第36話 難しすぎる男女交際2・あーん

 無限イチャイチャ計画が始まった日の昼。俺は、変なあだ名を付けられそうになったり、ペアルックの服を着させられそうになったりしたお陰で既に疲れ切っていた。


 対して風華は元気もりもりで真剣に計画ノートを見ている。かと思ったらお腹をさすり始めた。


「空雄さん、お腹が減りました」


「ウチには調味料しかないぞ」


 大体母親ババアか俺が半額弁当買ってきて食べるのが日課で、生鮮食品は腐らせるので無い。レトルトはあるが、貴重な食料をコイツに与える分はないので黙っておく。


「私、彼氏に“あーん”して貰うのが夢だったんです」


 そう言って、アホヅラで口をあんぐりと開けている。丸めた紙クズでも放り込んでやろうか。


「焼肉のタレを流し込んだらいいのか?」


「もぅ、意地悪ですねぇ。男性のツンデレさんは受けませんよ?」


 ふん、ツンはあってもデレはしませんけどー?


「お金渡すのでご飯買って来てください」


 俺はパシリかよ。誰が上級国民の犬になるかってんだ。


「お釣りで好きなもの買っていいですよ」


「わかったよ、ふーたん!」


 俺はお金で簡単にデレます!


 いつものように白い目で見てくる風華。


「子供みたいですねぇ」


 ふん、なんとでも言うがいい。いいから早く金を寄越せ上級国民。


「で、何を買ってきたらいいんだ?」


「あーん出来るものです」


「ホウ酸ダンゴか」


「あ、みたらし団子食べたいです」


 ち、余計な気付きを与えてしまったか。


「他は弁当でいいよな? なんの弁当がいい?」


「愛妻弁当」


「妻がいねぇよ」


「ツマ……あ、お刺身食べたいです!」


 連想ゲームしてんじゃねぇよ。


「じゃあ刺身と米とみたらし団子、それとお茶でいいか?」


「えー? お弁当も食べたいです。お肉メインのやつがいいですねぇ」


「そんなに食ったら太るぞ」


「やだなぁ、太っても天気図が見えにくくなるだけなので大丈夫ですよぉ」


 我慢を覚えろよ!


「じゃあ行ってくる」


「車に気をつけるんですよ」


 バカにしやがって、俺は子供かよ。いいえ、子供部屋おじさんです。


「それから知らないおじさんについて行かないように」


 おじさんに片足突っ込んでる俺を連れて行くおじさんがいるとは思えないがな!


「あと、巨乳のお姉さんについて行ってはダメですよ」


 それは時と場合によります!


「ふん、万が一にも誘惑されることがねぇよ」


「なに言ってるんですか。空雄さんが勝手について行くんですよ」


 クソッ、そっちのパターンもあったか!


「それじゃあいってらっしゃい、ソナタ」


 そこはアナタだろ! ピアノソナタでも弾いてやろうか! 弾けねぇけど!


 それからそそくさと家を出る。歩いて数分、行きつけのスーパーに着いた。


 手慣れた足取りで弁当コーナーを物色する。まだ昼なので半額シールは貼られていない。しかし今日はそんなの気にせず買える。なぜなら風華から一万円も渡されたからな。


 ケケケ、必要なもの買ったら残りの金で爆買いしてやるぜ、ということを出来ないのが小心者の俺である。後で返せとか言われたら怖いしな。


 でも少しくらい贅沢してもいいよな? 久しぶりにアイスでも食うか。


 必要なものをカゴに入れた後、アイスコーナーに移動した。周囲を警戒する。俺は見知らぬ女学生に暴言を吐かれやすいので甘いものを買う時は気をつけなければならないのだ。


 キョロキョロと入念に確認する。……よし、居ないな。……ハッ、まずい。早くしないと女学生どころか万引きGメンに目を付けられる。


 急いでバニラとチョコ味のアイスをカゴに入れて立ち去ろうとした瞬間。


「あー! オジサンなのにアイス買ってるー!」


 突然の大声に肩が跳ねた。振り返ると見知らぬ幼女がこちらを指差していた。


 ガキがよぉ、オジサンがアイス買って何が悪いんだよ!


「しかもバニラとチョコ味買ってるー!」


 んだぁ? オッサンは甘さ控えめコーヒー味にでもしろってかぁ? オジサンだってなぁサンマのハラワタとかサザエの肝とか苦味のあるものばっか食ってる訳じゃねえんだよ。糖分の塊を食いてぇ時もあるんだぞ。


 つーか親はどこだよ。この無慈悲な幼女どうにかしろ。と考えていたら母親らしき人が幼女に駆け寄ってきた。


「こら、オジサンだってアイス食べてもいいのよ。すみませんうちの子が」


 うんうん、奥さん、フォローは嬉しいけどねぇ……俺はオジサンじゃねぇんだよ! まだギリギリ若者じゃあ!


 過激派弱男なら喧嘩に発展していたかもしれないが、残念ながら俺は哀れな穏健派弱男なので、『気にしないでください』と言った後、ニチャアと笑ってレジへと向かった。


 会計を済ませてスーパーから外に出る。はぁ……メンタルごっそり削られたなぁ。アイス買うだけでなんでこんな傷付かないといけないの。ぐすん。


 ……まぁいいか。いつもの事だしな。何回もあるから立ち直りだけは早くなったわ。慣れって嫌だな。


 こういう時は帰ってお天気お姉さんを見て癒されるんだ。風華以外のな。


 そしてトボトボと歩いて帰宅。玄関を開けると奥から声が聞こえてきた。


「ぶーん!」


 なんだ? でかいハエか? と思ったら風華がレースゲームで遊んでいた。


「ぶーん、キキッー、どぉーん! ピーポーピーポー! きゃはははは!」


 車を壁に当てて楽しんでいる。何が楽しいんだよ。コイツみたいに能天気に生きられたらなぁ。本当に羨ましいよ。クソッ!


