第14話 再び屋敷へ

 今日は透花様の屋敷に再びお邪魔することになっている。

 昨日の夕暮れ時、大志を事務所から帰らせた後に私が透花様に電話連絡をしたところ、問題ないと快諾を得ることができたのだ。突然の来訪で都合がつかないかと思ったけれど、その心配は杞憂に終わった。

 あとは、魔骨が私に情報を齎してくれれば、言うことはないのだけど……そればっかりは、何も言えない。魔骨は気まぐれ。前回の二の舞になる可能性だって十分に考えられる。私には願うことしかできない。

 望んだ結果になるように、神頼みをするしかない。


「そういえば」


 透花様の屋敷を目指し、前回と同じ道を歩いている最中。

 私の隣を歩いていた史輝が、不意に思い出したように言った。


「昨日の馬鹿貴族、何も言ってきませんでしたね。てっきり、抗議の電話があると思っていたのですが」

「薬師院大志のこと? そりゃあ……そうだね」


 言いかけた言葉を途中で修正し、私は頷いた。

 大志は誰がどう見ても面倒くさい類に入る貴族だ。依頼の相談時、家の権力をちらつかせて無理矢理受けさせようとする、強引で汚い性格の持ち主。

 そんな相手の依頼を断った挙句、手を上げようとした彼に刃まで向けた。史輝の言う通り、抗議の電話が鳴っても不思議ではないと考えていたのだけど……予想に反して、そんな電話は一本も鳴らなかった。史輝の威圧に心の底から怯えたのか、あるいは恐怖した相手に電話をする度胸が無かったのか。判別はできないものの、一先ず現状は何か良からぬことを仕掛けてきそうな予兆は無かった。

 ただ、安心はできない。


「今のところはないにしても、今後のことはわからない。報復とか考えられるから、一応は警戒しておこう」

「対抗策はあるのですか?」

「私にも人脈というものがあるからね。いざとなれば、活用させてもらうよ」


 問うた史輝に、私は片目を瞑って返した。

 私はこの数年間、魔骨探偵として数多くの事件を解決してきた。一般庶民だけではなく、多くの迷える貴族の問題にも取り組んできただけあり、人脈というものは数多く持っている。それこそ、そこいらの貴族よりも優秀な人脈を。

 相手が権力を振りかざすというのであれば、こちらも権力で対抗しようではないか。培ってきたもの全てを利用し、真正面から迎え撃つまで。

 私は権力に怯えるか弱い子羊とは違うのだから。

 それを史輝に伝えると、彼は私の意思を尊重しながらも忠告した。


「権力には権力を、という考えは否定しません。人脈を作り上げた先生は素晴らしいとも思います。が、あまり当てにしすぎるのはよろしくないかと。後々から、面倒なことになりかねませんので」

「極力頼らないようにはするよ。ただ、本当に困った時の保険ってだけだから心配しなさんな」

 

 史輝の懸念は理解している。あまり人に借りを作り過ぎると、あとあと痛い目に遭うと言っているのだろう。勿論、そんなことはわかっている。

 手段の一つに数えはするものの、最初から積極的にカードを切るつもりはない。あくまでも最終手段として、自分ではどうにもならない時に使うものとして温存する。無暗に使うのは、最終手段ではないから。

 そんな会話を繰り広げつつ、いつものように周囲から注がれる視線を無視して歩くこと十数分。やがて、私たちは目的地である透花様の屋敷前へと到着した。既に一度見ていることもあり、特に感想はない。

 前回と同じように呼び鈴を鳴らして待つこと数十秒。これまた、前回と同じ人物が扉から姿を現した。


「お待ちしておりました、結月様」

 侍女服に身を包んだ、初老の女性。

 彼女はの名は、確か──。

 以前された自己紹介を思い出し、私は挨拶する。


「こんにちは、弥生さん。透花様のご依頼の件で……って、要件はもう聞いていますか?」

「はい。伺っております」


 二人を門の内側に招き入れながら答え、次いで、弥生さんは透花様について話した。


「お嬢様なのですが……申し訳ございません。御実家からの電話に対応されておりますので、少し遅れてしまうとのことで」

「御実家ですか?」

「えぇ。詳しくは私もわかりませんが、お二人を先に庭園にお招きしておくようにと。少々お待ちいただくことになりますが、何卒ご理解のほうを」

「構いませんよ。寧ろ、我々は都合をつけていただきましたから」


 多少待つくらいなら、どうってことない。弥生さんにそう伝え、私たちは先導する彼女の後ろに追従した。

 透花様の実家とは即ち、五百旗頭伯爵本家のこと。電話の相手はわからないけれど、伯爵家の当主──透花様の父である五百旗頭伯爵その人である可能性は十分に高い。

 どんな内容なのかは気になるところだけど、他人の、それも貴族の家のことに首を突っ込むのはいただけない。好奇心は封印し、依頼のことだけに集中するとしよう。

 願わくば、透花様が話してくれることを期待して。

 池の傍に立つ満開の枝垂桜の横を通り、私たちは以前と同じく庭園の最奥へとやってきた。弥生さんに促されるままに椅子へと腰を落ち着け、礼を告げてから、差し出された熱い紅茶を口に運んだ。


