第四節 選択

第三十話

敦海あつみどのは清原王きよはらのおおきみのお味方かと思っておりましたぞ」

 人々が立ち去ったあとの閑散とした部屋で、ひのき氏の当主虎守こもりあし氏の当主に声をかけた。葦氏の当主敦海あつみは艶然と笑うと「虎守こもりどの。……わたしは見極めておるのだよ、若き王を」と言った。

「なるほど」

「文字の能力のない女をきさきに選んだのだ。しかも、ふじ氏の娘との婚姻を破棄してまで。どのようにこの難局を乗り切っていくのか、見てやろうと思うてな」


「私は聖子せいこどのの方が適任だと思っておりましたよ」

「文字の力があるからの」

「そうです。妃に文字の力がないと、天皇一人で責を負わねばならぬことも多い」

「……そのようなこと、分かっていて、嘉子かこどのを妃にしたと思うぞ。わたしはの、覚悟を見たのだよ。清原王きよはらのおおきみに。あの方は幼いころから、よくも悪くも素直な方だった。……わたしはつまらぬ人間だと思うておった。力はあるそうだが、これもまた凡庸なおおきみにしかなれぬな、と。世界の不調は続くのか、と。――しかし、どうだ。どう考えても藤氏の娘との婚姻が必須であるこの状況下で、文字の能力のない娘との結婚を押し切った。思いがけないほどの強さで」


「正直、私も驚きました。せめて側女そばめにすればよいものを」

「だろう? しかも、早々に懐妊した。これをなんと読む?」

「――私には分かりかねます」

「わたしはおもしろいと思うておる。あの嘉子妃かこひも、ただ美しいだけの娘ではない」

「と、申しますと?」

「あの娘の目にも覚悟が見える。それに」

「それに?」

「なんとなくだが、――嘉子妃かこひは……本当に、力がないのか?」

 敦海あつみは顎に手を当てて、考え込む顔をした。


「と、申しますのは?」

「わたしは、嘉子妃かこひの周りでユキヤナギが舞うのを何度か見かけたのだ」

「それは私も見ましたよ。清原王きよはらのおおきみのお力かと」

「――わたしには、それだけでないように見えるのだよ」

「しかし、もし、文字の力があれば、ここまで追い込まれないのですから、あることを隠す方がおかしいでしょう」

「いかにも。……そうだなあ。文字の力はないのであろうなあ」


 二人の間にしばらく沈黙が流れたあと、虎守こもりが口を開いた。

敦海あつみどのは今度の豊饒の祈りには参加されないのですよね?」

「……わたしの担当は海だからの。それに、橘三人たちばなのみひとがやたらと張り切って、我らの上に立とうとしているのが、片腹痛いわ」

「なるほど」

「そういう、おぬしも参加しないのであろ?」

「……私は武人でありますゆえ」

 敦海あつみはくっくと笑うと、「たちばな以外はやはり様子見か。しかし、橘はいま、文字の能力者がほとんどいない。当主の三人みひとと盲目の娘くらいではないか? 力があるのは」

「そうですね」

「その中で、清原王きよはらのおおきみがどのように天に祈りを捧げるのか、見守ろうではないか」


 天皇は、長歌による祝詞のりとで神に祈りを届ける。

 それに対する反歌を詠むと、効力は増す。当然反歌の数は多い方がよい。通常は妃がこの任を担うのだが、嘉子妃には文字の力がないため、今回の豊饒の祈りで反歌を詠むのは橘三人たちばなのみひとか盲目の娘、益子ますこが担うことになっていた。

「しかし、三人みひとの顔を思い浮かべると、もやもやするな」と敦海あつみが言い、「確かに」と虎守こもりが言って、薄く嗤った。


「さて。清原王きよはらのおおきみの体力はどこまでもつかな?」

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