。「ああ、もうダメだ」と思いながらも、夏希は力を振り絞って扉のノブへと手をかけ、それを勢いよく引いた。
「英明……?」
小さく震える声だった。いやそれしか出なかったという方が正しい。その小さな声は、しっかりと英明の耳に届いた。
「え!?夏希!?」
「えっ!?」
英明はたった今まで覆いかぶさっていた女の身体から飛び上がるようにして離れ、床に散らばった服で自身の裸体を隠す。女はよほど恥ずかしいのか、ソファから身体を起こすことはしない。
「なにしてるの……?」
今にも泣きだしそうな夏希の声に、英明はおろおろするばかりだ。「いや、これは、その……!」と言い訳にもならない言葉を並べる。
「どういうつもりなの……。これは……」
英明は蒼褪めた顔を隠すように、床に額を擦りつけてひれ伏した。刈り上がった後頭部が見え、ぴっちりと分けられた七三が振り乱れている。
「夏希!ごめん!ほんの出来心で!」
出来心で片づけられる現場ではない。言葉にもならず、全裸土下座をする英明へと一歩近づいたところで、ソファから身体を起こさない女の顔が見えた。女と目が合い、夏希は絶句する。
「えっ。
なんと相手は夏希の友人の綾香だったのである。綾香とは二年前に編み物サークルで出会って以来、よく遊びに行く仲だ。ここへ泊りにきたことだってある。そんな綾香が、と夏希は信じられない気持ちで一杯になった。
「夏希さん、ごめんなさい!」
綾香も英明の隣で床に額を擦りつける。全裸の男女が身体を縮ませて許しを請う姿はなんと滑稽なのだろうか。夏希はくらくらした。ずぶ濡れになったからくらくらしているのか、この現場にくらくらしているのかよく分からない。
ただ、夏希の長い黒髪から水が滴り落ちる。職場の制服も体に張り付いて気持ちが悪い。「ああ、綾香と英明を出会わせなければよかった」と思った瞬間、夏希の意識は遠のいてその場に倒れ込んだ。
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