「帰ったぞ」


「あ、おかえりなさい。マンモスは狩れましたか?」


「どこの原始時代だよ。ほら、ゲーム片付けろ。飯食うぞ」


「はーい」


「これお釣りな」


「あれ? あんまり使ってないんですねぇ」


「欲しいものがなかったんだよ。所詮はスーパーだしな。それより弁当温めるから風華は他のやつ並べといてくれ。アイスあるからそれは冷凍庫な」


「裸エプロンはしてくれないんですか?」


 弱男の裸エプロンなんて誰得だよ。


「まずエプロンがねぇよ」


「え、裸にはなってくれるんですか!?」


 もー面倒くせぇ!


 で。


 なんやかんやでご飯の準備が整い、食卓に向かい合わせに座る。


「じゃあさっそく、あーんして下さい」


 目をつむり、口を開ける風華。歯並びのいい白い歯と、綺麗な舌をしている。上級国民な口内しやがって。煮え湯を流し込んでやろうか。


 もちろんそんな事は出来るはずもないので、仕方なく卵焼きを箸で半分に切って風華の口元へ持っていく。が、途中で口を閉じた。


「おい」


「ちゃんと定番の呪文を唱えてください」


「はぁ? 呪文?」


「“はい、あーん”ですよ。これがないとあーんされた気分になれません」


 面倒くせぇ。


「……は、はい、あーん」


 全身がゾワゾワするのに耐えながら、今度は口の中に入れることに成功した。


「うん、美味しいですぅ。死んだ卵焼きの味がします」


 生きた卵焼きがいるのかよ。


「また夢が一つ叶いました。もう二、三回したいところですが、辞めておきます。何を飲まされるか分かりませんからねぇ」


 まずは感謝しろよ。


 まぁいい。それよりもだ。


「……お、俺にはないのかよ」


 実は俺もあーんして貰うのが夢だった。昔、メイド喫茶に行った時にオプションであったので頼んでみたことがある。その時は頼んだ瞬間、メイドさんが真顔になり店長とヒソヒソ話をした後、なぜか売り切れということにされてあーんして貰えなかった。


 売り切れってなんだよ。メイドさんの腕がちぎれない限りありえねぇだろ。ふざけやがって。当然、トラウマになり、それ以来メイド喫茶には行っていない。


 勇気を出した俺の言葉を聞いて風華は目を丸くした後、片方の口角を上げてヘラヘラし始めた。


「えぇ? なんですかなんですかぁ? 散々小馬鹿にしといて、自分もしたくなっちゃったんですかぁ?」


 うぜぇ。


「してあげたいんですけどねぇ。私にはお天気お姉さんというブランドがありますからねぇ。お天気お姉さんのあーんはお金では買えないんですよ? まぁどうしてもと言うなら考えますけどねぇ。ただ、それなりの誠意を見せてくれないとねぇ?」


 このパワハラ野郎どうにかしてくれ。


「……誠意とは?」


「甲斐性なしの空雄さんが出来ることと言ったら頭を下げるしかないですよねぇ?」


 このモラハラ彼女どうにかしてくれ。


 くそぉ、どうするか? コイツに頭を下げたくない。しかし、この機を逃せば二度とあーんをして貰えることはないだろう。ちんけなプライドを取るか、夢を取るか。ぐぎぎ。


「……お、お願いします」


 俺はプライドを捨てた。


「仕方ないですねぇ。特別ですよ?」


 そう言って、いきなり俺の弁当の唐揚げを箸でぶっ刺した。おい、もっと丁寧に扱えよ。山賊かよ。


「はい、あーん」


 俺はゆっくりと口を開けた。遂に夢が叶う。しかし直前で、ひょい、と箸を引かれた。


「今、私の胸見てましたね? やらしー」


 見てねぇよ。食欲と性欲を一緒にするな。今はお前の胸肉より鶏のもも肉だ。


「見てないから。早く食べさせてくれよ」


「本当ですかぁ?」


 と言って俺の唐揚げを食べている。どさくさに紛れて何してんだてめぇ。


「本当だよ。だから頼む、早くくれ」


 風華はニヤニヤしている。絶対嫌がらせしたかっただけだろクソッ!


「じゃあ今度こそ行きますよ。はい、あーん」


 今度は嫌がらせをせずに口に運んでくれた。


「おいしいですか? マンモスの肉」


 鶏肉だろ。


「まぁな」


 普通の唐揚げだけど、あーんして貰った分、心が満たされて余計に美味しく感じる気がする。


「それはよかったです。じゃあサービスでもう一回してあげます。でも胸を見られたくないので目をつむってください」


 見ねぇっつーの。……いや言われてなかったらちょっと見てたかもだけど。


「はい、あーん」


 目をつむったまま口を開ける。


「じゃあ口を閉じてください」


 言われた通り口を閉じて咀嚼そしゃくする。ん? なんだろう、ペースト状のものだな。その時。


「うわ、辛っ! んだこれ!?」


「えへ、ワサビですよ」


「てめぇふざけんぬぇ……!」


「ぬぇ、だって! きゃはははは!」


 風華は腹を抱えて笑っている。


 コイツ、ガキみてぇなことしやがってよぉ! くっそ、鼻が鼻がぁ、ツーンとしちゃううう!

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