第30話 渡さなくてはいけないもの

 神殿での出来事から数時間後の夕暮れ時、他に客がいない喫茶店にて。


「もう、大丈夫なのですか? 透花様」


 窓際の席に座っていた私は、対面に座っている透花様に尋ねた。


「今日は明臣様の死の真相を知ったり、気疲れするようなことが多くありました。それに、ほとんど眠っていないと弥生さんから聞いています。依頼について話すのは、後日にされたほうが良いのでは……」


 私が彼女に投げかけたのは、心配の言葉。

 恐らく、今日の透花様は人生で一番と言っていいほどに精神的な疲労を感じられたことだろう。濃密な出来事が短時間の間に連続して起き、それらの現実を受け入れるために、透花様の頭は自分が思っている以上に働き疲れているはず。もしかしたら、明臣様の死を知らされた時以上に。

 透花様の身を心配し、配慮した上での提案だったのだが……透花様は『大丈夫』と微笑を作った。


「折角来てもらったのに、帰すのは申し訳ないです。今は大分落ち着きましたし、家のほうもバタバタしているので、居づらい。何より……今日はなるべく、誰かと話していたいんです。一人でいるのは、ちょっと」

「……そういうことでしたら、お付き合いさせていただきます」


 言って、私はティーカップを口元に運んだ。

 気持ちはよく理解できた。大変なこと──特に、誰かの死が関係するような出来事に遭遇した後、一人で部屋にいるのは中々に辛いものがある。椅子に座っていても、ベッドに転がっていても、気を紛らわせるために本を読んでいても、その人物のことを考えてしまうのだ。どれだけ大丈夫と自分に言い聞かせたとしても、感情は抑制することができない。自然と、涙は零れる。

 だから……こうして、誰かと一緒にいる時が、一番心を落ち着かせることができる。

 満足するまで、一緒にいて、話を聞いてあげよう。自分は問題ないし、背後に立っている史輝も異論はないはずだ。

 早い帰宅を諦めた私はまず言わなければならないと、透花様に向かって頭を下げた。


「透花様。この度は誠に、申し訳ございませんでした」

「え?」

「薬師院大志に天罰を下すためとはいえ、事前に説明をすることもなく、このような形になってしまい……」


 今回の私の行動、作戦は、正しいか否かを問われれば間違いと言わざるを得ない。事前に依頼者、当事者である透花様に事情を説明・報告をするのは、いわば義務のようなもの。結果的には狙い通りになったとはいえ、私の行動は人によっては糾弾されても文句は言えない。

 故に、頭を下げたのだが……透花様は慌てて両手を振り、顔を上げてほしいと告げた。


「謝罪をする必要なんてありません! 私は感謝しているんですよ。お二人があの時、神殿に来なかったら……私は盃に口を付けていました。そうなれば今のように……未来を考えることも、できなかった」


 そうなっていた場合を考えたのか、透花様は少し俯き、ホッと息を吐いた。

 盃を口にした時点で二人は夫婦として認められる。仮にそうなった後に大志の件が露見した場合、離婚するためには正規の手続きを行わなければならない。例え相手が悪いとしても、記録上は離婚経験ありとなってしまう。昔から変わっていないことだが、離婚経験がある女性に対する風当たりは強い。再婚を考えた場合も、かなり条件が厳しくなってしまうのだ。特に貴族は、初婚を神聖視する傾向にある。

 透花様が盃に口を付ける前に入ることができて、本当に良かった。

 安堵を覚えつつ、私は次いで質問した。


「透花様はこれから……どうなさるおつもりですか?」

「……どうしましょうね」


 答えに困ったのか、透花は無理に笑った。


「しばらくは、一人でいるつもりです。破談になった直後に次の結婚をなんて、考えられませんから。今回のことがあったので、しばらくはお父様も許してくださるはずです」

「そういえば、今回の縁談は五百旗頭伯爵が持ってきたのでしたか。些か、身辺調査を疎かにし過ぎではないかと──ぁ、すみません」


 つい、思ったことをそのまま口にしてしまった。仮にも貴族、透花様の父親に対して失礼だったか。私がすぐに非礼を詫びると、透花様は『仰る通りです』と口元に手を当て、少し笑った。


「ついさっきまで、実家でお父様に凄く謝られたんです。縁談を勧めたのは、明臣さんを亡くして意気消沈している私に早く元気になってもらいたかったんだと。心配して、焦って、その結果が今回の件に繋がった。本当にすまなかったと、泣きそうになっていましたね」

