孤独を好いていた人生だったと思う。


 幼少期から人と触れあったり馴れ合ったりするのが苦手だった。

 煩わしい気持ちがあって、群れて行動することも面倒で仕方がなかったし、無理に他人と趣味嗜好を共有するだの同調するだのが堪らなく嫌だった。

 テレビに映るアイドルの誰彼のことだとか話題のポップスだとか、流行りのファッションだの今年のトレンドカラーだのに振り回されるのが嫌だった。


 中学生くらいの時分から他人を避けてみたり、半ば不登校のようにもなっていた。

 煙草はその時分からの習慣だった。

 煙を纏って登校すると子供であれ大人であれ私という人間を理解せざるを得ない。

 つまり、私という子供は少数派だとか忌み嫌われるような立場で、切っ掛けとするように、以降の私に関わろうとする人物は激減したと思う。


 では不良だったかといえばそれも違う。

 所謂ヤンキーと呼ばれる人種も嫌いだった。

 喧しいし横柄な態度は率直にいって癪だ。

 威圧するような大声も過度な香水のニオイも嫌悪に値する。

 何度か絡まれもしたし、危ない目に遭ったような気もするが、そういった対処も何となくのところで出来ていたと思う。


『あの女、生意気だわ』

『鼻持ちならんわね』

『高飛車だとかという話しの程度じゃないのよ』

『そうね、まるでヒロインの気取りでいけ好かない』


 次第に私の居場所はなくなっていった気がする。

 元よりないも同然だったが、高校生活の三年間は出席日数もギリギリで、卒業を危ぶまれる位置に私はあった。それでもなんとかして卒業は出来た。


 家庭での私の立場というのも不思議なもので、所謂空気のような感じで、父も母も当然のようにいたが、私に構うことは少なかったと思う。

 高校を卒業し、大学へ通うことになると、彼等は私に住まいを提供し、生活は今後そちらでしてくれと簡潔にいわれた。


 何とも思わない私が可笑しいのかもしれない。

 愛情のない両親だったかというと恐らくそうでもない。

 ただ、私が禄に反応を示さなかった結果が関係値の全てを物語るだろう。


 興味を抱くことが出来ないでいる。

 他人に、いや肉親を含めて、私は全ての人類を相手にまったくの無関心でしかいられない。


 もしかしたら精神的な異常を抱えているのかもしれない。

 だが検査の一つもしてこなかったから、これが私だという自覚を抱く他にない。


 面倒だとか拒絶の気持ちが核にある。

 叶うならば誰にも話しかけられたくない。


 よく聞く言葉に、他者の存在なくして生きることは出来ないという。

 含めて他者に優しくするべきだともいう。

 尤もだろう。

 だがそれを理解しても尚、私は誰とも関係を持ちたいとは思わなかった。


 結論を出すならば、私という人間は社会不適合者であって、自分勝手で、とても普通という枠組みの中ではまともに生きられないヒトモドキだろう。

 とはいえ自覚すれども、では死ねばいいのではないかと思われようが、或いは自己完結しようが、死ぬのは恐怖だしそんな勇気もない。許容される範囲で――されてはいないだろうが――私は静かに身勝手に生きてきた。


 あとの人生はそのままだ。

 適当な会社にでも入社してなんとなしに年老いて死ぬ。

 それが完遂出来るか否かは定かではない。

 ただ要領は割とよい方だったし、適当にやっても人並以上の成果を出してきた。

 そういった部分が可愛げのない人形のそれにも思われてきただろうが、能力値は生まれ持ったものだとして、きっと私にはこの器用な能力の他に優れたものはないと自覚している。


