魔女になりたい僕の先輩

堅乃雪乃

第一話 Trick

「トリックオアトリート! お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうぞ!」


 いきなり部屋のドアが開いたかと思うと、聞こえてきたのは、いたずらとは程遠いほど可愛らしく、幼い声だった。


「先輩、入る時くらいノックしてくださいよ。何事かと思います」

「ちょっと後輩クーン、第一声がそれー? もっとこう『うわー!』とか『魔女だー‼』みたいな? 面白い反応を期待してたのに……」


 魔女……? 

 まあ言われてみれば先輩は、大きなツバのある黒いとんがり帽を被っていて、いかにも魔法使いな衣装も着ているが……


「魔女にしては幼いような……?」

「う、うるさい! 私が魔女って言ったら魔女なんだ! まったくー、これだから後輩クンは愛想がないんだからぁ」


 放課後、すっかりと辺りは淡いオレンジ色に染まり、この部屋にも眩しい西日が差し込んで来た。

 窓の外に目を向ければ運動部は既に練習の片付けをし始めていて、もうそんな時間になったのかと、この頃の日の入りの速さに、何とも言えない感情が湧き立つ。


 僕と先輩はこの学校の生徒会に所属していた。

 というのも別に二人でやっているわけじゃない。

 他にもちゃんとメンバーはいるのだが……今日は10月31日、ハロウィンの日だ。

 この学校では適度なコスプレは許されているし、お菓子の持ち込みも特に制限があるわけでは無い。

 故に、生徒たちはこの一年に一度の「夏の終わり」を告げるイベントを大いに楽しんでいた。

 それは勿論、生徒会のメンバーも同じ。

 そういうわけで今日の生徒会の活動はオフになっている。

 何故僕がこの部屋にいるかと言えば、少しやっておく仕事があったから。

 後は、単純に暇を持て余していたのだ。

 友達はいるけれど、大した仲ではない。

 「一緒に近所の家回ろうよー」と誘われもしたが、生憎そういう性分でもなかった。


「……っていうか先輩」

「どうしたの?」


 幼い魔女がこちらをふわりと振り返る。


「何で僕がここにいると分かったんです? 今日は生徒会の活動ありませんし……」

「いやいや、ずっと後輩クンのこと探してたんだよ? 『後輩クンどこー⁉』て、校内を練り歩いてた」

「その格好で?」

「うん、この格好で。案外、評判良くてさー!」


 そう言うと先輩は自分の衣装を改めて眺め、ふふと柔らかい表情を浮かべた。

 僕は高校二年、副会長。

 先輩は三年、会長だった。

 生徒会に入ったのが一年の十月だから、かれこれ一年近く先輩といることになる。

 先輩は同年代の女子の平均と比べても背丈の小さい人だった。

 当の本人はそれを結構気にしているらしく「会長としての威厳がないっ‼」とか「後輩に舐められる……」などとしょんぼりすることもある。

 まあ僕から言わせてみれば、そんなに気にすることではないと思うが、こればっかりは本人の気持ちなので特に何か言うわけでも無く「大丈夫ですよ」と一声かける程度に留めていた。


