015:兎衣とくまま、一触即発?

「いってきます」「いってきま〜す」


 いつも通りの朝がやってきた。

 妹の兎衣と登校するいつも通りの朝だ。


「それで〜、昨日のイベントはチェキ何枚撮ったの?」


 最近はくままの話ばかりをしている。

 僕に合わせてくれているのだろう。

 気配りができるなんて良い妹なんだ。


「昨日は20枚」


「え? 20枚も? ペース早くない?」


 同意見だ。ちょっと、ほんのちょっとだけペースが早い。

 次からは20枚一気に撮るのはやめようと思っている。

 別にくままとのツーショットが嫌なわけではない。むしろ極上の幸福だ。

 けれど20回ものポーズのバリエーションが、不甲斐ないことに僕にはないのだ。

 結局はくままに助けられながらポーズを考えて、20回分しっかりと撮れたけど……。

 おかげで家宝が25枚になったのは嬉しすぎることだが、次からは10枚くらいに抑えよう。

 でなければ身が持たない。


「本気でハマってるんだね。ご当地アイドルに。というか、くままに」


「もちろんだよ。くままは世界で一番可愛いんだ。妖精であり天使であり女神であり、それら全てを凌駕するくまま様であるのだ!」


 右手は無意識にガッツポーズを取っている。

 ついつい熱く語ってしまった。


「はいはい。わかったから。もう何十回も聞いたから。お兄ちゃんのくままへの愛は十分伝わってるから」


 呆れた表情の兎衣うい。最初の頃はドン引きしていたっけ。その時と比べればマシだな。


「誰の誰への愛だって?」


 ん? くどいぞ妹よ。今自分で言っていたじゃないか。

 だが、兎衣が何度も訊きたいというのならば、何度でもくままへの愛を叫ぼうじゃないか。


「それはもちろん、くままへの愛だ――」


 くままへの愛を語ろうとした僕の目の前に突然――


「よ、妖精さん!? じゃなくて、小熊さん!?」


 突然くままこと小熊さんが現れた。

 幻覚なんかじゃない。正真正銘本物の天使だ。


「へ〜。への愛か〜」


 まさか登校中に天使と……じゃなくて、小熊さんと鉢合わせるだなんて。

 さっきの質問は兎衣からじゃなくて、小熊さんからだったのか。

 ついつい愛を語るのに夢中になりすぎて気付かなかった。

 というか僕、気持ち悪い発言連発してなかったか?

 もしも訊かれてたとなると……やばい。やばいぞ、この状況。

 気持ち悪がられて嫌われてしまう可能性が濃厚だ。

 妹よ。この状況なんとかしてくれ! 兄を助けてくれ!


「あなたがお兄ちゃんをですね」


 えぇええ!? なんで喧嘩腰なの!?

 たぶらかしてる女、って……どうしちゃったんだよ、妹よ!


「ん? そうよ。私が隼兎はやとくんをたぶらかしてる女よ!」


「ちょ、何言ってるの!? 否定して! 否定!」


 小熊さんも何を言ってるんだよ!

 兎衣に合わせてくれてるのかもしんないけど、それじゃ火に油だよ!


「あなたがお兄ちゃんをたぶらかしてるせいで、お兄ちゃんは変わってしまったわ! シャツを見て! 靴も見て!」


 兎衣ういは僕のシャツと靴を指差した。

 その指先を辿るように小熊さんの視線が動く。


「黄色いね」


「そうなのよ。お兄ちゃんは黄色くなってるのよ! 何を買うのにも黄色のものばっかり選んでるの! このままじゃお兄ちゃん全身黄色くなっちゃうよ! 今日のパンツだって黄色いんだから!」


