第3話 少しの希望

「やった、悪意のエネルギーじゃん、しかも二つ! やっぱ可愛いワシちゃんの選んだシャリテに、間違いは無かったじゃん!」


 どこかに姿を隠していた妖精がどこからともなく現れると、跳ねるように飛びながら二つの黒い宝石の周りをくるくると回る。


「いただきま~~す!」


 そして、その黒い宝石にかぶりつく。

 黒い宝石は大きめの宝石くらいのサイズだが、15センチほどしかない妖精にとっては、ひとかかえ程もある巨大なものだ。その黒い宝石をもう離さないとばかりに抱え込むと、がじがじと噛り付く。


「もぉ~、マスティマ、慌てて食べるとお腹壊すのね」

「大丈夫じゃんっ! 可愛いワシちゃんがお腹壊したりする訳ないじゃん! 美少女はお腹下したりしないじゃん!」


 そんな様子の妖精にシャリテが呆れたように声をかけるけど、マスティマと呼ばれたその妖精は意に介さない。


 がじがじと一心不乱に噛り付くマスティマに、くすりと笑うシャリテ。

 シャリテがふぅ、と息を吐くと、彼女に左半身の片翼がばさりと羽ばたく。シャリテを光が包み、いくつかの羽毛が舞う。すると次の瞬間には、彼女の片翼も漆黒の大剣も姿を消していた。


 そして僕の方へとゆっくりと歩を進める。


「もう大丈夫なのね。アーリマン……怪物はシャリテが倒したのね。もう安心なのね」


 微笑み語りかけてくるシャリテ。


「と、父さんと母さんは大丈夫なのか?」


 そんなシャリテに、どうしても確認しておかないといけない事を聞く。

 崩れ落ちた父さんと母さんには特に外傷とかは見えないし、ただ眠っているだけのように見える。だけど今僕の目の前に起こっていたことは明らかな異常事態だし、僕だって医療の知識はない。


 そんな僕を安心させるかのように、シャリテはにっこりと笑う。


「大丈夫なの。あなたのパパとママは眠っているだけなの。すぐに目を覚ますと思うの」

「そ、そうか……良かった……」


 ほっと息を吐く。

 とりあえず、両親が無事だったことは幸いだ。


「あなたもメイドさんたちにも、ケガした人いなくて良かったの。前に出たアーリマンの時は……あはは、シャリテ遅れちゃってケガした人がいたの。今回は上手く出来て良かったの」


 あはは、と恥ずかしそうに笑うシャリテ。


「あ……」


 そんな彼女に、助けてもらってありがとう、君のおかげだ、と声をかけるべきなんだろう。

 だけど僕の口は、ぱくぱくと動くだけでまともな言葉を発すことが出来なかった。なぜなら彼女の柔らかな微笑みと、今までの神秘的な姿と、そこから想像も出来ない程の激しい戦闘に、僕はすっかり心を奪われていたからだ。


 かわいい――


 そんな陳腐な感想しか出てこない。

 前世今世通して引きこもりで彼女どころか女友達ひとりいなかった僕からは、とっさに言葉は出てこなかった。


「ありがとうございます。ご主人様に代わりお礼申し上げます」


 だけど僕の側に控えるリリムが奇麗なおじぎをした。

 彼女に僕が組み込んだAIは、しっかりと僕の意を汲んでくれる。


「申し分かりませんが、あの怪物は何なのでしょう。私のデータベースには無い存在でした」

「でーたべーす? えと、あれはね……」


 シャリテは一度こてりと首をかしげると、「言っていいのかな?」と後ろのマスティマの方を振り向いた。

 しかしマスティマはというと、一心不乱に黒い宝石を齧っていてシャリテの声に気付く様子はない。


「まいっか! あのね、あれはアーリマンっていう怪物なの。びっくりしたよね? シャリテもはじめて見たときはびっくりしたの」


 返事のないマスティマから視線を戻すと、すっぱりと割り切ったシャリテは説明を始める。

 大丈夫なんだろうか?


「人の中にある負の感情、悪意のエネルギーが大きくなると、外に出て来てあんな感じの黒い怪物――アーリマンになるの」


 シャリテが「ぶわ~~っ」と言いながら、自分の中から何かが溢れてくるような仕草をする。


「シャリテもまだあんまり戦ったこと無いんだけどね、みんなあんな感じのヘビみたいな腕をうねうね~~って伸ばしてくるの」


 そう言うと、アーリマンの真似をしているのか顔をしかめて腕をうねうねと動かす彼女。


「ぷっ」


 そんなシャリテのコミカルな動きと、明るい彼女らしからぬわざとらしいしかめっ面に、思わず笑ってしまう。

 僕から漏れた笑いにつられて、彼女も笑顔になる。


「えへへ、それでね? 悪意のエネルギーが大きくなっちゃうとアーリマンになるんだけど、それを倒すことが出来るのがね、なんとなんとね、シャリテだけだってマスティマが言うのね!」


 えっへん、と胸を張るシャリテ。


「シャリテっていうか、シャリテが持ってる聖剣アフラ・マズダっていう剣がそうなの。シャリテが授かった、シャリテだけが使える、シャリテだけの力なのね。えへへ、すごいでしょ!」


 照れたように、だけど誇らしげにシャリテが笑う。

 確かにあの剣はすさまじかった。まるで前世の漫画かアニメのような、超常の力。この世界の魔術や法術では、あんな奇跡を起こすことは出来ないだろう。


「シャリテのアフラ・マズダにやられるとね、アーリマンは消えてあんな感じの黒い宝石になるのね。マスティマが言うには人間の悪意のエネルギーの結晶体で、悪意の塊だけど純粋なエネルギーの塊でもあるから、妖精にとってはご馳走らしいのね」


