第32話 愛の未練

 5月25日の一ヶ月ほど前から、プリンは何度も通信室をうろうろしていた。


 そして事あるごとに『ノースウインド』内にある小型シャトルを眺めていた。


 ルドルフ船長は長年彼女を支えてきたが、こんなプリン船長を見るのは初めてだ。


 プリン船長は、まさに怖いもの知らずの負けん気の強さの塊のような女性で、何事にも動じることはない。


 しかし、『バルト』が戻って来れなくなったと知って以来、ずっとどこか心ここに在らず、という感じだ。


 こんな様子は初めての事ではあったが、ルドルフにはすぐに分かった。


 プリン船長は、本当はシゲキ船長のいる『バルト』へ向かいたいのだ。


 ルドルフが知る限りでは、プリンは一度も『バルト』に対して通信を送ってはいない。あんなにウロウロしているのに、だ。


 脱出用シャトルを改造し、最新式のAI自動運転に任せ、十分な燃料を積めば、数年かければバルトに行く事は不可能ではない。


 バルトは今は小惑星帯を抜けて、加速も減速もせずにただただ太陽から130AU辺りを飛んでいて、今やノースウインドとの距離は90AUほどだ。


 バルトに着いてから、90年ぐらいは一緒に生活出来るかもしれない。一人の女性が愛のある人生をまっとうするには十分な時間だ。


 しかし恐らく、ルドルフが進言しても、プリンは首を縦に振らないであろう。


 隕石よりも硬い頑固さで突っぱねてくるに違いない。


 それもこれも、プリンが船長だからだ…


 プリンはよく言っている。


[個人の感情で船全体を危険に晒すようでは船長としては失格である]と。


 その上、プリンは自分が一番船長の器がある事をよく分かっている。


 その点、シゲキ船長はかなり個人の感情で動いているように見えたが、よりにもよって、彼女はそんな男を愛してしまったのだ。


 シゲキ船長には、確かに不思議な魅力があった。プリン船長でなくとも、多くの女性が彼にアプローチをかけたに違いない。


「個人の感情で…か。」


 ルドルフは独り言を呟いた。


 ルドルフは自分がどうしたいのか、既に気がついていた。


 −プリン船長、私のやり方は、恐らく貴方のポリシーには合いません。しかし、それで良い気がします。なんせ、私は貴方に倣う事はあっても、貴方ではないのだから。


 そんな事を考えた次の日から、ルドルフは官僚たちに根回しを始める。


 それから、脱出用シャトルの大幅な改造のために、多くのエンジニアを呼んだ。


 プリンに隠れてこっそりと『バルト』と連絡を取り合う。


(プリン船長。あなたを必ず送り届けます。だって、誰だって自分の幸せが一番であるべきじゃないですか。それが人間です。自分の幸せを噛み殺して義務にしがみつく人間に私はついていけません。)


 散々シゲキには反対されたが、ルドルフはシゲキに、「必ずプリン船長を捕まえてください。」とお願いし、彼女が『バルト』に行く事は決定事項とした。






 第33話『ルドルフ船長誕生』へと続く

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