「ちょっ! 兎衣、何言ってるの!? 本当に何言ってるんだよ!?」


 まさかパンツの色までバラされるとは。

 というかなんで黄色いパンツ履いてるって知ってるんだよ。


「パンツまで黄色なのね。ふふっ。確認のためにちょっと見てもいい?」


「小熊さんまで何言ってるの!? ダメに決まってるでしょ!」


「妹ちゃんには見せてるのに? 推しのくままちゃんにはダメなの?」


「兎衣に見せた覚えはないし、推しだからって見せるものじゃないでしょ!」


 ちょっと声を荒げてしまった。

 でもこれくらい言わなきゃ、小熊さんも悪ふざけをやめてくれないだろう。


「――なッ!!!」


 衝撃的な光景が映り、僕の脳を刺激する。

 それによって思わず声が漏れる。

 僕の瞳には今まさに〝くままポーズ〟を取ろうとしている小熊さんの姿が映っているのだ。

 小熊さんの悪ふざけ。それも最上級の悪ふざけが始まろうとしている。

 ダメだ。すぐにでもやめさせなければ。でなければ僕の命が危ない。


「くままポーズ!! 」


「――ぐはッ!!!」


 下校中もそうだったが、登校中のくままポーズもなかなかに……最高だ。

 辛うじて生きているが……この心臓いつまで持つか……。


「何やってるの?」


 まるでゴミでも見ているかのような兎衣の表情。

 妹にそんな目で見られる日が来るなんてな……。

 仕方ないか。全人類くままポーズには抗えないからな。


「妹よ。先に行け……ここは僕一人で」


「隼兎くん。キミ一人でどうにかできるほどくままポーズはヤワではないのだよ」


「わかってるさ。でも、大事な妹なんだ」


「くまくまくまくまッ! 兄妹共々くままポーズによって散るがいい! くまくまくまくまッ!」


「だから何やってるの? あと何その笑い方……」


 くままポーズを前に平然としていられるだなんて……さすが妹だ。すごいぞ。

 あと僕も笑い方気になってたところだ。的確なツッコミも感謝する。


「ふふっ。これぐらいで勘弁してあげるわ」


 小熊さんはくままポーズから解放してくれた。

 危なかった。あと1分も続いていれば、僕は確実に意識を失っていたはず。

 なんて可愛いポーズなんだ。朝から幸せをありがとう。


「ところで妹ちゃん」


「な、なんですか?」


 小熊さんは兎衣を手招きする。

 兎衣はため息混じりで仕方なく小熊さんの方へと向かった。

 そして小熊さんは兎衣にこそこそと耳打ちを始めた。

 誰かに訊かれたくないことでもあるのだろうか。

 と言ってもここには僕たちしかいない。誰かに訊かれる心配なんてないはずなのに。

 まさか、僕に訊かれたくないことが!?

 くッ、何を話してるんだ? 意識し始めた途端、めちゃくちゃ気になり始めた。


「かくかくくまくまで……」


「かくかくくまくまなんですね……」


「そうなの。かくかくくまくまなの」


 くそッ。聞き耳を立ててはいるが、何言ってるか全く聞き取れない。

 でも兎衣の表情が少し和らいでるのがわかる。

 和らいでるというよりは照れてる? 顔が真っ赤だぞ。

 本当に何を言ったんだ小熊さんは……。


「私のには妹ちゃんの協力が必要不可欠よ」


「計画というよりはですね。あと妹ちゃんじゃなくて兎衣ですよ」


「おっ、やる気になってくれた感じかな?」


「やる気にはなってませんが、良い話なのは間違いありませんからね。くままちゃんの以外はですけど」


「ふふっ。これから仲良くしましょうね。


「ええ。よろしくお願いします。


 あ、あれ? 仲良くなってない?

 握手まで交わしちゃってるよ。

 本当に何を話したんだろう。


「行くよ。お兄ちゃん」


「あっ、うん」


 兎衣が強引に僕を引っ張る。

 だけどその強引に引っ張る小さな手はとても優しく、大事に思われているのだとわかる。


「隼兎くん、くままポーズの続きは学校でねっ! 今日こそ普通のツーショット写真を撮ってみせるから!」


「学校でのくままポーズは校則違反だぞ。可愛すぎて死人が出るから」


「ふふっ。それは困る。じゃあまた学校でね!」


「あっ、ま、また学校で」


 このまま3人で登校したかったけど、小熊さんは元気いっぱいに手を振りながら走り去っていった。

 太陽のように明るい笑顔も、風になびく長い髪も、ミルク石鹸の甘い香も、耳に残った心地良い声も、どれもが離れていく。

 それなのにまた一つ距離が近付いた気がした。

 そう思わせる一つの要因は兎衣の笑顔にもあるのかもしれない。

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