EX.あたしの彼氏は文学青年7

「男に触れなくなって、鈴木は大丈夫だったから結局鈴木と付き合うことになったぁ?」


 あたしはユートと付き合い始めてすぐの頃、梓に直接会って報告していた。

 梓は高校の時は派手に染めていた髪を黒色に戻していて、服装もちょっと落ち着いたような服装をしていて、どっちかというとギャルじゃなくて清楚系って感じの見た目になっていた。普通地味な子が派手な方にイメチェンするんじゃないかと思うんだけど、梓はその逆を行っていた。曰く「派手な見た目に飽きた」らしい。

 

 窓際の席に座って、テーブルの上にはあたしと梓が注文した紅茶やコーヒー、ケーキなんかが置かれていた。

 ここは大学近くのユートのお気に入りの喫茶店で、客の出入りが少なくて落ちついて本が読めると言っていた場所だ。だから、ちょっとした大事な話みたいなことをするのにもってこいの場所でもあった。


 そんな場所で、つい先日あったことを梓に報告したら、めちゃくちゃ呆れられたような声でそう言われてしまった。


「はい……その通りです……」


 あたしは梓に顔向けできなくて、梓から目を逸らしながら返事をした。


 ユートと付き合いだして、あたしは高校の頃ユートと付き合うつもりがないこと、つまるところはあたしがユートのことを好きになってしまうとユートを汚してしまうって考えていたことを思い出していた。


「あんた、鈴木のこと好きじゃないとか言っといて、結局それなわけ?」


 別に責めるような声音ではなくてただ呆れた感じだったんだけど、それでもなんだか責められてるような気がしてあたしは肩を縮こまらせた。そんなあたしを見て梓は「だから言ったじゃん。自分の気持ちがコントロールできるうちにどうにかしとくんだったって後悔しても知らないよって」と付け足した。


 梓には高校の時からあたしの気持ちを話していたし、大学に入ってからも何度も遊んだり連絡を取り合ったりしていたから、あたしのことはよく知っている。そんな梓からしてみたら、あたしが意固地になってユートのこと好きじゃないとか何とか言って他に彼氏作ったりしてたのを見ていたから、あたしがユートと付き合うことになったんていうのはホントに今更で呆れるような内容なのだろう。

 それに加えて、男に触れなくなったなんていのもくっついているわけで。


「……で? 男に触れなくなったっていうのは? 大丈夫なの?」

「それは……ユートに関してはまったく何もなかったから大丈夫だと思うけど……」

「ふぅん……ユート、ねぇ……? さっそく名前で呼び合うようになっちゃって?」

「い、いいじゃん別に! カレカノになったんだからフツーでしょ!?」

「いや、私別にダメとかなんとか一言も言ってないじゃん」


 梓の言葉に思わず声を上げてしまったけど、確かに梓は否定するようなこと何も言ってなかったから、あたしが勝手に自爆しただけだった。


「まぁ、美咲の中では鈴木に触れるならオッケーなのかもしれないけどさ。普通に生活していくうえで男に触れないって困ることあると思うけど」

「ユート以外の男に近寄ったりしないし」


 ユート以外の男に近づいたりなんてありえない。高校の時、ユートと出会ってからの彼氏と手をつないでいたのだって、あまり気分のいいものじゃなかったのだ。今ユートと付き合えることになったのに、なんでわざわざ他の男に近づいたりなんてしなきゃいけないのだ。

 あたしの考えはそんな感じだったんだけど、梓はそういう恋愛的な意味じゃなくて、もっと現実的な話をしていたらしい。


「いや、電車とかバスとかさ。社会に出たら男と挨拶なんかしたりするときに握手くらいならすることもあるかもしれないし。そういう場面に会うたびに吐いてたらやってられないでしょ?」

「それは……そうかもだけど……」


 確かに梓の言ってることはもっともだ。あたしの意志の届くところではあたしは他の男を近づけないことはできるかもしれないけど、それ以外のどうしようもない場面だってあるのは当たり前で。

