日比谷忠


 東京から車で走ること小一時間のN県冬馬地区。とある村に『神』がいる。との情報を得た。組織としては『神』を調査し「能力者である」と結論づけられたのなら、可及的速やかに保護しなくてはならない。然るべき処置ののち、組織の本部まで連れ帰ること。同行を拒否された、あるいは、その『神』が逃亡した、攻撃をしかけてきた、などの抵抗にあった場合、人的被害の少ない形で事態を収束させる。


 この人的被害の少なさにおいて、伊代は優秀だった。本件に伊代が駆り出されたのは『なるべく大事おおごとにならないように遂行せよ』と命じられているようなものだ。


「伊代さぁん、カフェ寄ってかなぁい?」


 運転席の日比谷ひびや忠治ただはるは沿道に喫茶店やレストランを見つけるたびに立ち寄らないかと誘うが、伊代は後部座席で『神』に関する資料に目を通しており、反応を返さない。まだ東京の間は「いいえ」と答えてくれていたのだが、あまりにも頻度が多いので、県に入ってからは無視するようになってしまった。


 助手席に座らなかったのは、座ろうとしてドアを開けたら「これって伊代さんとのドライブデートみたいでよくなぁい? 免許取っといてよかったぁ」と言われたからだ。ドライブデートではなく『任務』として車を使用するのだから、浮つかれるのは違う。すぐさまドアを閉じて後部座席に乗り込んだ。忠治は笑っていた。


 そもそも伊代は車での移動が苦手だ。車酔いしてしまう。山間部を進まねばならぬので車を使用しているが、本当は最寄りの駅まで電車に乗り、そこからは徒歩で移動したかったぐらいだ。


「ナビだと右で正解っぽいけどぉ、伊代さぁん、伊代さんの見ている資料だとなんて書いてあったりしちゃう?」


 コピー用紙三枚にまとめられている資料によれば『神』と崇め奉られている能力者は『天候を操る』能力のようだ。天に向かって祈れば雨を降らせる。雨が続けば、日照りの日を呼び込む。と、ここまでは無害に見える。問題視されているのは、その『神』その人ではなく、この『神』を運営しているらしいのほうか。地母神。


 風車宗治唯一神の他に神はいない。だ。並び立つ者は、存在し得ない。


「右の道ね」


 無視できない質問だ。この質問を無視したら違う道に入ってしまうかもしれない。伊代はナビの示す現在地と資料上の住所とを見比べて、舗装されていない砂利道のほうを指定した。竹林の間を通っていかなくてはならないようだ。


「おっけぇー」


 忠治は指示通りに右の道に入っていく。タイヤの接地面がアスファルトから外れて、車ががたごとと揺れた。


「うっ」


 振動が続いている。伊代は資料をビジネスバッグにしまった。この環境で細かい文字を読んでいたら吐いてしまいそうだ。


 車が通れるだけのスペースを広げてあっただけの道を進んでいたら、茅葺かやぶき屋根の建物の前にたどり着いた。左右を竹に囲まれていた場所から、ひらけた場所に出る。その建物から巫女服の女性が出てきて、忠治が車を止める。


「駐車場ないかどうか聞いてきちゃお」


 青ざめた顔をしてシートに全体重を預けている伊代を後部座席に置いたまま、忠治は運転席から離れた。見たところ、駐車場のような場所はなさそうだ。ないならないで、邪魔にならない場所に停めておかなければならない。巫女服の女性に声をかける。


「私も」


 伊代は這い出るように車から降りた。忠治の運転が荒かったのではない。忠治は『霜降伊代は車が苦手』と作倉から聞いているので、普段よりも安全に配慮して運転していたぐらいだ。それに、何度も車から降りて一休みしないかと提案していた。


 狭い空間から外に出て深呼吸をすれば、山間やまあいのひんやりとした空気が鼻腔を刺激する。くしゃみが出た。九月だからと油断していたが、もう一枚はワイシャツの中に着込んでくるべきだったか。昨日の段階で今日の『任務』について教えられていたら用意していただろう。いつだって後悔は先に立たない。


「あら」


 白い犬と目が合った。どっしりと座っている。伊代が両腕を広げた大きさよりも大きな犬なのに、首輪もリードもついていない。野良犬にしては小綺麗だ。飼われている犬ならば、ハーネスでもつけていそうなものだが。


「……似てる」


 伊代が近づいていくと、犬は後ろに後退りしていった。視線は外されていない。くりっとした眼球が、伊代の姿を映している。


 最初の『任務』で出会ったに似ているような気がした。


 こんな寒村にいるはずはないから、ただ似ているだけだ。たとえ似ているだけだとしても、一回なでるぐらいはさせてほしくて、伊代はさらに距離を詰めようとする。が、犬は驚いた顔をして、尻尾を巻いて逃げ出してしまった。伸ばしていた手を引っ込める。


「伊代さぁん! 芽衣さんからお話聞かせてもらえちゃったりしちゃうってぇ!」


 おそらく忠治に驚いたのだろう。きっと、そうに違いない。

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