《2学期突入編》

009:新しい朝は〝推し色〟に輝く

 ――ジリリリリリリリリリリッ!!!


 目覚まし時計の激しい音が僕の意識を覚醒へと導く。

 今日はいつもよりも多めに目覚まし時計をセットしている。

 なんてったって今日は始業式だ。遅刻しないための目覚ましなのだ。


 消し忘れがないか寝ぼけた頭で何度も確認し、ようやくベットから起き上がった。


「くままに会いたいな……」


 起きて早々に出た言葉がこれだ。

 ファンとして模範的な第一声に違いない。

 昨日のイベントの余韻が抜けていない、と言われてしまえばそうなってしまうが……。


 次にくままに会えるのは、今週の日曜日か。

 ご当地アイドルとして活動するくままのイベントスケジュールは頭の中に入っている。

 その頭の中に入っているイベントスケジュールによると直近のイベントは今週の日曜日。

 今は月曜日だ。6日間も耐え続けなければいけないだなんて……拷問にしか思えないんだが?


 くままのことを考えながら済ませる朝食。

 新学期の準備は抜かりなく前日にやっていたため、最終確認をするだけだ。

 くままのことを考えながらでも生活に支障をきたすことはない。

 むしろ世界がバラ色に輝いて見える。いや、黄色だ。推し色に輝いて見える。

 くままと出会ったおかげで人生が何十倍も――いや、何百倍も楽しい。

 推しができるってこんなにも楽しいだなんて。

 今ではくままの曲を鼻歌で口ずさむほど。人前では口ずさまないけど。


「お兄ちゃん、またその鼻歌ー。好きだねその曲」


 訂正しよう。人前で口ずさむこともある。


 僕に声をかけてきたのは、一個下の妹の兎衣ういだ。

 玄関でばったり鉢合わせた。

 そういえば兎衣ういも今日が始業式だったな。


「ご当地アイドルの曲だっけ?」


「え? なんで知ってるの?」


 まさか妹もくままのファンなのでは?

 地元のアイドルだもんな。そりゃ同性としても応援したくなるか。

 さすが僕の妹だ。血は争えんな。


「知ってるも何も、いつもお兄ちゃん部屋で叫びまくってるじゃん! 特に昨日とかヤバかったよ。それで気になってちょっと調べたの。そしたらご当地アイドルのIRISアイリスだってことがわかったの」


 つまりあれか……兎衣ういはくままをご存知ではないということか。ちょっと残念だ。

 でも僕きっかけで知ってくれて嬉しいな。

 これが布教活動ってやつか?

 って、ちょっと待てよ。布教活動がどうとか以前に衝撃的な発言を聞き逃さなかったぞ。


「ちょっと待って! 僕が叫びまくってるだって!?」


「うん。くままが〜、くままが〜、って。壁が薄くて聞こえちゃってるんだよね」


「そ、そんなに聞こえてたの? というか声に出してたなんて……」


「え……無意識だったの? 無意識であんなに大きな声で愛を叫んでたの? お兄ちゃん大丈夫? くままに危ない蜂蜜とか飲まされた? それとも呪われてる? 妹として心配なんだけど……」


 妹に心配させてしまうだなんて、兄として情けない。

 それにしてもだ。無意識に叫んでたなんて。

 学校でも叫んでしまわないように気をつけないとだな。


「妹よ。大丈夫だ。くままは悪い熊さんなんかじゃない。断じて誓おう。くままという存在は、天使や女神をも凌駕する唯一無二の存在だ。くままがいれば世界は平和になる! くままこそこの世の全てだ!」


「あっ、うん……大丈夫じゃないみたいだね。もう手遅れみたいだね……」


「手遅れ……? そうだ! 遅刻だけは避けたい! 早く行くよ。いってきます!」


 兎衣にドン引きされながら、僕は玄関を出た。


「ちょ、お兄ちゃん! 待ってよー! いってきま〜す!」


 後ろから兎衣が小走りで追いかけて来るのがわかる。

 すぐに追いついて僕の横を歩く。

 兎衣の表情は玄関にいた時と同じ――引きつったままだったが、僕たち兄妹の仲は決して悪くないと思う。

 こうして学校までの途中の道のりを一緒に登校するほどには仲は悪くない。

 だけどご当地アイドルIRISアイリスの――くままのことを話題にしたのは初めてだ。


「それで……お兄ちゃん、いくら使ったの? そのご当地アイドルに」


「何でそういう話になるんだ?」


「だってお兄ちゃんの様子を見るに、めっちゃみついでそうだもん。それでいくら使ったの?」


「いくらって……チェキ5枚分……だけだけど?」


 初めてのツーショットチェキが1枚、リベンジとして撮ったツーショットチェキが2枚、そこからもう一枚もう一枚と言って撮ったチェキが2枚。合計5枚だ。間違いない。


「え? それだけ? 何かに取り憑かれたかのようにグッズとか大量に買ってるのかと思ってた。意外と冷静なんだね」


「僕を何だと思ってるんだよ」


「くままの信者」


 兎衣は即答だった。

 そして完璧な回答だった。


「間違いないね」


「あの趣味がひとつもなかったお兄ちゃんをここまで変えてしまうなんて……推しの存在って恐ろしい……。でもまあ、詐欺とか変な宗教に騙されるよりはマシか……。ハマりすぎには注意だけど……その時は私が妹として、ううん、家族として止めてあげるね」


「その時は一緒にくままを応援しようよ。家族としてさ」


 兎衣も一緒にくままを応援するってなると、スリーショットチェキを撮る可能性があるな。

 値段はいくらになるんだろう? ツーショットチェキと同じかな?

 そもそもスリーショットチェキとか撮れるのかな?

 今度運営さんに聞いてみるか。

 スリーショットチェキはマジで山本家の家宝になるぞ。

 想像するだけで楽しいな。こんなに楽しい登校は初めてだ。


「お兄ちゃん、何ニヤけてるの? 私はそういうのにハマったりしないから、お兄ちゃんの期待に応えられないよ。それじゃあ私はこっちだから。じゃあねっ」


「あっ、うん。気をつけてね」


 兎衣は中学校へ、僕は高校へ。その分かれ道がここ。

 そのまま僕は寂しさのようなものを感じながら、始業式が待ち構える学校へと向かった。

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