第24話 蠢く闇

「……足りぬ。全く……足りぬ……!」


 ――その呻き声は、地下深くの封印室にこだまする。


 聖皇国・パトラギア。その中枢に位置する、王家代々が決して踏み入れてはならぬとされた「禁室」。

 だが今、その禁忌を破り、狂気に身を染めた女が、黒き祭壇の前で髪を振り乱していた。


「魔力が……魂が……すべてが……足りぬ……!!」


 白髪は乱れ、皺だらけのその顔は紅く充血し、喉を嗄らすほど叫ぶ。

 その胸元には、金糸をふんだんに使った皇族の騎士服――まさしく王の証。

 マントの奥に燃えたぎるのは、果てなき欲望。


 その眼前、五芒星と幾何学模様で縁取られた魔法陣の中心には――**「黒の箱」**があった。


 漆黒。深淵。闇そのもの。

 見ているだけで魂を引きずり込まれるような、理を逸脱した物体。


 蓋も鍵穴もない。

 ただ“在る”だけで、世界を否定するかのような圧を放つその箱に、女は取り憑かれていた。


「惜しい……惜しいのだ……!

 この箱さえ……この箱さえ開けば……我こそが、この世を統べる者となるのに!!」


 この箱は“古の至宝”。

 伝承によれば、黒の王を封じたとも、あるいは神を超えた存在を閉じ込めたとも言われている。


 それは聖皇国王族にのみ代々受け継がれ、歴代の王たちは命を賭してその開封に挑んだ。

 だが誰ひとり、開くことはできなかった。


 ――そんな伝説に、終止符を打つと信じている女こそが、


アレクシア・レア・パトラギア


聖皇国第39代女皇王。


 狂気の淵に堕ち、黒の箱に魅入られた女である。



---


 7年前。

 長き眠りを続けていたその箱が突如として黒い魔力を放出した。

 その瞬間、アレクシアは“何か”を見た。

 魔力の奔流。その美しき黒。魂を震わせる渇望。


「――もう一度……あの“美”を……!」


 以来、彼女は箱の開封に全てを賭け始めた。


 まずは、配下の魔導師たちを使って魔力を注ぎ込ませた。

 開かない。ならば、生贄だ。

 彼らを魔力供給器とし、命を箱へと注ぎ込んだ。


 それでも、箱は沈黙を保っていた。


 ならば民。

 孤児、罪人、浮浪者、身寄りのない者。

 いなくなっても誰も騒がぬ者たちを選び、生贄とした。


 それでも、なお足りなかった。


 次に手を伸ばしたのは――隣国。


 密命を帯びた騎士団が、隣国の村々を襲い、エルフやドワーフ、獣人らの子供や若者を攫っていく。

 特にアレクシアが目をつけたのは、“亜人”。


 初めて亜人を箱に捧げたとき――黒の箱は微かに“光った”。


 その瞬間、アレクシアは悟った。

 「この箱には、亜人の魂が最も適している」


 以後、箱の開封は彼女の中で国家の悲願から個の欲望へと完全に変質した。

 女皇王ではなく、ただの女となり、ただの獣となった。



---


 今や、アレクシアの頭にあるのはただひとつ。


 「満たすこと」


「……足りぬ。まだだ。まだ足りぬ。

 ならば……戦争だ。世界ごと、焼き払えばよい……」


 うわごとのように繰り返す彼女の思考は、狂気そのもの。


「まずは、あの森だ。

 あの森に潜む亜人たち……前回は愚かな騎士どもが無駄に殺しすぎた。

 今度こそ、ひとり残らず“箱の糧”にしてやる……!」


 人を人と思わぬ。

 魂を数値としてしか見ない。

 命を材料としか見なさぬ――それが今の女皇王。



---


 アレクシアはふらつく足取りで部屋を出ると、そのまま王宮へと戻り、玉座に座る。

 そして命じた。宰相、騎士団長、魔法師団長、そして選ばれた貴族たちを集めさせる。


 集った者たちの前で、彼女は告げる。

 その顔に、憎悪と歓喜の混ざった、悪鬼のような笑みを浮かべながら。


「……我が命に従え。

 パトラギア聖皇国の全軍を持って、“森”を殲滅する。

 そしてその足で、王国を滅ぼす。

 世界を喰らい尽くせ。我が“箱”の糧となるまで――」



---


 かくして。


 クロウたちの知らぬところで、破滅の歯車は静かに、だが確かに動き出していた。


 黒き箱が開かれるとき。

 この世界に、再び“黒の王”が顕現するかもしれないことを――

 誰も知らぬままに。

 

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