自己満
@aiueokakikukeko123456789
化石
Aは目が覚めると土の中にいた。
最初に気づいたことは大っ嫌いな目覚まし時計の音がないことだった。
いつぶりかという心地よい目覚めの中、彼は目を擦ろうとした。
しかし、腕は動いてくれない。目の前の景色も暗闇ばかりだ。
数秒の思考停止ののち、自身の置かれた状況をとりあえずは把握する。
寝ぼけていたのだろうか。
こんなにもあからさまな土の匂いに気づくまで、十数秒はかかった。
Aは自身でも驚くほど冷静沈着だった。
彼が生き埋めにされたと気づいてから最初に考えたことは、横向きに埋められてよかったということだった。もし縦向きだったらこの不自由極まりないこの空間で死ぬまで直立不動を続けていたかと思うと身がすくんだ。幸い、彼は彼が最も寝やすい体勢をとっていたし、頭近くの土は枕のようにこんもりと盛り上がっていた。寝返りをうてないことは重大な懸念の一つだったが、繰り返し身体を捻じればそれが可能なくらいのスペースを掘削できるだろうとすらと考えていた。
Aは多幸感に満ち溢れていた。
仕事に行かなくていいという事実だけで、全てが幸福に感じられた。
それどころか、ずっと寝転んでいられるなんて!
おそらく、この時の彼程寛容な者は史上存在しないだろう。
ブッダもキリストも相手にすらならない。
彼にとってすぐそこを這いまわる虫の感覚も、今にも崩れそうな土塊の威圧感も、
全てがどうでもいい、くだらないことだった。
Aはただ心地よさだけに身を任せることにした。
すると、あまりにも大量の眠気が津波のように襲ってくる。
彼はこれに身を任せることも出来たが、眠る前に一度眠ってしまっても問題ないか確認するという、長年の癖がこんな時ですら仕事を果たそうとする。
友人は、大した数いない。恋人は、いつの間にか消えていた。家族は、ついこの間勘当されたばかりじゃないか。
彼は大きく安堵のため息をついた。よかった。忘れ物はないや。
彼は津波の中に飛び込もうとした。
なぜか足がすくむ。動いてくれない。
Aの頭に浮かび上がったのは恐怖でも後悔でもなかった。
それは、未来のこと。
多分、ニュースか何かで流れるんだろう。「先日未明、都内在住のAさんが行方をくらましました。」いや、これが何かしらの災害が原因だとしたら、「昨日深夜3時ごろに発生した地震による死者は8名、行方不明者は16名、」とでも言われるのか。
俺の人生はただの数字を構成するちっぽけな要素として処理されるのか。
突如として彼の脳裏には未練の二文字が刻まれた。
先程まで安堵の材料だったことが空虚の原料として再生産される。
そうか、俺が死のうが死ぬまいが結局俺は見向きもされないんだ。
ずっと隠れていた承認欲求のつぼみが花開く。
Aの心にはようやく、死にたくないという願望が芽吹いた。
ただ、もうどうしようもない。
彼は必死にもがいたが、縋れるような藁も浮いていなかった。
彼は眠気に溺れることしかできなかった。それはずっと酷使され続けた身体の復讐だったかもしれないし、ただもう限界だっただけなのかもしれない。おそらく生き埋めにされようがされまいが、彼の命日は今日だと決まっていた。
ひたすらに、沈んでいく。その感覚だけがずっと残っていく。
Aの肉体は化石になっていた。
途方も無い時間が経った。時間という概念を忘れるくらいには。
突然、彼の姿を光が照らす。
そのあまりにも懐かしい感覚が彼の意識を蘇らせた。
彼は眩しさというものが何であったか確認しようとしてまぶたを開こうとした。
目なんてついてなかった。
次に彼は飽き飽きしつくした土の匂いから逃れようと腕を動かそうとした。
腕なんてついてなかった。
彼は何となく現状を察したが、とりあえずは目を逸らすこととした。
すると、なにか音が聞こえてくる。
「博士!こんなに保存状態が良好な化石は初めてですよ!」
「おお、これはすごい。確かにこんなにはっきりとしたヒトの頭蓋骨はわしも初めてじゃ。」
それは以前感じていた五感とは似て非なるものではあったが、彼はその意味をはっきりと理解できた。彼らのぶよぶよとした粘液が纏わりついた、毛虫が二足歩行を始めたようなフォルムもよく見える。少しばかり吐き気に似た感覚を思い出したが、吐き出す口もついていなかったので問題はなかった。
Aは興奮していた。勝利感すら感じていた。
彼はこの奇怪極まる状況すらどうでもいいと感じるまでにそれを欲していた。
俺は遂に特別な存在へとなったのだ。
バカな上司、恋人、友人、家族、その他諸々のくそったれどもは消えてしまったのかもしれない。俺は違う。俺は特別な存在として、博物館の一番目立つところに置かれるのだ。パンフレットはもちろん表紙。大勢の子供達が俺目当てで行列を作るのだ。
Aは妄想にうっとりとしていた。
たとえ本当に博物館に飾られたとしても、それを眺めるのは彼が認めてほしいと望んだ人間とは全く異なる異形の存在なのだ。しかしそんなことは些細なことだと錯覚するほど、長いこと醸造された承認欲求は強烈な匂いを放っていた。
「よし、骨を削りだそう。」毛虫博士がそう言って謎の器具を取り出す。
彼は興奮の絶頂にいた。周りの石が削れていくことに快感すら覚えていた。
博士の器具は驚くほど正確に頭蓋骨を切り出し始めた。
しかし、なぜか彼の視点では大雑把に切り出しているのだと思えた。
その違いにAは気づくはずもなかった。
ぽろっ
Aは困惑した。体が落下し、地面に跳ね返される感覚を覚えたからだ。
確かに、彼が困惑するのも無理はなかった。
彼が生活していた時には爪を切ったときや髪の毛を抜いた時に意識がそのゴミとともに身体から離れるなんてことはあり得なかったからだ。
しかしあまりにも長い時の流れがそれをあり得るものとした。
Aの意識の源泉はとっくに彼の身体から離れていた。
彼は自分が頭蓋骨なのだと勝手に思い込んでいたが、実際はその周りを覆うありきたりな石の一粒に過ぎなかったのだ。
生きていて見向きもされなかった者が死んでから目を向けられることなどないのだ。
Aがそれに気づいたとき、Aは石っころに成り果てた。
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