EX.あたしの彼氏は文学青年10(終)

 いつかのあの日と同じように。

 あたしはまた泣きながら夜の街を走っていた。


 心がぐちゃぐちゃなのはお酒に酔ってるせいだ。

 ユートに嫌われるかもしれないなんて思っちゃうのは、お酒のせいだ。

 ユートに出会う前のあたしを全部なかったことにしたいなんて思うのも、お酒のせいだ。


 全部全部お酒のせいだ。

 そうじゃないと、このあたしの心の痛みが説明できない。


 別に今日できなくったって、そんなこと致命的じゃないはずだ。今までできなくても何とかなったんだから、これから徐々にできるようになればいい。

 ユートとはいつも通り一緒にいて、あたしの「好き」を伝えて、ユートからの「好き」を受け取って、そうやって過ごしていけばいい。


 二人でクリスマスを過ごそう。

 二人で一緒に年を越そう。

 二人で初詣に行こう。

 二人で節分を過ごして、お雛様を飾ってみたりして。


 そうやって二人の思い出を築いていこう。築いていけばいい。誰も邪魔なんてする人はいない。誰もダメなんて言う人はいない。


 だから今日だっていつもと同じように家に帰って、いつもと同じようにユートと過ごせばいい。それでいいはずだ。それだけでいいはずなんだ。


 頭ではわかってる。理性では理解してる。


 それでも、なぜか胸が引き裂かれるように痛い。


 頭じゃない。理性じゃない。心がなぜか痛い。


 こんなの普通じゃない。いつものあたしじゃない。だからこれはお酒のせいだ。

 お酒を飲んだから、こんなことになってるんだ。


 ぽろぽろと目から涙をこぼしながら、あたしは走って家に向かう。


 初めて吐いてしまった、あの日と同じように。






 あたしは家にたどり着くと、転がり込むように中に入った。

 酔っていたのに走ったせいで、またいつかのあの日のようにふらふらになっていて。

 そんなあたしを、ユートは優しく迎えてくれた。


 ユートに上着を脱がされ、水をもらい、ベッドに寝かされ、化粧を落としてもらい。

 朦朧とする頭と体でユートの優しさに包まれて、あたしはたまらなくなってユートに抱き着いた。


「ユートぉ……嫌いにならないでぇ……」


 思わず漏れた懇願が、自分でも想像できないくらい弱弱しくて。

 そんな自分が情けなくて、さっきまで止まっていた涙がまた流れ始めた。


 あたしが突然抱き着いて泣き始めたことに、ユートはびっくりして体が固まっていた。

 そんなはずはないのに、ユートが硬直してしまったことがなぜかあたしのことを拒絶したように感じられてしまって、あたしはこみ上げる不安が怖くて、ユートが離れていってしまうのが恐ろしくて、ユートを絶対に逃がさないように抱きしめる力を強くした。

 そうしたら、ユートはあたしの頭を後ろから抱え込むように肩に抱いてくれて。


「あたし頑張るからぁ……頑張って、ギャルみたいになるからぁ……ビッチみたいになるからぁ……あたしのこと見捨てないでぇ……!」


 ユートの肩に顔をうずめながら、あたしは叫んでいた。


 ユートはあたしの声に、両手を背中に回して抱きしめてくれて、あたしを安心させるように背中をぽんぽんと叩いてくれた。


「大丈夫。大丈夫だよ。僕が美咲のこと嫌いになるなんてことありえないよ」


 それから、あたしの耳元でゆっくり、優しく、一言だってあたしが聞き漏らさないように何度も何度も囁いてくれて。


 あたしは、あたし全部がユートに包まれたような感覚になって、ひどく安心した気持ちになって、だんだんと意識が遠くなっていって。

 いつの間にか涙も止まってて、あたしは「ユートぉ……ユートぉ……好き……好きなのぉ……」と縋りつくようにユートに伝えて、そのまま眠ってしまった。


「うん。僕も美咲のことが好きだよ」


 意識が完全になくなる前に聞いたのは、とても暖かいユートの「好き」の気持ちだった。






 ――夢を、見ていた気がする。

 内容はひどくあいまいで、とても人に説明できるほど鮮明じゃない。

 でも確かに言えることは、夢の中にはユートがいて。

 あたしは必死に手を伸ばしていたような気がする。


 なんだかあたしとユートの距離が開いていってしまうようで、だから、目が覚めた時に目の前にユートがいて、あたしはホントに嬉しかった。「ユートぉ……?」なんて呟いたら「うん。僕だよ。鈴木悠斗だよ」なんて返ってきて。

