絵の下手な男

@me262

第1話

 俺の親友は学者だ。幼稚園から高校までは一緒だったが、そこから先は分かれて俺は都内の中堅私大に引っ掛かり、彼は旧帝大に現役合格。本郷で学んだ後も学究の道を進んだ。

 元々海に興味があったらしく、今では海洋学者として国立の研究所に勤めている。極めて秀才だが、1つだけ欠点があった。絵が丸っきり下手なのである。中学校の美術の授業で互いの肖像画を描いた時には俺をピカソ作品の出来損ないのようにしたので、文句を言って喧嘩になったことがある。

 とは言え、お互い社会人になっても親交は篤く、どちらかが結婚するまでという前提で都内の一等地にある2LDKのマンションをルームシェアして暮らす仲だ。もっとも彼は研究のために頻繁に船に乗るので、一年の約半分は俺1人で住んでいるが。

 その友が半年振りに実験航海から帰ってきた。長い船旅を労うために、俺が高い酒と料理をデリバリー注文して共に飲み明かすのは恒例だったので、今回も同様の準備をして彼を迎えたが、久しぶりに戻った同居人はどこか疲れた様子で、陰鬱な印象を受けた。彼は玄関で帰還の挨拶を軽く済ませると風呂の用意を俺に頼んで、自分専用の部屋に向かい、そのまま閉じ籠ってしまった。

 既にリビングのテーブルには酒と料理が並んでいる。いつもとは違うその雰囲気に俺は違和感を抱いたが、とにかく彼の言う通りにした。1時間以上自室に籠る友に風呂を沸かした事を伝えると、友人は俯きながら浴室に入る。肩を落としたその姿を見送ってリビングに戻ろうとしたが、先程出てきた彼の部屋の扉が開いているのに気付いた。

 何をやっていたのか、その事が気になった俺は悪いとは思いながら友人の部屋に足を踏み入れた。ベッドの脇にあるデスクには電源の入ったノートパソコンが作業の途中のままで放置されていた。その画面を覗き込む。

 画像編集ソフトが立ち上がっており、そこに奇妙な写真が表示されていた。

 海底と思われる場所で深海の暗さの中、照明に浮かび上がる物体があった。

 海底から突き立つ石柱だ。見るからに旧い物で、黒みがかった表面には何とも言えない奇怪な紋様が無数に彫り込まれている。その背後にも同様の石柱が幾つも屹立しているが、どれも途中から失くなっており、折れた石柱があちこちに散らばって泥の中に半分埋もれながら横たわっている。

 どうやら海底に沈んだ古代の遺跡らしい。

 よく見ると一番手前に写っている石柱の左下には、明らかに後から付け加えられた白いボールペンと思われる絵がある。おそらくは石柱の大きさを表現するための対比物のつもりだろう。

 それにしても相変わらず下手な絵だ。線は途中から曲がり、凹凸ばかり。芯の部分も極端に長い。ペイントソフトを使って友人が描いたのは容易に想像できる。この絵を描くために部屋で悪戦苦闘していたのだ。

 こういうのって普通はタバコの箱を使うんじゃないのか?

 俺は半ば呆れながらも部屋を出て、冷めた料理を暖め直した。

 友人は漸く風呂から上がり、パジャマに着替えてリビングに顔を出した。やっと恒例の慰労会が始まったが、相変わらず浮かない顔で酒と料理を黙々と口に運ぶ学者に、俺はいい加減立腹して声をあげた。

「俺が用意した酒と食い物がそんなに不味いか?それとも、あの写真の加工に早く戻りたいのか?」

 その言葉を聞いた彼は虚を突かれた様な顔をしたが、直ぐに声を荒らげた。

「お前、あれを見たのか?互いのプライバシーは尊重する筈だぞ」

「わかってるよ。だけど扉を開けっ放しにしたのはそっちの落ち度だぜ。おまけに帰ってきてからずっと仏頂面してりゃ、何かあったと心配するだろう。今までの航海帰りとは明らかに様子が違う。訳を知りたくなるのは当然だ。何年の付き合いだと思っているんだ?」

 友人は唸りながら溜め息を吐くと、小さく頷く。

「……確かに。俺の態度にも問題はあった」

「一体、何を抱えているんだ?話しちまえよ。少しは楽になるだろう?」

 暫く目を閉じて考えた後、彼はおずおずと言った。

「誰にも内緒だぞ。それだけは約束してくれ」

 真剣な口調に、俺は多少の不安を感じながらも首を縦に振った。それを見た海洋学者は話し出した。

「今回の航海は新しい資源探査用水中ドローンの試作機の実地試験だった。自律式の人工知能を搭載し、1万メートルの水圧に耐えて、最新式の各種センサーを山積みした優れものだ。何回目かの水中実験中に、予期していなかった海底火山の爆発による異常な海流が発生して、ドローンはそれに巻き込まれた。通信は途絶、位置もロストして、試作機は破壊されたと俺達は考えたが、数時間後にそいつが観測データーを送ってきた。結局試作機は帰ってこなかったが、受信したデーターの中に、あの画像があった。詳しい場所は言えないが、太平洋のど真ん中、ドローンの深度計は1万メートルを超えていた。周辺海域に海溝は発見されていない」

「つまり、未発見の海溝の底に、あの遺跡があったということか?」

 俺の問いに彼は頷いた。

「海底火山の爆発の影響で新しく海溝が発生したのか、ただ単に見つかっていなかったのか。どっちにしてもドローンは偶然にそこへ辿り着いて、あの写真を撮影したんだ。倒れた柱に堆積した泥の厚みを見るに、少なくとも1万年以上昔からあの遺跡はあったんだ」

「すると超古代文明を発見したのか!凄いじゃないか!」

 興奮する俺を見て、彼はしきりに頭を横に振った。

「……誰も信じない。下手に公表すれば、俺のキャリアが吹きとんじまう。この事を知っているのは俺を含めて僅かな研究者だけだ。皆、あれを報告書に載せるか悩んでいる。一応、俺が預かって見やすい形に整理しているが……」

「部屋でやっていた事はそれか。確かに飛んでもない話だが、れっきとしたデーターがあるんだ。どれだけ古い遺跡かは知らないが、場所だってわかっているんだろう?もう一度調査すればいいじゃないか」

「勿論そうだ。だが、本当の問題はそこじゃない……。あのドローンは本当に優秀だったよ。実に正確なデーターを残してくれた。だからこそ、俺達は困惑しているんだよ。あの遺跡の正確なデーターこそが問題なんだ。あの遺跡の大きさが……」

「大きさが問題?お前が書き込んだ下手くそなボールペンの絵から比較して、せいぜい数十メートルの石柱じゃないか。まったく、ボールペン1つまともに描けないのはお前くらいだぜ」

 俺のからかう言葉に友人はあからさまに機嫌を悪くして、吐き出すように言った。

「ボールペンじゃない!」

「じゃあシャープペンシルか?」

「違う!あれだ!」

 海洋学者はリビングの大きな窓を指差した。

 そこには山脈のように連なる夜のビル街の向こうに煌々と光る東京スカイツリーが立っていた。

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