 その度に吐いたり体調悪くなったりしていたら、あたしもしんどいけど一緒にいるユートに迷惑がかかる。


「素直に鈴木に話したほうがいいんじゃない? なんにも伝えてないんでしょ?」


 客観的に見たら、梓の言うとおりにユートに話したほうがいいのだろう。


「それはできないよぉ……」


 でも、あたしにはどうしてもユートに話せない理由があった。


「そりゃあ、またなんで?」


 梓の疑問は当然だ。

 たぶんこれは、あたしにしかわからないことで、あたししか感じないことだから、客観的に見れば間違ってるんだと思う。梓に話したってわかってもらえるとは思わない。

 でも、梓にはこれまでいっぱいお世話になってて、こんな面倒な女を友達として今まで見捨てないでくれたんだから、全部話してしまおうと思って、あたしはこの時思っていることを梓に伝えた。


「……あたしやっぱりユートのこと好きでさ。前はユートのこと好きになっちゃいけないなんて思ってたけど、ユートに付き合ってって言った日なんてそんな思いどっかにいっちゃってて。まぁ全部梓の言ってた通りだったんだけどさ。やっぱ自分でもおかしいことしてたと思ってるし、そんなんでユートのこと好きにならないとか無理じゃん?」

「当たり前すぎて何も言えない」

「それで、結局ユートと付き合うことになって、一緒にいるようになって。あたし今すっごい幸せなわけ。だってユートとカレカノになったんだよ? ユートといつでも触れ合えるんだよ? ずっと一緒にいるんだよ? 幸せじゃないわけなくない?」

「一緒にいるとか、いつでも触れ合えるとかって、あんたらまさか一緒に住んでんの? 同棲してんの?」

「ど、同棲なんてそんな!? 確かにユートの部屋にずっと寝泊まりしてるけど! 大学もユートの部屋から通ってるけど! 同棲なんてまだだよ!?」


 そう言いながら、あたしはテーブルの上の紅茶を一口飲んだ。砂糖もミルクも入れていないストレートな風味が口の中に広がった。「いやあんたの同棲の定義どうなってんのよ」なんて梓の言葉は気にしないことにした。


「もうホントになんて言ったらいいかわかんないんだけどさ……ホントに好きな人とのセックスってめちゃくちゃ気持ちいいわけ。心の満足感が段違いだし、心が気持ちいいと体も気持ちいいの。今まであたしが他の男としてきたことってなんだったわけ? ただ穴に棒入れてただけじゃん。最初からセックスがあんなに気持ちよかったら、あたしセックスのこと好きになってたよ? まあ今更ユート以外の男とセックスするなんてありえないんだけどさ」

「え、なに。急に生々しいのろけ話聞かされても困るんだけど。ていうかあんたらもうヤったの? 付き合い始めてそんなに経ってないんでしょ?」

「あたしが彼氏になったユート前にして我慢できると思ってるの?」

「え、こわ。急に開きなおんなし」

「ごめんて。……それでユートとセックスしてたらふと思い出したんだけどさ。あたしってユートと出会ったときって文字通りビッチギャルだったわけじゃん? マジで今から考えたらホントバカなことしてたと思ってるし、過去に戻れるなら過去のあたしぶん殴ってでも止めて、奇麗な体のままユートのとこ行けって蹴り上げてるけどさ」


 ケーキにフォークを突き刺しながら話を続ける。

 梓もなんだかんだ言って真面目な顔であたしの話を聞いてくれていた。


「現実問題、ユートがあたしを受け入れてくれた時のあたしってビッチなギャルだったわけで。誰とでも付き合うし、誰とでもヤるしで、高校でそういう噂が流れてたのだって知ってるよ? まあ高校生活の前半までは事実だったし。ユートと出会ったころにはもうそういうあたしが出来上がってたわけ」

「それで? 結局何が言いたいわけ?」


 なかなか結論を離さないあたしに焦れた梓が先を促してきた。

 これから梓に言おうとしてることはさっきも言ったけど、たぶんあたしにしかわからないし感じないことだから、梓に行ったって理解されないと思う。でも、やっぱり、梓にはあたしの気持ちを知っててもらいたかった。


「――ユートってもしかして、あたしがビッチギャルだったから受け入れてくれたんじゃないかなって。あたしユートと出会った後もビッチギャルみたいな感じで振舞ってたし。実際に彼氏も何人も作ったし。セフレがいるふりだってしてたし? ユートはそんなあたしを受け入れてくれてたわけで……。だから、逆に考えると、あたしがそんなんだから受け入れてくれたのかなって」