 あたしはぎゅっとユートに抱き着いた。


「ユート……ユートだぁ……えへへ……本物だぁ……」


 あたしを抱きしめるような態勢のユートの胸に顔をうずめる。そうしたら、ユートがあたしの背中をぽんぽんと優しく叩いてくれて。


「本物の鈴木悠斗だよ。美咲のことが大好きな鈴木悠斗。大丈夫だよ。嫌いになったりしないよ」


 あたしの心に染み渡らせるように、ユートは気持ちを伝えてくれた。

 そんなユートにあたしは感極まってしまって「うん……うん……!」と頷くことしかできなかった。


 あたしが起きてからしばらくの間、ユートはそうやってふがいないあたしをあやしてくれた。

 大学のことなんてこれっぽっちもあたしの頭の中にはなかった。


 ただただ、ユートとずっと一緒にいたかった。






 しばらくした後、昨日家に帰ってきてそのまま寝たからお風呂に入っていなかったことを思い出して、汚れとか匂いとか急に恥ずかしくなったあたしはユートの腕から抜け出してシャワーを浴びに行った。


 服を脱いで、下着を外して、洗濯籠に入れて。そういえばこの洗濯籠も、あたしがこの家に住むようになってから買ったんだっけな、なんてとりとめのないことを考えて。

 あたしは、シャワーを浴びている間、あたしのことを全てユートに伝えようと決心した。


 昨日、あんなになってユートに縋りついてしまった。明らかに普通じゃなかった。

 あんなの、絶対何かあったって思われてるに決まってる。


 朝目が覚めた時から、ユートはあたしを抱きしめるような態勢だった。ユートはとっくに目が覚めてたみたいなのに、それでもその姿勢だったのは、あたしが目が覚めた時に不安にならないようにっていうユートの想いに違いない。

 事実、あたしは目が覚めた瞬間にユートに縋りついて、ユートのぬくもりに触れて、安心感をもらった。


 ユートはいつだってあたしのことを考えてくれてる。いつだってあたしのことを想ってくれてる。


 そのユートの気持ちに応えられていないのは誰だ? 憶病な自分を見せないように閉じ込めてたのは誰だ?


 ……もう止めにしよう、こんなこと。


 嘘を吐くのをやめよう。弱い自分を受け入れよう。ビッチじゃなくなったあたしをさらけ出そう。


 シャワーを浴び終わって、ユートとお揃いのスウェットに袖を通した。


 脱衣所から出た後は、あたしはコーヒーを淹れて待ってくれてたユーとのそばにぴとっとくっついて、そこから動かなかった。


 全部、全部話すから。だからもう少し待って。もう少し勇気をください。


 そんなあたしの髪を、ユートがドライヤーを使って乾かしてくれた。あたしはよくユートに甘えてお風呂上がりの髪を乾かしてもらってて、つまりこれはいつも通りの行動で、たぶんユートは「いつも通り」をすることで少しでもこの場の緊張を解きほぐそうとしてて。

