第2話 ゆうちゃ
キリエは勇者を抱きながら家の外に出て、その光景に戦慄した。人々の悲鳴と瓦礫にまぎれた躯。人々は薄ら笑いながら人間の引きちぎられた腕をかじる魔族たちに蹂躙されていた。キリエは腕に力を込めて、魔族が来ている方向と逆の方向に走りだそうとする。しかし、勇者はそれを許さない。キリエに抱かれる勇者を大きく暴れだした。
「気持ちはわかるわ。でも、どうしようもないでしょう? 今は逃げないと」キリエは必死に言い聞かせる。勇者はゆっくりと首を横に振り、キリエの目を真っすぐと見た。まだ視線すら揃っていないはずの赤子とまっすぐ目が合ったキリエは体から力を抜いた。
キリエは勇者を空に離す。キリエは自分自身の変化に驚いていた。それは勇者に、息子に、シダルケと自分自身の面影を感じたからか、それとも勇者の人間らしさに触れたからか。それはキリエ自身明確な線引きができているわけではなかったが、そんなことどうだってよかった。単純な話、キリエは強いのだ。この世の誰よりも。
「行かせてあげる。でもいい? あなたは何度も何度も生まれ変わってきたのかもしれない。それでも、今は。いいえ。これからはずっと私の息子なの。シダルケの息子なの。私が、あなたの母親なの。シダルケが、あなたの父親なの。私たちがあなたの家なのよ。忘れないで」
勇者は強くうなずく。勇者は久しい感情を抱いていた。勇者は何度も転生を繰り返してきたが、どの世界にも共通する特徴があった。それは、転生者は忌子として扱われること。勇者の証は勇者であると同時に転生者である証でもあった。母親は皆、勇者を息子だと認めることはなかった。何かの間違いだと言って自殺をした者も少なくはない。それは外に出ても同じ。義理などない。でも彼は勇者であり続けた。魔王を倒し続けた。たった一人で。だからこそ輝く、始まりの勇者の仲間たち。せめて、彼らの墓を明るく照らしたい。
勇者は魔族たちがまるで観光地でも歩くかのように飲み食いをしながら人をなぶり、建物を踏み荒らしている地点の上空にまで到着した。
(雫)
そう心の中でつぶやく。空から一粒のしずくが勇者の手を伸ばした先で何かに当たったかのようにはじける。水がはじけた中心から空間を割いて何かが出てくる。それは先ほど顕現させた聖剣とは別の、水がそのまま刀の形を模したようなあまりにも神秘的な聖剣だった。
勇者は、無限にも等しい転生の中で、最初の人生を除いたすべての人生において聖剣を顕現させてきた。そのすべての聖剣を勇者は扱える。無限の転生は、勇者をあまりにも強くした。赤子の状態で聖剣を顕現させ、魔族を蹂躙してしまうほどに。
勇者は腕を振るった。その動きに少し遅れて聖剣「雫」も動き出す。その動きはあまりにもゆっくりだった。ゆっくりと雫は進む、柔らかい肌を断ち切るように。その切っ先が通る場所には水色の線ができた。そこから雫が垂れる。一つの魔族の鼻先にしずくが落ちる。次第に線は伸び続け雫は雨のように魔族たちに、大地に降り注いだ。
魔族たちはやっとそこで宙に浮かぶ赤子に気づく。だがもう遅い。
勇者は「雫」を今度は思いっきり振った。
――‼‼
落ちた雫、伸びた雫、浸透した雫たちはその動きに呼応する。その雫を体に受けた魔族は体内から雫によって体を切り裂かれる。大地に沈んでいった雫たちも大地を切り裂きながら動きに呼応する。
体が千切れ血が吹き出る。しかし魔族たちの反応は薄い。まるで少しの切り傷でも見るように切れた腕、首のない胴を見ていた。そして勇者はそんな魔族の前に姿を現す。
魔族たちの顔色が変わる。灼けた瞳。金色の髪。一つ、魔族が倒れる。骨をすべて抜かれたみたいに、だらしなく地に伏せた。
魔王と魔族は死ななない。聖剣に切られない限り。これは世界の常識だ。
勇者は目を細める。魔族たちを憐れんだ。言葉すら発さない。明らかな捨て駒。魔族がこの村を襲ったのは十中八九勇者の誕生を魔族の誰かしらが感じたから。にもかかわらずこのざまだ。伝えられていないのか。あるいは伝えられていながらそれを理解できるだけの知能がないのか。どちらにしても敵のことながらいい気分にはならなかった。
「ごみ処理に協力いただき感謝する」