「あの五百旗頭伯爵が……それで、透花様は何と? まさか、無視してここへ?」

「流石にそんな酷いことはしません。ただ……心配かけてごめんなさい、と」


 そう言って、透花様は手元の珈琲カップに口をつけた。

 相変わらず、優しい人だ。自分が散々な目に遭っても、相手を気遣うことのできる心。それは、そう簡単に持てるものではない。

 ただ、次の婚約者を選ぶときには慎重に、とだけ私は言いたかった。こんなことが今後起きないように、細心の注意を払って貰わなくては。今回は魔骨に──明臣様によって助けられたと言ってもいい。彼の強い意志がなければ、あの魔骨が透花様の下に現れることはなかったのだから。

 そう考えると、明臣様は最後の最後まで透花様を護ったということだろう。これで彼の魂が救われてくれると思うと、私はとても達成感を覚えた。


「あ、そういえば」


 思い出したように、透花様が私に尋ねた。


「あの魔骨は、どうなったんですか? 音葉さんが持っていたと思いますけど」」

「旅立ちましたよ」

「へ?」


 呆然と瞬きを繰り返した透花様に、私は窓の外に見える茜色の空を見て、言った。


「自分の役目を終えて、きっと、天国に」

「……」


 透花様は私と同じように、空を見上げた

 神力を与える『力の魔骨』と違い、『意志の魔骨』は自らの意志を届け、役目を終えれば消滅してしまう。まるで、未練を残した地縛霊が、それを解消して消滅するように。

 あの魔骨も、私たちが神殿を後にした途端、積み上げられた砂が風に攫われていくように消えていった。空に飛ばされていったけれど、ちゃんと天国に辿り着くことはできたのだろうか。願うならば辿り着き、安らかな眠りを得てほしい。


「……そうですか」


 深くは追及せず、透花様は納得したように頷いた。

 様子を見る限り、大分精神は落ち着いたらしい。今しがた浮かべた笑みは作りものではなく、自然に出てきたもの。今ならば大丈夫、耐えられる。多少涙は流れることになるだろうが……切り出すならば、渡すならば、今だ。


「透花様。明臣様の刀は、竜宮閣伯爵から頂けましたか?」

「はい。私が持っていたほうが、明臣さんも喜ぶだろうから、と」

「それは良かった。実は……もう一つ、貴女にお渡ししなければならないものがあるんです」

「渡すもの、ですか?」

「はい……こちらを」


 背後にいた史輝から白い布に包まれた直方体の木箱を受け取り、私はそれを揺らさないよう優しく、透花様に手渡した。


「どうぞ。明臣様の刀と一緒に、埋められていたものです。これは、貴女の手に渡らなければならない」

「……これは?」


 布を解くこともせず、透花様は私に問う。

 一拍を空け、私は真っ直ぐに透花様の目を見つめて箱の中身を告げた。


「明臣様の、遺骨です。一部ではありますが」

「……」


 中身を聞いた透花様は一瞬息を呑み、布に包まれたそれを十数秒間見つめた後……再び、私に尋ねた。


「何処の骨、ですか?」

「……右腕です」


 答えながら、私は思い出した。

 そういえば以前、明臣の右手で頬を撫でられるのが好きだったと、透花様は言っていた。今になって思えば、明臣が唯一遺した身体は透花にとって一番印象に残っている、思い出深い場所ではないか。

 もしかしたらこれも、何か不思議な力が働いたのかもしれない。

 ふと、そう思った時。


「そっ、か……」


 涙で上擦った声で、透花様は声を震わせた。


「右腕……右手、か。フフ……凄く、貴方らしいですね」


 一人呟く透花様の瞳からは止めどなく大粒の涙が零れ落ち、箱を包む白い布に灰色の斑点模様を描いていく。

 帰りを待ち焦がれた、最愛の人が自分の元に帰ってきた。生きているわけではなく、身体のほんの一部に過ぎないけれど……それでも、透花様は嬉しいのだろう。これで少しは、近くにいると感じることができるから。

 涙を拭うこともなく、嗚咽交じりに泣く透花様の姿に、私も目頭が熱くなった。自覚はあったけれどやはり、自分は涙脆い。それを今改めて思い知った──と。


「……ハンカチを差し出す相手が、違うんじゃない?」


 スッ、と背後から差し出された白いハンカチに、私は振り返りながら言う。それが必要なのは自分ではなく透花であろう、と。

 そんな意図が籠った私の視線を受け、ハンカチを差し出していた史輝は肩を竦めて返した。


「わかっております。だから、二枚渡しているのですよ」

「……そういうことね」


 言われてハンカチを見ると、確かに、白いハンカチは二枚あった。重ねてあるので、涙で少し霞んだ視界では一目で認識することができなかったらしい。

 なんだかんだ、自分以外にも気配りができるのだな。

 差し出された二枚のハンカチを受け取った私は、そんな少しだけ失礼なことを思いつつ、もう一枚を透花様へと手渡した。

 結局、透花様の涙が止まったのは、それから十五分ほど後のこと。

 その間に流れた涙を拭うのにハンカチ一枚では到底足りなかったのは、言うまでもないことである。

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