 だからあたしもそれを受け入れて、ユートが入れてくれてたコーヒーをちびちびと飲んで過ごした。


 髪を乾かし終えて、あたしとユート二人ともコーヒーがなくなる頃、あたしとユートは二人して肩が触れ合う距離で並んで座っていた。


 ユートは近くにあった文庫本を手に取って表紙を開いた。相変わらずあたしにはよくわからない内容の本だった。

 あたしは膝を抱えた姿勢で座っていて、スマホのロック画面を眺めていた。ユートと二人で旅行に行った時のツーショット写真が、あたしのスマホに映っていた。


 それから、ユートはいつかの日と同じように、あたしと出会ったときと同じように、あたしに目を向けずに、文庫本を見ながら口を開いた。


「僕には、今美咲が抱えている不安な気持ちがよくわかんないんだけどさ。辛いことがあったら人に吐き出したほうがいいんじゃない?」


 「あの時と違って僕たちはもう他人じゃないけど」なんて付け足して、ユートは少し笑った。

 初めてあたしとユートが会話をしたあの日。

 あの日もあたしはとても落ち込んでて、ユートはそんなあたしの隣に座ってくれた。


 あたしはユートの気持ちを感じていた。それはあの日感じることができなかった気持ちで、でもユートと一緒に過ごすうちに確かに二人の間に芽生えた気持でもあって。

 あの日初めて会話をした時から、あたしはユートのことが心の底から好きだった。


「あたし、ホントはね……ユートと付き合うつもりって、なかったんだ……」


 しばらくしてから、あたしはそんなことから喋り始めて。


 それからは、タガが外れたように今までのことを全部ユートに話した。




 ユートと出会うまで自分が空っぽだったこと。

 ユートがあたしを受け入れてくれる、ただそれだけでよかったこと。

 ユートのおかげで高校生活が楽しかったこと。

 ユートが汚れちゃうと思って、ユートへの気持ちに蓋をするために彼氏を作ってたこと。

 ユートと離れたくなくて同じ大学を受験して、アパートも近所に住むようにしたこと。

 ユートへの気持ちがとても大きくなってたこと。


 それから――サークルの飲み会であったこと。




 ユートはいつだってあたしの味方だった。いつだってあたしを優しく包んでくれた。いつだってあたしを受け入れてくれた。

 ユートと一緒にいられることが幸せだった。ユート以外の人なんて絶対に無理だと悟った。


 もう自分の気持ちがどうにもならなくて、あたしは手に持っていたスマホを放り出してユートに抱き着いた。ユートも文庫本を置いて抱きしめ返してくれた。


「あたし、あたしね? バカだから……ホントにバカだから……! 絶対そんなことないってわかってるのに、頭ではわかってるのに……心の中で怯えてる自分がいて――!」


 震えるあたしを、ユートは小さな子供をあやすように背中を撫でてくれて。

 だから、あたしは自分の想いを吐き出せたんだ。


「高校の時、ユートがあたしのことを受け入れてくれた時、あたしってビッチなギャルみたいな奴だったから……。だから、ユートが受け入れてくれたのは「ビッチギャルなあたし」だって感じちゃって……! こんな、ユート以外の他の男に触られるだけで吐いちゃうような、そんな女なんて受け入れられないんじゃないかって……!」


 ユートが背中を撫でながら「大丈夫、大丈夫だよ」って言ってくれる。そのことがホントに嬉しくて。


「ユート以外の男とセックスなんてありえないし、そもそも触れすらしないし……! でもそんなの全然ビッチでもギャルでもないから、せめて言葉だけでもって思って! だから他の男とセックスしてきたなんて言って! あたし、ずっと……ユートと出会ってからずっと、ユート以外の男とセックスなんてしたことないのに!」

「高校の時、セフレがどうこう言ってたのは?」

「あんなのユートの気が引きたかったから梓に手伝ってもらって吐いてたウソだよ! ユートと出会ってから今までのセフレなんてみんな連絡先ブロックしたし新しいのも一人たりとも作ってない!」

「そっか。そうだったんだ……」


 あたしは自らの想いを全てユートに吐き出していた。

 

 ユートの顔を見るのが怖かった。ユートから拒絶されるのが怖かった。ユートから何を言われるかわからなかった。

 いつもならユートのことなんて手に取るようにわかるのに、今この瞬間だけは、ユートのことが何もわからなかった。


 あたしはユートと出会ってビッチじゃなくなってしまった。ユート以外とセックスしたいなんて欠片も思わなくなってしまった。

 そんなあたしを知ったユートの反応が、あたしは恐ろしかった。


「美咲が僕以外とセックスしてないって言ってくれて、今僕はすごく嬉しいよ。ありがとう、美咲。僕に一途でいてくれて」


 でも、そんな恐怖に震えてたあたしにかけられた声は、やっぱり優しくて。


「僕は、美咲がビッチだったからでも、ギャルだったから受け入れたわけでもないよ。美咲が美咲だったから受け入れて、好きになったんだ。どんな美咲でも好きだったから僕は美咲に何も言わなかったけど、それが間違ってたんだね」

「ちがっ! 間違ってるのはあたしで!」


 こんなあたしを、ビッチでもギャルでもないあたし自身を受け入れてくれたユートが間違ってるはずない!