「……とても美味しいです」

「ありがとうございます」


 私の嘘偽りない感想に、弥生さんはそう言って一礼した。

 熟練の技量が感じられる、とても美味しい紅茶だった。湯の量、温度、さらには蒸らす時間も細かく計算して淹れられているのだろう。史輝に淹れてもらう紅茶も美味しいが、弥生さんのこれは比較にならない味わいだった。

 私が感嘆の声を漏らしながら紅茶を楽しんでいると、弥生さんは私の背後で背を向けて立つ史輝にもカップを差し出した。


「お付きの方も。お嬢様は当分来られませんので、お席に」

「……」


 弥生さんの提案を受け、史輝は私に視線で尋ねる。応じても良いのか、と。

 極力喋らず、自分の後ろに控えていろと命じたのは私だ。特に貴族を相手に余計なことを口走らないよう、予防と配慮を目的として。命じた甲斐もあり、これまで面倒ごとが起きることはなかったのだが……何というか、史輝は私の命令に忠実すぎる。もっと自分でも判断し、柔軟に対応してほしいのだけど。

 内心で思いつつ、私はカップをソーサーの上に置き、首を縦に振った。


「許可します。透花様がお越しになるまで、暫し身体を休めなさい」


 私の命令に言葉を返すことなく行動を起こした史輝は、弥生さんに差し出されたカップを受け取り、立ったままそれに口をつける。直後、やや驚きに目を見開いた後、弥生さんに黙礼した。どうやら、美味しかったらしい。

 決めごとを徹底するのは構わないし、史輝の良いところでもある。

 けれどもう少し……あと少しだけ、臨機応変に動くことができたら、もっといいと思う。いやまぁ、命じた私がこんなことを思うのは間違いなのかもしれないけれど。

 公私ともに助けられている自分がここまで望むのは傲慢かな? と思いつつ、カップに口をつけながら史輝を見つめる。と、テーブルに用意されていたホールケーキを切り分けながら、弥生さんが私に尋ねた。


「お嬢様のご依頼に関しては、何か進展はございましたか?」

「え?」


 突然の質問に驚きつつ、私は現状を答えた。


「……残念ながら、手がかりになりそうなものは少ないですね」

「そうですか。やはり、世の中は中々上手くいかないものなのですね」

「はい。今日も、透花様に中間報告をした後に魔骨を見せていただいたらすぐに調べものに戻る予定です。あまり、ゆっくりしている時間もありませんから」


 のんびりしていたら、何年も解決することができずに終わってしまいそうな気がする。未だに解が見つけられない数学問題のように、いつまでも謎のままになってしまうかもしれない。そうならないためにも、必死にならなければ──弥生さんが手を止めた。


「結月様。一つ、お願いがございます」

「はい?」


 唐突に言われた私が傾げると、弥生さんはお願いの続きを告げた。


「少しだけ……お嬢様の話し相手になっていただきたく思います」

「話し相手、ですか?」

「はい」


 肯定し、弥生さんは理由を話した。


「お嬢様が不平不満を口にされることは滅多にありませんが……今のお嬢様は、かなり精神的に疲弊しているご様子です。しかし、年の離れた我々使用人では、お嬢様は本音を話してくださりません。ここは、同性で同年代の結月様が適任ではないかと」

「……」


 僅かな間、私は沈黙した。

 はっきり言って、自分にその役目が務まるとは思えない。性別や年代は同じであっても、私と透花様は決定的に身分が違う。片や庶民で、片や貴族。その身分差は、考え方や価値観を真っ二つに引き裂く障害となる。

 自分には務まらない、と断ろうかと一瞬思ったが……まずは、透花様がストレスを溜めている理由を聞こう。そう考え、私は弥生さんに尋ねることにした。


「何か、透花様の心労になるようなことが?」

「恐らく、婚約の件かと」


 弥生さんは断言した。


「私から多くを語ることはできません。しかし、お嬢様が今回の婚約に乗り気でないことは確かです。婚約が決まってからというもの、お嬢様はずっと浮かない表情をされておりますから」


 それはそうだろうなぁ。と、私は思った。

 昨日会った婚約者の大志は、如何にも親の七光りと言える男だった。どう考えても透花様のような品行方正で美しい女性とは不釣り合いであり、婚約が成立したことを不思議に思うほど。互いの当主が合意した上で決まったのであろうが……五百旗頭伯爵は何を見て、大志が透花様の婚約者に相応しいと判断したのだろうか。あまりにも、見る目が無さすぎる。

 昨日から抱いていた疑問に首を捻ると、弥生さんがポツリと零した。


「本当に……明臣様がいてくだされば、こんなことには……」

「明臣?」


 初めて聞く人物の名前。

 それは一体? と、私が弥生さんに尋ねようと口を開いた──時。


「すみません! 遅くなりました!」


 庭園に続く屋敷の扉が開かれ、話題の透花様がやや焦った様子で姿を現した。

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