勇者の背すじに悪寒が走る。すぐさま勇者は高く浮かび上がり辺りを俯瞰した。この流暢な口ぶり、明らかに長い時を生きる魔族だ。知能は人間を食するだけでも手に入るが、発音は別だ。そもそも魔族の身体は何かを発音するようにはできていない。だから、知識をもとに己の身体を作り変え、改良に改良を重ね、長い間扱い続けることでだんだんと言語を発音できるようになっていく。それには莫大な時がかかる。故に言語の発音の質こそが、魔族の強さを最も簡単に図る方法になる。魔族には成長の限度がない上に、寿命もない。生きた年月がそのままその魔族の強さを示すから。
魔族は基本的に傲慢だ。だからこそ言語を扱いたがる。言語を扱い人を惑わし、挑発し、騙し、自分の優位性を確固たるものにしたがる。人間が扱えて、自分たちが扱えないことに耐えられないのだ。
この流暢さ。そこらの人間よりもよっぽど聞きやすく、穏やかな声。
勇者は背後に気配を感じて雫を振るった。呼応して動く雫はもはや避けることなど不可能なほどに密集していた。
「よっぽど反則だな。勇者というのは」
無傷のままの角をはやした魔族がそこにはいた。
「私はヰヌシァ。あなたが魔王様に呪いをかけられたすぐ後、生まれた魔族だ」
勇者はまずいと思った。魔族は自分で名を持とうとはしない。そこに意味を感じないから。名前などなくても、魔族を指せる。そして何より、プライドが許さない。名を呼び合うということは対等であることの証明だから。しかしこの魔族は名前を持っている。それは、魔王がこの魔族を有象無象ではなく、一つの個体として認識している。少なからず魔王の寵愛を受けるもの。
おそらくはこの村に来た魔族の中で二番手だろう。勇者はそう思った。そこで一つ思い当たる。名を持つ魔族を二つ、ある意味協力させるなどということをするだろうか? 下手をせすども戦力が無駄に減るのは間違いない。魔王の指揮にない場所で名をもつ魔族間に上下関係が生まれることになるのだから。魔族の性質が変わった? いや、先ほどの他の魔族たちの扱いを見るにその線は薄い。じゃあさっきの魔族はなんだ。あれは明らかに――。試してみるか。
「おまッ! えにびぁんめ‼」
勇者はまだ生後数分と言ったところ。発音などできるわけもなし。幼児経験が異常に深い勇者でも正確に発音するには二日はかかる。
「は?」魔族は露骨に表情を変えた。そして顎にあまりにも細い手を当てた。「まて、理解できるに決まってるだろう? 俺は百三十年を生きる魔族だぞ。その言語も知ってる。バカにするな? わかってるからな。当たり前だろ。ゴミが。死ねよ」
しばらく勇者は待った。
「おまえ、にばんめ」ヰヌシァは目を見開く。
ヰヌシァの顔を段々と紅く染まっていき、次第に黒に近づいていった。角はどろどろとした濃い血液のように赤黒く染まっている。「私が、二番目だと?」
決まりだ。あの真っ白い顔をした魔族は単独行動。単独行動を許されているほどの魔族。明らかに異常だ。百三十年前にはいなかったし、無限の転生の中で出会ったどの世界にもそんな魔族は存在しなかった。
ヰヌシァは勇者に向かって飛び出そうとして、空中で一歩足を踏み出すと同時に動きを止めた。顔色は真っ青に変わっていく。「申し訳ありません魔王様今回のご命令はあくまで勇者を確認することええわかっていますはいもう二度こんなことは」次々と言葉をまくしたてる。そしてヰヌシァは地に落ちた。体の自由を取り戻した。
そう。そうなのだ。魔族はその行動のすべてを魔王に見られている。少しでも魔王に背く行動をとれば即座にその身は霧散し魔王のもとへと帰る。咎められるだけで許されるこいつも魔王と魔族の関係からすれば明らかに異常だが、まだ理解はできないでもない。そしてもし仮に、あの魔族が魔王の監視すら免れているとしたら、それは魔王がその魔族に対して限りなく対等に近い扱いをしているということ。
――。
ヰヌシァは消えた。勇者も深追いはしなかった。生まれたての身体では勝てる見込みは薄かったからだ。せめて生後三日。ハイハイができるほどの身体の扱いのレベルにまであれば、勝算は十分にあったが。因みに勇者は長い幼児経験を経て生後十日で二足歩行ができる。
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