取り憑き
沙夜子がいた。
光の届かない部屋の隅に縮こまるようにして白い服がもぞもぞと動いていた。
「沙夜子さん……」
様子がおかしいのは明らかだった。歩幅を緩めて恐る恐る近付いていく。沙夜子は床に直に座り込んでいた。
裾から伸びた足は床の上に投げ出されており、俯き加減の頭を両手で抱えている。服が動いているように見えたのは震えているからだった。
「柳田……お前……」
月岡がその先を言葉にしなくても何が言いたいのかはわかる。いや、誰だってこの姿を見れば同じことを考えるだろう、と吉良は思った。
取り憑かれていた。伸びた足も頭を抱える腕も脂肪という脂肪が搾り取られ、枯枝と化していた。
体の震えは恐怖によるものではなく、おそらくは筋肉の急激な衰えによるもの。纏っていた衣服もブカブカで非常に痩せた子どもが大人の服を着ているようにも見える。
「見、な、い……で……」
ヒューヒューと苦しそうな息の合間に掠れるようなか細い声が沙夜子の口から発せられた。
この状態でも言葉を紡ぎ意志を保ち続けられているのは、あやかしに対抗する術を持っている沙夜子だからこそだろう。吉良は一度助けようとしゃがみ込んだが、頑なに顔を見せない様子を見て腰を上げた。
「どうする? 応援を呼ぶにもここは遠すぎる。一旦担いで車まで戻るか」
あくまでも月岡は冷静だった。少なくとも冷静でいるように努めているように見えた。混乱するでも諦めるでもなくこの場において最適な対応に徹しようとしている。
吉良は部屋の中を見回した。他のどこの部屋とも同じように崩れた瓦礫が散乱していた。ただ、他の部屋とは違って厳重な扉が残っていたためか元の形のまま残っているものがある。
分娩台だ。その横には桶のようなものが置かれていて、中を確認すると暗闇を映す水が張っていた。
嬉々として悦ぶ老婆の顔が吉良の頭を過ぎる。分娩台を見つけ、どこからか持ってきた桶をいそいそと運ぶ姿が。
自分が助かるそのためだけに、取り憑いたという水子霊一人ひとりを落としてきたのだ。決して光が差すことのないこの暗闇の中へと。
それが新たなあやかしを生み出し、増殖させていることも知らずに。──いったい何人が取り憑かれたのか。どれだけの犠牲が生まれたのか。幾つの命を無駄にしたのか。
何も感じずに。何も思わずに。二年間もずっと通い続けてきたというのか。この場所に平気な顔をしてずっと。
吉良の両掌が強く、固く握り締められた。
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