 なんとも呆れた生き物だと思う。

 思えども、こう生まれてしまったからにはそうやって生きていくしかない。


 後悔を抱いたことはない。

 孤独を辛いと思ったことも同じく。

 その時、その時の流れに身を任せ、私は死ぬまで面倒臭がりで生きていくしかないんだろう。


「不味そうな顔をして煙草を吸うんだね、あなた」

「は?」


 口先にあった煙草が感触から消え失せたのと突然の台詞は同時のことだった。


 梅雨も間近な時期だったと思う。

 大学一年生になった私は付近の喫煙所でいつものように呆けた感じで煙草を吸っていた。

 言葉を寄越されて顔をあげてみれば、そこには今し方私の口先から奪った煙草を手に持ち、顰め面でそれを見つめる女性がいた。


「……あの、なんですか、いきなり」


 藪から棒にとかいう次元の話しではなかった。

 まず見知らぬ人だったし、唐突に煙草を取り上げられた事実も意味不明だった。

 戸惑いつつ適当な台詞をいう私に彼女は小さく笑う。


「いやその、なんか煙草を吸う割に全然似合わない風だったから、なんか見かねちゃってね」

「はぁ……」


 なんのこっちゃ、というのがシンプルな感想だった。

 人によっては異常者の行動にも思えるだろうし、赤の他人によく分からない感想を述べられてお節介のような真似をされたら、それは普通に考えても気味が悪い。


 しかしそうならないのは彼女が美女だったからだろう。


 今時の風だった。

 緩く巻かれた亜麻色の髪だとか濃過ぎない化粧だとか、淡い色のカーディガンにロングスカートの姿は婦女子の様で、顔立ちは美形だったし笑顔も愛くるしい。

 細い首や腕も、白磁のような肌も、全身を見た感想はやっぱり今風の女性で、声色にも悪意はなく、寧ろ無邪気な風で気味の悪さはなかった。


 とはいえ突然の行動だし、やはり面識もない他人だ。

 それが嫌煙家の仕業だとしたら腑に落ちるかもしれないが、何となくそういう人種にも思えなかった。


 私は首を傾げつつ懐からシガーボックスを取り出し、彼女の台詞に適当な返事をすると新たな紙巻に火を灯す。

 そうしてから背を向けるとその場から立ち去るべく歩き始めるが、何故か彼女は自然なことのように後をついてきた。


「……いやあの、何? 普通に怖いんだけど」

「いやぁ、また煙草吸ってるなぁって。しかも歩き煙草」


 よもや後をついてくるとは思いもせず、先までの印象はやはりマイナスに傾き、これは面倒な手合いだと結論した。

 そうしてから何故に絡んでくるのかと疑問を抱くが、やはりというか私特有の感性というべきか、面倒が勝るが故に適当に済ませようとする。


「その、煙草がお嫌いなら先ので満足したでしょう? もう済んだのならそこで終わりにしてほしいんだけど」

「まぁまぁ、別に嫌がらせしたいとかじゃないの。何となくあなたが気になっちゃってね」

「はぁ……?」


 一体全体何事だろうかと胸中は珍しく焦燥に満ちていた。

 所謂、気の触れた人物と対峙したことがない。

 そういう風に見えなくても彼女の行動はどう考えても普通とは違う。


 何故か隣に立ち私の歩幅に合わせるように歩みを続ける美女。

 紡がれた台詞に理解が及ばないと思いつつ、さてどう切り抜けるべきかと考えた。


「津出椿さんだよね、あなた?」

「……そうだけど、何で名前を?」

「お、やっとそれらしい反応をしてくれた。私は出流零。同じ大学の同期なの。いつかの授業で見たから何となく覚えていたんだよね、あなたのこと」


 名前までかといいかけて口を噤む。

 果たして私を知る誰彼が同じ大学にどれだけいるかは分からない。

 だが情報なんてものは知ろうと思えば手段は幾らでもあるだろう。

 だから彼女が私の名前を知っていても可笑しくはない。

 けれども何故に名前を知ろうとしたのか、どういった気持ちで覚えようと思ったのかは疑問だった。


「一人が多いの? 誰ともつるんでいないよね」


 対して「あなたは友達が多そうね」とでも返せばよかっただろうか。

 厭味に取られるかは不明だ。

 だが会話を続ける気が起きなくて相槌しか打てないでいる。


 そんな私の態度やら反応を見れば大抵の人は怪訝そうに、或いは不快そうに会話を切り上げて離れてくれるのに彼女は会話を続けようとしていた。


「煙草は何を吸ってるの? ダンヒル? 渋いね、女の子で吸ってる人、見たことないよ。あ、別に未成年喫煙を叱るだとか誰かに言いつけようだなんて気はないからね」


 では先の行動はなんだったのかと改めて疑問が浮かぶ。


「気になる?」

「え?」

「いや、訊きたそうな表情だったから」


 彼女の大きな瞳が私を射抜く。

 私の表情がそう見えたと彼女はいった。

 仏頂面の鉄面皮とまで蔑まれた私の表情から感情を読み取る人物がいるとは思えなかったが、しかし事実、その疑問は抱いていた。

 少なからず見透かされた気がして驚いたが、私は彼女の言葉を無視する。

 フィルターまで吸いつくした煙草を携帯灰皿に押し込み、それを手慣れた動作で仕舞う。


「……悪いけれど急ぎの用事があるから、これで」


 無論それは嘘の言葉だった。単純に面倒を終わらせるための台詞だった。

 見え透いていたものだったかもしれない。

 けれども私は彼女の反応も待たずに背を向ける。

 向かう先は大学の予定だったがその気力も削がれた。このまま本日は家で静かに過ごそうと結論する。


「……そう。それじゃあ」


 てっきり彼女はしつこくする性質かと思いきや、私の言葉を受けて素直に引き下がった。

 先までの問答やら意味不明なやり取りからすると拍子抜けする程だったが、何にせよ面倒からの解放により心持ちは軽やかになり、先までの微妙な緊張感からの離脱も加味して妙な安堵感に包まれもした。


 振り返ることもせずに気配だけで様子を窺う。

 足音はついてこないし視線も感じない。間違いなくエスケープは完了だった。


(また妙な人間に絡まれたわね、ああ面倒臭い……)


 ああいった手合いは初のことだったが、感想を述べるならば奇妙、に尽きた。

 暫く歩き、再度煙草に火を灯し、煙を吹きながら帰路を辿る。その最中に先の美女の顔が浮かび、願わくば二度と再会せぬようにと祈りもした。


(私が変な人間だっていうんなら、きっと世の中にはそれに似た人種が幾らかも蔓延っているんじゃないの)


 これまで私に向けられてきた奇異な視線の数々。

 私は先々のそれらと同じ面持ちで彼女に接しただろう。

 そうなると世の中には変人奇人が少なからずいて、孤独主義者の私もそれに含まれるにしても、存外、存在しているのは自然なことなのかもしれないと思う。

 何せああいった今時の、それも見目麗しい程の美女ですら外観に見合わないというか意外な真似をする訳だから、やはり人の裡なんてものは分かったものじゃない。


「はぁー……ご飯、何食べるかなぁ」


 昼の街中の隅の方で私はぼんやり呟いていた。

 立ち昇る煙が揺れる。

 梅雨の近付いたまろみを感じる湿気た風に撫でられ、煙は揺れる。

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