千鳥ヶ淵 -明治まほろば百合語-
タチバナ シズカ
プロローグ
乙女達は死んだ。
自分達の清廉潔白を証明する為に身を投げた。
冬の凍てつく寒さの千鳥ヶ淵だった。
指を繋ぎ、愛の言葉を交わし、永劫を願って死んだ。
深淵を思わせる水底に沈んだ。
肺の中の空気が尽きても、意識を断ち切る程の水の冷たさや想像を超えた苦しみの中にあっても、乙女達は死ぬことに後悔はなかった。
月の浮く夜だった。
乙女達は今際の際に水面に映える月を見ていた。
指を繋いだまま、直に命が途絶える瞬間に灌がれるような気持ちになった。
そうして乙女達は死んだ。
時代に翻弄されても、鳥籠の中にあるような生活であれども、乙女達は乙女達の思う自由と恋愛というものを手に入れて、そしてそれが今世では確実に叶わないと知ったから乙女達は千鳥ヶ淵に沈んだ。
月夜の千鳥ヶ淵に水泡が浮かび、やがて止んだ。
静寂の内で乙女達の恋愛と生涯は終わりを迎えた。
月は浮かぶだけだった。
風は小さく鳴くだけだった。
凪いだ水面には何もなかった。
全ての物語は乙女達と共に水底へ沈んだ。
だから月も、風も、水面も沈黙した。
ただ、それでも乙女達の軌跡を、或いは思い出を、もしくは情熱と呼べるものを証明するべく沈黙の千鳥ヶ淵に浮かんだものがある。
それは深淵から這い上がってくるように浮かんできた。
凪いだ水面に、乙女達の最期の息吹きと共に浮かんだ。
月も、風も、水面も、それを見て沈黙を破った。
月は輝き、風は荒んで、水面が揺れた。
揺れると共に浮かんできた情熱の証明は漂って、月明かりに照らされて沈黙の世界に存在を誇示するように御堀の縁へと辿り着いた。
それは火炎を思わせる、烈々とした、赤い色をしたリボンだった。
乙女達は死んだ。
互いの指を赤いリボンで結んで、永劫の誓いと愛の言葉を交わして、互いに同じ拍子で冬の千鳥ヶ淵に身を投げて死んだ。
生まれ落ちた情熱は乙女達の死により世界へと迎え入れられた。
月も、風も、水面も、絶望の果てに永劫を願った乙女達から生まれ落ちた赤いリボンを祝福し、決して静寂に終わることがないようにと、乙女達の死と赤いリボンの生まれを憂い、故に輝き、故に荒れ、故に波立った。
乙女達は死んだ。
死んだ。
死んだのだ。
千鳥ヶ淵へとやってきて、世界の理から逃れるべく。
自分達の愛を証明する為に、後の世で再会するべく、愛の為に死んだ。
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