 ちら、とマスティマの方をうかがうシャリテ。

 その視線を追うと、二つあった黒い宝石はすでに一つになっていた。


 シャリテが話す時にする身振り手振りは、すごく大げさだ。

 そして落ち着きがない性格なのか、手が動いていない時でも右にふらふら左にふらふら体が動き、その動きにつられて長い桃色の髪や制服のミニスカートがゆらゆらと揺れる。


「あ、あのねあのね、あなたのパパとママはね、心の中に溜まっていた悪意のエネルギーがアーリマンになって、それをシャリテが倒して黒い宝石になって、そしてそれは今マスティマが食べてるの。だからね、あなたのパパとママは目が覚めたらアーリマンになる前より綺麗で純粋な心になってるの」


 これは話しておかなくちゃ、と真剣な表情で身を寄せてくるシャリテ。


 だけど僕の耳には彼女の言葉の半分ほどしか聞こえてはいなかった。なぜなら、真剣な、だけど愛嬌のある彼女の表情、ゆらゆらと揺れる艶やかな髪、短いスカートから覗く白くすらりとした脚、そして彼女から漂う柔らかな香りに意識のほとんどを持って行かれていたからだ。


「えへへ、良かったね。シャリテもみんなを護れて、みんなの役に立てて嬉しいの」


 表情をほころばせるシャリテ。

 僕はそんな彼女から目が離せない。


「マスティマ~~、食べ終わったぁ? 帰るのね」

「ま、待つじゃんシャリテ! もうちょっとじゃんね?!」


 シャリテがくるりと振り返り一心不乱に黒い宝石を齧る妖精に声をかけると、マスティマは慌てて少し残っていた宝石のかけらを一気に飲み込んだ。

 これで僕の父さんと母さんから生まれた悪意のエネルギーとやらは、すべてマスティマに平らげられてしまった。


「げぷっ……満足じゃんね! 食べたら眠くなってきたじゃん、早く帰るじゃんね!」

「もぉ~~、マスティマったら」


 マスティマがシャリテの所へ戻ってくると、彼女の周囲をくるくると舞う様に飛ぶ。

 シャリテは食べたら眠くなったというマスティマの言葉に呆れたように笑うと、顔だけこちらを振り返りひらひらと手を振ってきた。


「じゃあね、あなたのパパとママと仲良くできるといいのね」

「あ……」


 この場から立ち去ろうと足を踏み出した彼女の姿に、思わず声が出る。


 このままでは帰ってしまう、彼女が。

 前世今世を通じて、女の子にこれほど可愛いとか綺麗とか思ったことは無かった。その彼女がこのままでは帰ってしまう。

 それは、いやだ。


「あ、あの!!」


 気が付くと声を上げていた。

 上ずったような声に少し恥ずかしくなるけど、シャリテは笑顔で「なぁに?」と振り返ってくれる。


「た、助けてくれて、ありがとう!」


 口から出てきたのは、何のひねりもないお礼の言葉。

 だけどその言葉を聞いたシャリテは、照れたようにふにゃっと相好を崩す。


「ねぇマスティマ、聞いた? うへへ、お礼言われちゃったの」

「そうみたいじゃんね。まぁシャリテはそれだけの事をやったと思うじゃん?」


 本当にうれしそうに笑うシャリテと、割とどうでもよさそうなマスティマ。


「僕はポーブル子爵家次男、ソリティアン・ド・ポーブル! き、君は?」


 そして自分の名前を名乗る。

 彼女の名前がシャリテだという事は彼女たちの会話から分かっていたけど、きちんと名前を聞いていない。王立学園の制服を着ているってことは貴族なのか? だったら家名は? 学園の何年生なんだ?


 逸る気持ちに駆られて声を上げた僕に、シャリテはにっこりと笑い名乗る。


「シャリテはリッシュ伯爵家長女、シャリテ・ド・リッシュなの。エクウェス王立学園高等部の一年なの」


 貴族令嬢がするような形式ばった自己紹介ではない、平民が友人に対してするような挨拶。

 だけどきらきらした笑顔で名乗ると、ぺこりと頭を下げた。


 やっぱり王立学園……しかも高等部一年っていうことは僕と同い年だろうか?

 しかも伯爵家の令嬢なんて……!


 色々な感情に翻弄されている僕にもう一度ほほ笑むと、シャリテとマスティマは今度こそ立ち去って行った。


 僕は彼女がいなくなり、急に華やかさを失ったような部屋の中をぼんやりと眺めていた。

 暴れだした怪物に逃げ出していたメイドたちが、おそるおそる戻ってくるのが見える。「旦那様が!」「奥様!」などと慌ただしくなる侍女や侍従たちを見つめながら、僕はシャリテの事ばかり考えていた。


 僕がいちど挑戦し、心折れて通わなくなった王立学園。前世でも学校は行っていたし卒業もしたけど、友達もほとんど出来なかったし良い思い出は全くない。いじめられた事だってあったし、貴族社会にまみれた今世の王立学園は権力と金がすべてというさらに酷い場所だった。

 でも、そこに行けばまた彼女に会える。

 そう考えると絶望しかなかったあの王立学園に、これまでは感じられなかった夢や希望の欠片が見えるような気がした。


「行こう、学園に……」


 ずっと引きこもっていた僕だ。正直怖い、一度挫けたあの場所に戻るのは怖い。だけど、今はまた彼女に会いたい、という気持ちが勝っていた。

 父さんと母さんが目を覚ましたら、話をしてみよう。


 そう思い、まだ気を失ったままの父さんと母さんに駆け寄る。少しの希望を胸に抱いて。


 だけど、その時の僕は思ってもみなかった。


 きらきらとした瞳であれだけの戦いを繰り広げたシャリテが、学園でいじめられているなんて――

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