 そう言おうとしたあたしを、ユートは力を込めた声で遮った。


「ううん。僕が何も言わなかったから美咲を不安にさせてしまったんだ。だからはっきり言うよ」


 そこでユートは背中に回していた手をあたしの肩に置いて、意志の強い瞳であたしを見つめてきた。


「僕は佐藤美咲が大好きです。美咲には僕以外の男とセックスなんて絶対にしてほしくないし、他の誰にも触らせたくない。僕はね、心の底ではずっと美咲のこと独占したいと思ってたんだ。僕は、そういう汚いところのある人間なんだよ。それでも、佐藤美咲のことが好きな気持ちは誰にも負けない自信がある。こんな僕でも、美咲は受け入れてくれますか?」


 ――そんな、こと。

 ユートは汚くなんてないし、汚いのはむしろあたしで、独占したいって思っててくれたなんて、でもあたしの方がもっとユートのこと独占したくて、あたしだってユート以外とセックスなんてしたくないし、ユートもあたし以外としてほしくないし、こんなあたしのことが誰よりも好きだなんて嬉しいし、ホントに、ホントに――


 あたしはまた涙を流して、顔なんてくしゃくしゃにしてしまって。それでもなんとか自分の想いを口にして。


「あた、あたし……! バカだけど……! ユートにそんなこと言わせちゃうようなバカだけど……! ユート以外の男に触れなくなっちゃった女だけど……! それでも、それでも鈴木悠斗のことが好きな気持ちは世界中の誰にも負けないから! だから、あたしとずっと一緒にいて、ほしい、です――!」


 あたしの、そんなわがままを。

 やっぱりユートは、受け入れてくれた。


「うん。ずっと一緒にいよう」


 いつの間にかユートも泣いていて、あたしも泣いていて、部屋で二人泣きながら抱きしめあって。


 その日、あたしたちは大学をサボって一日中部屋の中で過ごした。

 いつもの日常みたいだけどちょっと違う、そんな日を過ごしたんだ。






 それからの話、なんだけど。

 あたしは自分のことをもう一度見つめなおして、ホントに仲のいい友達と以外は遊ぶのを止めた。夜遅くまで遊ぶのも同時に止めた。

 そもそも別に用事もないのに夜遅くまで出歩くのが好きだったわけじゃないし、今のあたしがユートに受け入れてもらえた以上、そんなことを続ける必要もない。

 あたしは一分一秒でもユートと一緒に長くいたいのだ。


 それでもって、あたしの友達付き合いにユートも連れていく機会が増えた。

 今まではどうしたってあたしの友達とユートはタイプが違ったから連れて行かなかったんだけど、そういうことを考えるのももう止めた。


 どんな時だってユートと一緒にいたい。もちろん友達と遊ぶのも大事だけど、やっぱりユートと一緒にいる時間も減らしたくなくて。それならあたしの友達とユートが友達になってくれればいいじゃんって。そういうことなのだ。


 あたしの友達はみんな可愛くていい子だけど、ユートが浮気する心配なんて全くしてない。今までユートがあたしを傷つけるようなことなんて一度もしなかったし、これからだって絶対にしない。

 ユートのことが好きな女の子が現れたって、ユートを想う気持ちの強さであたしが負けるはずないし。一生かけてユートはあたしに夢中になってもらうんだから。


「そういえばあの日、酔っ払って帰った二回目の。あれなんだったの?」

「お酒の力を借りて、友達の彼氏に手伝ってもらって、他の男に触る練習しようとしてた。友達の彼氏には悪いけどあまりにも無理すぎて帰ってきた。でもこんなこともできなかったらユートに嫌われちゃうと思ってた」

「できなくてよかったって思うべきなのかな?」

「どうかな? でも、おかげでユートともっと繋がれたと思ったら、そうなのかも」


 なんて会話もしたっけ。

 あたしとしては、今のあたしを受け入れてもらえたことで正直他の男に触ろうなんて考えはきれいさっぱりなくなってて、むしろ触れない方がユートに一途って感じで操を立ててる気がしてよかったんだけど、ユートが「それだと美咲が困るでしょ?」って言うから、あたしはユートと一緒にカウンセリングを受けている。

 心の問題だからいつ治るかなんて言うのはわかんないけど、ユートがずっと一緒にいるからあたしは大丈夫だ。


 あたしは昔、ビッチギャルだった。

 今のあたしはなんだろう? ビッチでも、ギャルでもない、鈴木悠斗という男の人の彼女だ。


 ユート。ユート。ユート――!


 今のあたしは、とても幸せだ。

 だからあたしは、その気持ちをユートに伝えるんだ。


「好きだよ、美咲。ずっと一緒にいようね」

「ユート、好きだよ。愛してる。絶対離れないからね!」











本編分のお話終わりです!たくさんの応援、☆、フォロー、それとコメント、レビューありがとうございました!めちゃくちゃモチベになりました!

とりあえず書きたい話は書き終わったので、物語自体は完結です。

後は気になるところ修正したり本編以外の話を思いついたら書いたりすると思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました!

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