「と、いうわけで後輩クン! 先輩からのお菓子の差し入れだよー!」


 ふと先輩は手に持っていたカボチャを模した木のかごを目の前に突き出す。


「す、すごい数ですね……」


 かごの中はありとあらゆる種類のお菓子が詰め込まれていて、もはやトリックオアトリートの域をはるかに超えていた。


「いやね? トリックオアトリ―トし過ぎちゃって、食べきれないくらいお菓子もらちゃったんだよー」

「限度があるでしょ限度が」

「えー、だってクラスのみんながすごいくれたんだもーん。何かそれで嬉しくなっちゃって他のクラスにも行ってまた別のとこ行って……気付いたらこうなってた」

「バカですか先輩は」

「てへぺろ」


 先輩は生徒会長としてみんなに愛されていた。

 それはもちろん――僕も思うが――彼女の仕事ぶりにもある。

 積極的に生徒の意見を取り入れるし、みんなの要望を出来る限り叶えようと頑張っている。

 そんな彼女だからこそ、みんな先輩を信頼しているのだ。

 しかし、なにより先輩が人気なのは彼女の明るい性格にあると個人的には思っている。

 学年、クラス、男女分け隔てなく接するし、見ての通りとても陽気で健気。

 加えて、仕事が出来るのに少しばかり抜けてるところがあって愛嬌もある。

 背が低いのもあるだろうが、まさに先輩はこの学校の生徒会長、強いては可愛いマスコットキャラクターみたいな存在である。

 そんな彼女と冴えないまじめな僕が一緒にいるというのはある種の奇跡ではあるが……


「もらっていいんですか?」

「いいとも! っていうかたくさんもらって? もう私ひとりじゃ食べきれないんだよー……」


 ガクッと肩を落とす先輩を見下ろしながら、僕はかごの中からお菓子を一つ。

 うん、普通のチョコレートのお菓子だ。だけど一個で十分、もう飽きてしまう。


「先輩、これどうするんです?」

「家には家でたくさん弟がお菓子持って帰ってくる出そうし……どうしよほんとに」

「……なら、来月やる地域の小学生との交流会の時のおやつにしちゃいましょう。そしたら子供たちも喜んでくれそうでは?」

「それ採用‼ やっぱり頭良いねー後輩クンは! いっつも助けられてばっかだよー」

「いえいえ」

「流石、副会長。私の右腕だ!」


 そう言って自分の右腕をポンポンと自慢げに叩く先輩(魔女)の姿を見て、僕は何だかおかしくて微笑してしまう。


「何故笑う⁉ そんなに私の格好がおかしいのか⁉ 魔女だぞ魔女! 恐れろよー!」

「おかしくないですよ? 似合いっていますよ? 魔女の見習い弟子みたいで」

「バカにしてるでしょー⁉」


 必死に自分の恐ろしさを熱弁する先輩が、それこそ無邪気な少女みたいで、微笑ましくて、つい僕は冗談を言ってしまう。

 それに対する先輩の反応も日常生活では得られない栄養素があるようで、癖になってしまいそうではあるが……

 先輩の背をいじり過ぎるのも良くないと思うので抑えている。

 助けられてばっか、と先輩はよく言うが、本当に助けられてるのは僕の方なんだと言いたい。

 生徒会はとても居心地が良いし、今の僕にとって欠かせない場所になっている。


「おっほん。さて……そんな私の右腕に一つ、お願いがある」


 と、いつの間にか木のかごをテーブルに置き、どこから持ってきたのかほうきを手にした先輩がいた。

 しかもそのほうき、ほんとに魔女が乗ってそうなやつじゃん。丸まってるやつ。


「なんでしょう?」

「魔女って空飛べるじゃん?」

「……はい」


 ん? なんかもう一言目で雲行き怪しい。

 そんなにほうきを見つめないで?


「これ、魔女乗ってるやつじゃん?」

「はい」

「どうせなら飛びたいよね?」

「……まあ」

「でも飛べないじゃん?」

「そりゃもちろん」

「だから……肩車してくれない?」

「どういう論理の飛躍ですか……飛ぶのは魔女だけにしてください」

「後輩クン、別に上手くないよ……」


 あらら、どうやら不評だったらしい。


「……そもそも。どうやったら飛べないじゃん、から、肩車に結び付くんです? もうヒ日も暮れるんですし、変なこと言ってたら帰りますよ?」

「いやいや待ってよ後輩クン⁉」と僕の言葉を受けて先輩は必死に僕をこの場に留めようとする。


「いやだからね? ほんとはほうきで飛びたいじゃん。でも飛べないじゃん。でもこんな格好したからには、飛んで高い景色見たいのよ私だって! だから緊急処置として背の高い後輩クンに肩車してもらえれば、飛んでるみたいになるでしょ‼」

「は、はあ……」

「お願いっ! よろしくお願いしまーすっ‼」

「その真似を未だにしてる人いませんし、サマーウォーズの季節も終わりましたよ」


 なんでこの人は時々子どもみたいなことを言うんだ。

 飛ぶのと肩車は相当な違いがあると思うんだけど……

 でもまあ高い景色を見たいという先輩の要望は切り捨てがたい。

 たまに背が小さいのをいじる僕からしてみれば、それの償いとして叶えてあげるのも無しでは無い……


「……分かりました。やりますよ、肩車」

「うおー! やったー!」

「その代わり、肩車しても上で暴れないでくださいよ? バランス崩れて危険ですから」

「はいはーい!」

「ほんとに分かってます……?」


 目を輝かせて、幸せそうな顔をする先輩を見て僕はやれやれと膝を地面に付ける。

 結局、僕は先輩の喜ぶ顔を見たかっただけなのかもしれない。

「ちゃんと乗りました?」

「おっけー!」

「じゃあ立ちますよー……よっと」


 もちろん先輩は制服だ。スカートだ。

 ちょっとでも横を見れば先輩のすらっとした生足が視界に入るし、何なら両手で足を触っているので、何だか居たたまれない気持ちになる。

 後ろに首を回せば……おっと、パトカーのサイレン音が聞こえた。危ない危ない。

 タイツも履いてないんだし、先輩にはもう少しこういうところに注意を払って欲しい。

 良からぬことを思いつく輩がいてもおかしくない。

 特に男子高校生はそうだろう。

 でもそれを言ったら僕だけが意識してるみたいになって気持ち悪いので我慢。


 にしても……軽っ‼

 え、空気? ほんとに僕の肩に人一人乗ってる?

