第9話 あらぬ疑い

エレノアと話して三階の部屋に戻った後、しばらくしてグエルが用向きを尋ねにやってきた。


特になかったのでグエルはすぐに部屋を出ていこうとしたが、気をきかせたのか立ち去り際に一言つけ足した。


「しばらく部屋から出ないほうがよろしいですよ。階下でご令嬢が烈火のごとく使用人を怒鳴りつけていますので」


「リリアナ嬢が? 帰ってきた時はずいぶん機嫌がよさそうだったが」


アランは首をかしげた。


「私も詳しくは存じませんが、遠目で見た限りでは、腹立ちまぎれに折檻を加えているようでした。やられていたのが小枝みたいな体つきの娘だったので、ちょっと気の毒になるくらいでして」


アランは目を見開いた。


「ちょ、ちょっと! アラン様!?」


アランはドアの前に立っていたグエルをつき飛ばすように部屋を出ると、足早に歩いて一階へ下りていった。


居間の手前では使用人たちが遠巻きに中の様子をうかがっていたので、アランも近づいて人だかりの頭越しに中をのぞいた。


「この恥知らずっ」


怒声と共にリリアナの張り手がエレノアの頬を打った。


エレノアは床に倒れて尻もちをついたが、両手をついて立ち上がると、背筋を伸ばしてリリアナを正面から見つめた。


「さっきも申し上げましたが、そんな風に言われる覚えはありません。どういう意味です」


エレノアはもう何度もぶたれているのか、片方の頬が真っ赤に腫れあがっていたが、態度は落ちついていて、むしろ責められているのはリリアナではないかと思わせるくらいだった。


けれどその冷静さは、かえってリリアナの神経を逆なでしていた。


「とぼけるつもり?」


リリアナはエレノアの髪をつかむと、激しく揺さぶった。


いくらなんでもやりすぎだ、とアランは思った。


よその家のやり方に干渉する気はなかったが、アランは使用人の垣根を割って進むと、居間に入ってリリアナの手をつかんだ。


「リリアナさん。いったいどうしたんです」


怒りに我を忘れていたリリアナが、アランを見て冷水を浴びせられたように硬直した。


エレノアはといえば、さすがに痛かったのか顔をしかめている。


リリアナはエレノアから手を離すと、声を震わせた。


「アラン様。この女のことをかばうおつもりですか」


「そうではありませんが。ただ、相手の言い分を聞いてから叱るのでも遅くはないのかと」

 

「聞くまでもありませんわ。私の侍女が、一部始終を見ていたんですもの。アラン様だって無関係ではありませんのよ」


居間の壁際には、今朝アランの部屋に朝食を運んできた使用人が、先ほどからずっと黙って立っていた。


目が合うと、その使用人は意味深な笑みを浮かべた。


嫌な笑い方だ、とアランは思った。


「アラン様。ご滞在中のお部屋は三階の客室でしたわよね。なのにアラン様が先ほど二階の部屋から出てきたと侍女は申しておりますの。その後、同じ部屋からエレノアも出てきたとか」


リリアナはそこで一度言葉を切ったが、リリアナが何を想像しているのか、言わずもがなだった。

 

「あなたの考えているようなことはしていない」


アランは冷ややかな声で答えた。


「そうでしょうか? 二人が出ていった部屋の床に、こんな物が落ちていたそうですわ」


そう言ってリリアナが差し出したのは、細いリボンの紐だった。


思わずアランがエレノアに目を向けると、エレノアはふいと視線をそらした。


いかにも「やってしまった」という感じの、ばつの悪そうな顔だったので、アランは内心大いに舌打ちしたくなった。


リリアナは糾弾するような目つきでこちらをじっと見ていたが、なぜかここで急にワッと泣き出した。


勘弁してくれ、とアランは叫びたくなったが、そのままリリアナを放っておくわけにもいかず、ソファに座らせてとりあえずなだめていると、間が悪いことに、騒ぎを聞きつけたリリアナの両親二人がやってきた。


泣いている娘の姿を見て、奥方は大いに驚いてソファに駆け寄ってきた。


「まぁまぁ。どうしたの、私の可愛いリリアナ。何があったのかお母様に話してちょうだい」


リリアナは顔を上げると、母親の胸にしがみついて泣き叫んだ。


「ひどいのよ。エレノアがアラン様を誘惑したの。私、我が家のお客様の名誉のためにと思ってエレノアを叱っていたのに、アラン様はエレノアをかばって私のことを非難なさるの」


そう言って、リリアナはいっそう激しく泣きじゃくった。


奥方は半分もらい泣きしながら娘の背中をさすった。


「かわいそうに。あなたみたいに純真で高潔な心を持っている子には耐えがたい出来事だったでしょう」


しばらくしてリリアナはようやく泣きやむと、冷めた表情で立っていたエレノアを指さし、母親にわめいた。


「お母様、お願いよ。あの女を今すぐうちから追い出して。あんな汚らわしくてはしたない人間が同じ家の中にいるなんて、考えただけで耐えられないもの」


「もちろんよ。絶対にそうすべきだわ。ねぇ、あなたもそう思うでしょう?」


奥方は、ソファのそばで右往左往していた主人に同意を求めた。


「あ、あぁ。そうだな。うん。それがいい」


主人が何度もうなずくと、奥方はリリアナに向けていた聖母のような表情を一変させ、冷ややかな顔をエレノアに向けた。


「ということよ。わかったら今すぐ荷物をまとめてこの屋敷から出ておゆき」


エレノアはどういう訳か奥方の一方的な宣告に一言も反論しなかった。


「わかりました」


それだけ言うと、きびすを返して居間を出ていった。

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