 喋りながら食べていたケーキはいつの間にか全部なくなっていて、あたしは口の中の甘さを流し込むように再び紅茶を口にした。


「今のあたしって、見た目だけはギャルって感じだけど、セフレもいないどころか他の男にも触れないようなビッチとは程遠いやつになっちゃったわけじゃん。そんなんじゃ、ユートはあたしのこと受け入れてくれないんじゃないかって思っちゃうんだよね」

「……もしかして、それで男に触れないって相談を鈴木にしないって言ってるわけ?」

「……うん」


 あたしの頷きに、梓は今日何度目かわからない呆れ顔をあたしに見せてきた。「はぁ~……」なんてこれ見よがしにため息なんて吐いているおまけつきだ。


「美咲の彼氏の鈴木は、そんなこと気にするようなやつなわけ?」

「違うし!」


 梓の言葉に、反射的に否定の言葉が出てしまう。

 違う。ユートはそんな人じゃない。あたしが傷つくようなことをするような人じゃない。


「それが答えじゃん。さっさと鈴木に話しなよ」


 梓の言葉に、あたしは首を横に振った。


「あたしだって頭ではわかってるよ。ユートはあたしがビッチギャルだったから受け入れたわけじゃないって。わかってるんだよ。でもさ、どうしたって心の奥で思っちゃうんだよ。そしたらもう無理なの。今のあたしのことなんて何も話せないの!」


 そう言いながら、あたしは自分の言葉で不安が募ってきて、だんだんと目頭が熱くなってきてしまう。


「あたし、今幸せなんだよ? ユートと一緒にいれて幸せなんだよ? 幸せすぎて怖いくらい。なのに、もし万が一ユートと別れるなんてことになったら、あたし耐えられないよ――!」


 ついには目から涙がこぼれてしまった。

 梓はそんなあたしを見て怒るでもなく慰めるでもなく。いつもと同じような態度であたしに話しかけてくれた。


「……それで? ビッチのふりをしたいわけ? 美咲の話を聞く限りは、高校の時みたいな振る舞いを変わらずしたいってことでしょ?」

「……でも、もうあたしはユート以外の男なんていらないし無理だから、他の男とどうこうなんてできないよ……」

「難しいこと言うねあんた……」


 それから二人とも黙ってしまう。梓は考えてくれているのか呆れているだけなのかわかんないけど、やっぱりいつも通りの雰囲気で、あたしにはそれがありがたかった。

 二人してもう一度紅茶とコーヒーを注文して、それが届いて。ミルクや砂糖を入れてかき混ぜて。それが終わったころに、また梓が口を開いた。


「もう、実際に行動できないなら口で言うしかないじゃん」

「……どういうこと?」


 口で言うって何? どういうこと?


「あんた高校の時もそうやってセフレがいたふりしてたでしょ? それと一緒だよ。実際に他の男と会う必要なんてないし。たまに私とか大学の友達とかと遅くまで遊んで、その後に口だけで他の男との関係を言えばいいの」

「それなら……まぁ……」


 口だけでいいなら今のあたしにだってできる。

 高校の時のセフレの嘘は、ユートの気を引きたいがための嘘だった。

 でも今回の嘘は、ユートとの関係を続けたいがための嘘だ。


 似てるようでちょっと違う。

 今のユートはあたしの彼氏で、本音を言うと、ユート以外の男とそういうことをしたって言うのは、例え真っ赤な嘘で実際には何もないのだとしてもユートを裏切ってるようで心が痛むし、気分のいいものじゃないのも確かだ。


 結局のところ最初から最後まであたしの心の問題でしかないのだから、あたしがどうにかするしかないんだけど。


 そう思っていたあたしに、梓は再び話しかけてきた。


「まぁこんなこと言ったけど、私はおススメしないけどね。普通に全部話したほうがいいと思うし、他の男とセックスしてきたみたいな話を聞かされる鈴木も可愛そうだし。というかそんな話したらそれこそ鈴木から別れるって言われないわけ?」

「ユートはあたしがそんなこと言ったくらいで別れるなんて言わないよ」

「そこまで鈴木のこと信じられるのに、どうしてこう変なところで意固地になるんだか……」


 あたしだっておかしいと思うけど、こればっかりはあたしの心の問題だからそうやすやすとどうにかなったりしないのだ。


 そんなこんなで、あたしはユートと離れたくないがために、ユートに時々「他の男とセックスしてきた」と報告することになったのだ。

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