 驚くくらい、ほんとうに先輩は軽くて……

 人を持ち上げるんだからと、力を入れて立ち上がったせいで余計に体勢を崩しそうになる。


「だ、大丈夫、後輩クン? もしかして……重いです、か……?」


 珍しく敬語になる先輩。

 気を遣わせてしまったか……?

「いや……そんなことないです。むしろ逆です逆、軽すぎです」


 あんまり女子の前で体重や体形の話をするのは好ましいことでない。

 僕は気まずくなる前に話題を変えた。


「それよりもどうです、先輩? 高いですか?」

「あ、ああうん! もう世界が違うよー!」


 先輩も察したのか、すぐに頭上から楽しそうな声がした。


「へー後輩クンはいっつもこんな景色を見てるんだー」

「なに変なこと考えてるんですか……」

「えーだって気にならない? 後輩クン身長いくつ?」

「180くらいですけど」

「十分高いよー! 男子の中でも結構高い方じゃん。いいなー」

「高すぎても良い事ありませんよ? 目立ちますし」

「生徒会は目立ってなんぼでしょー。いいじゃんいいじゃん!」


 「それに」と今度は少し落ち着いた声色で口を開く。


「後輩クンのことすぐに見つけられるでしょ?」


 ……はぁー


 これだから先輩は困るんだ。

 無邪気な一言が僕の心をかき乱す。

 所詮、会長と副会長。

 所詮、学年違いの先輩と後輩。

 先輩には先輩の友人関係がある。

 それを後輩である僕が邪魔しちゃいけない。


「今まで見つけた試しがないじゃないですか」


 だから、そう答えておく。


「こ、これから見つけるんだよっ!」

「これからって……先輩もうすぐ生徒会辞めるし、半年もしたら卒業でしょう?」

「いきなり現実を突きつけないでよぉ……」


 この学校の生徒会は十一月に引き継ぎをする。

 つまり先輩とこうして生徒会室で会うのもあと一か月なのだ。

 何だか悲しい気もするが、こればっかりは仕方が無いな……


「悲しくなってきたから切り替えよう! よしっ、じゃあ次行こうか!」


 そんな僕の心のざわめきを知らない先輩は、曇り空を切り裂くような、再び浮ついた声で、今度は扉の方を指さした。


「飛ぶと言っても、その場だけじゃ意味が無いからさ。動き回らないとほうきの再現にはならないっ! この意味わかる?」

「僕にこのまま移動しろ、と」

「正解!」

「でも良いんです? 校内をこんな肩車しながら移動しちゃって。生徒に見られたら生徒会が遊んでるって思われちゃいますよ?」

「いいのいいの、ハロウィンくらいみんな許してくれるよ!」

「先生に見つかったら?」

「うーん……その時は……後輩クン頑張って」

「責任逃れだ……」


 でもまあ、ここまで来たのなら最後まで先輩の望みを叶えてあげるのが筋だろう。

 僕は「しっかり掴まっててくださいよ」と先輩に一言かけて部屋から出た。


「うおーすごいすごい! 回れー右っ!」

「先輩! 暴れないでください……っ」


 僕は先輩にハンドルを掴まれている。

 しかもかなりの危険運転。


「今度は上の階に行こうー」


 自由気ままな魔女。

 下校の時間が迫っているとは言え、校内にはまだちらほらと生徒の姿が。

 微笑か苦笑か知らないが、彼らは僕たちの姿を静かに見送る。

 恥ずかしい……これだから目立つのは嫌なんだ。


「どんどん進んじゃえー」


 小さな魔女が透き通った綺麗な声を出す。


「後輩クン」

「なんですか?」

「私ね、今すごい楽しいよー!」


 僕の顔を覗きこんでくる先輩の顔が思ったより近くて、一瞬体がビクッとする。


「そ、それなら何よりです」

「ありがとねっ!」

「……はい、先輩」


 そう感謝されるのもあと一か月。

 今この瞬間は僕も不思議と楽しいけれど、どうしても未来が暗くて怖気づいてしまう。


 そんな先の見えないトンネルを早く抜け出したくて、僕は一気に足を速める。


「おー! いいねー後輩クン! ノッてきたー?」

「はい!」


 僕たちはしばらくこの魔女ごっこを続けた。


 終わらせたくなかった。

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