第五話 熊谷うちわ祭り

 熊谷うちわ祭り。関東一の祇園祭とも言われる、大規模な夏祭りです。地元ではない自分は、その話をバイト仲間から聞いて初めて知りました。この辺に住んでいる人なら、誰でも知っている有名な祭りだそうです。行った事ないと言うと、じゃあ今年一緒に行こう、と誘われました。駐車場は狭いというか、限りがあるので、いつもの五人に他のバイト仲間も加えた十人弱が、二台の車に分乗しました。駅前の小川のすぐ脇に駐車スペースが並んでいるのですが、どこも空いていません。アルバイトが終わった後、夕方からでしたので、駐車スペースを探し回ったり、なんやかんやで、あまり見て回る時間はなかったと記憶しています。屋台か何かで買い食いして、ちょっと駅前をうろついて、配っていた団扇を貰いました。その後で、みんなで飲みに行ったか、遊びに行ったような気がします。うちわ祭りの思い出というよりは、単純にみんなで遊んだ思い出の一つ、と言ったところでしょうか。

 問題が起きたのは、フットサルの大会が終わって何度目かの練習の時でした。フットサルは接触プレーが禁止です。だから目の悪い自分でも、メガネを掛けたままプレー出来ます。ですがその日、運悪く相手選手との接触があって、メガネを落としてしまいました。自分のメガネはスポーツ用の、柔らかい形状記憶合金で出来ていて、レンズも割れない素材です。だから多少の事があっても、それほど問題はないのですが、落として踏んだりすれば壊れてしまいます。このメガネ落下事件を見たチームキャプテンに、コンタクトにするか、メガネなしでプレー出来なければ参加させられない、と言われました。残念ですが、自分にはこのメガネしかありません。裸眼視力でのプレーは不可能です。だから、この事件を機に、それ以降フットサルに参加しなくなりました。X崎君がその後、フットサルを楽しんでいたのかどうか、よく分かりません。


 熊谷でのアルバイトは、何年ほど続けたでしょうか。正確には覚えていません。仲間と楽しく過ごしていましたが、やはり距離の問題は大きく、二、三年ほどで辞めたと思います。距離と言えば、グランドオープンから一年ほど経ったある日、関西にある本店から、社長と専務が視察に訪れました。いつも偉そうにしていた店長が、その日ばかりは妙にペコペコしていました。全国フランチャイズ形式の古本屋で、店長になるために幾つかの方法があるそうです。自前で資金調達し、店舗を買う形式の場合は、比較的自由に出来ます。社員となって本店か直営店で数年、ほぼ無報酬のような形で働き、その後に資金提供を受けて独立する方法もあります。初期費用が必要ない代わりに、本店の直営のようになり、自由がありません。熊谷店の店長は、後者だったようです。

 視察を行っていた社長から、いちアルバイトである自分に声が掛かりました。カード売り場の担当は君か、と言うので、そうですと答えました。関西の本店でも、他店舗でも、自分の扱っていたカードゲームはあまり知られていませんでした。だから熊谷店のカードの売り上げが急に伸びた事を知って、興味を持ったようです。そのカードゲームの売り場を、関西本店まで来て整備してくれないか、というような話をされました。単なるアルバイトに、なんて事を言い出すんだと驚き、即座にお断りしました。熊谷まで一時間の通勤でさえ、アルバイトとしては有り得ない距離です。それが、関東から関西までなんて、バカじゃないかと。いや、そうは言っていませんが、内心でそう思いました。

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