Aの肖像画

@airis09a

第1話

 生きたい、と思った。

 私は高校のトイレの鏡を覗き込んでいた。涙を流している姿はどこか滑稽で、非現実なものに見える。私は涙を拭い、水で拭った。手についている絵の具が手から剥がれ落ち、水と混ざっていく。それはマーブル状になっており、どこか占いを想起させた。私はそれに意味を見出そうとした。自分の未来を見ようとした。

 だがもちろん、それには意味を見出すことはできない。私は泣き出したい衝動を抑え、教室へと向かう。辺りは赤い夕日に満たされ、優しい赤い海を歩いているような錯覚を覚えた。

 教室の扉を開ける。誰もいない教室へと飛び込み、自身が描いた絵を自身の席にたたきつけた。

 コンクールに落選した。

 その事実を頭の中で反芻した。結果を知った数時間前から繰り返していたように、自分を責めた。ただでさえ嫌いな自分を、さらに憎く思った。その上、美術部の先輩に言われたあの言葉が、私を一層惨めにさせた。

「田中さん、あなた、絵を描くのに向いてないよ」

 そう言われた時の周囲の憐れむような脳裏に焼き付いている。

 悔しい。悔しい。私は机を殴りつけた。

 私は先輩の言葉に傷ついた。いや、正確には先輩の言った事実が私を苦しめていた。

 絵を床に置き机に立てかけると、私はスケッチブックを机の引き出しから取り出した。

 衝動的に絵を描いていく。自分の心のドロドロした塊を吐き出したかった。

 絵を描くことは私の全てだった。他の人の絵を見ることも大好きだった。私より遥かに上手ければ上手いほど、いつか超えてやると手を握りしめた。

 でも、高校2年生になっても、賞にかすりもしない。

 本当は美大に行きたかった。でも、賞を取れない私には、到底無理だった。

 スケッチブックの上で線が踊っていく。まるで私を嘲笑うかのように。

 その時、教室の扉が開いた。私は反射的にそちらを向く。

「あれ、田中さん。まだ帰ってなかったんだ?」

 声の主は佐藤ありすだった。私は小さい声で「はい」と答えた。私は彼女のことが苦手だった。彼女はクラスの中心人物。私は教室の隅で絵を描いている。私たちは正反対な人間だ。

 彼女は私の方に近づいてくる。私は突然のことに驚き、スケッチブックを隠すことができなかった。

 馬鹿にされる。私の絵は否定され続ける。家族にも、先輩にも、コンクールにも。

 だが、彼女は明るい声で言った。

「わー!これ田中さんが描いたの?すごーい!」

 咄嗟に彼女を見た。彼女は綺麗な笑顔でこちらを眺めている。

「え…?」

私の反応に、彼女は首を傾げた。

「何で?こんなに上手じゃない。そう思わないの?」

 私はしばらく呆気に取られていたが、頭を横に振り、彼女に言った。

「コンクールに落ちたの。だから」

 だから、の続きは言わなかった。言えなかった。今言ったら泣いてしまう。絵を描くのをやめようと思う、なんて言えるはずがなかった。

「コンクールに落ちたから、何なの?」

 彼女は続ける。彼女の真っ直ぐな瞳が私を射抜いた。そして彼女は私の机の下にある絵を持ち上げる。

「ちょっと…!」

 彼女はじっとその絵を眺めた後言った。

「素敵な絵だと思う」

 彼女は繰り返して言った。

「素敵な絵だよ。これ」

 その言葉に思わず涙が溢れた。ずっとの言葉が欲しかった。ずっと。ずっと。

「ねえ、私に絵、教えてくれない?」

「絵を?」

「うん、私も絵を描きたい。田中さんみたいな絵」

「私なんかが教えれないよ」

 彼女は私の肩を掴んで言った。

「じゃあ、一緒に絵を描いてよ。私も絵を描きたいの」

「一緒に書くだけなら、別にいいけど」

 私は思わずそう言った。

「じゃあ、佐藤さん」

 彼女は私の言葉を遮った。

「苗字で呼ぶのやめてよ、クラスメイトなんだしさ」

 彼女はそう言って私の顔を覗き込む。

「決まりね、決まり!あみさん、絶対に一緒に絵を描こう!」 

 彼女は私の返事を待たず、教室から出ようとした。だが彼女は立ち止まり、こちらを見た。

「ねえ、その絵、誰をモデルにしたの?」

 私はためらった後、言った。

「とても、とても大事な人」

 私の言葉に、彼女は花が咲くような笑顔になった。

「素敵だね、何もかも」

 そして彼女は出て行った。

 素敵だね。その言葉を心と中で噛み締めて、私は帰る準備をした。コンクールに出した絵を、そっとカバンに入れた。

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