第10話 地下街のいざこざ

 この日は、非番のため、新入隊員たちは指令本部基地の自室でゆっくりと

過ごすものと、基地から出て、近くの居住施設のカフェで息抜きしたり、

ショッピングに行くものなど、いくつかのグループに分かれていた。


 火星で一番大きいと言われるオポチュニティー通りという地下街に行く

新人達が多かった。この地下街は、巨大な二つの円筒型居住施設の間に

ある連絡地下道に有る。


 開発当初は単に居住施設間を結ぶ何もない地下道だったが、徐々に拡張

されて、地下道の両側にはカフェやBAR、ブティック、土産物屋などが

ずらりと立ち並んでいる。


 特に、地下二階と地下三階の巨大な吹き抜け構造が有るエリアは、

広々とした空間全体が一気圧に保たれ、かつ火星の重力環境であり、

回転する円筒型居住施設の中とは、また少し違う趣がある。


 ここは火星の住民の憩いの場にもなっていた。


 SG4新入隊員のパトリック・トンプソン、レイモン・ボードレール、

アイリーン・ルーカス、クレア・エディントンの四名は、オポチュニティー

通りのカフェでしばらく過ごした後、基地に帰ろうとしていた。


 地下街の通路には、自動歩道ラインも整備されているが、それは使わずに、

ショッピングモールを眺めながら、道端に並べられたカフェのテーブルの

横をゆっくりと歩く。


「火星にもこんな所があったのね」とクレア・エディントン。


「そりゃぁ有るだろう。人口は少ないけど、ここは火星の首都だよ。

 大きなショッピングモールぐらいあるよ」とパトリック・トンプソン。


「火星の首都で一番という割には、随分と貧弱だがな」

とレイモン・ボードレールが大きな声でいうと、アイリーンがそれを咎めた。

「周りの人に聞こえるわよ。ここに住んでる人が気を悪くするわよ」


「火星がだからな地下街しかねぇって言って

 何が悪いんだよ。事実だろう?」レイモンの声は大きかった。


近くの丸テーブルでアルコール飲料を飲んでいた四人組は、レイモンの

言葉を聞いていたらしく、厳しい目で睨みつけていた。

一人の男が立ち上がって、四人の前を塞ぐ。


「おめえら、月から来たのか? この若造共が、火星が辺ぴだとか、

 なんとか、抜かしやがってたなぁ。ここを何処だと思ってんだ!」


明らかに、男は酔っぱらっていた。他の男三人も次々に立ち上がる。


「そこの、月から来たくそ野郎。痛い目に会いたいのか? 

 その口の舌を引っこ抜いてやってもいいんだぞクソガキめ!」


レイモン・ボードレールも挑発されカッとなって、男と向かい合った。

「やるのか? この酔っ払い野郎」


「やめて! レイモン」アイリーンが叫ぶ。


「レイモン、落ち着け、口が悪かったのはお前が先だ」

パトリックも止めようとしていた。クレア・エディントンは足が震えて

何もできないで固まっている。


 レイモンと酔っ払いが、歩み寄って掴み合おうとしたその瞬間、

すぐ横のカフェの丸テーブルに座り、家族団らんをしていた

髭面の男が立ち上がり、二人の間にスッと入った。


 「邪魔だ」レイモンが割って入った男を横にどかそうとした腕を、

髭面の男がぐっと掴んだ。

「何だ離せ!」とレイモンは突然掴まれた腕を、引き抜こうこうとしたが

びくともしない。


 髭面の男は、酔っ払いの方に、もう片方の手のひらを見せて、止める。

「勘弁してやれ、こいつら、まだヒヨッコなんだ」

 

さらにレイモンのほうに向き直って言った。

「お前たちは、見た所、SG4の新人だな。SGは市民を守るのが仕事

 なんだ。市民を怪我させちゃぁダメだ。

 相手がこんなへっぽこの酔っ払い共だとしてもだ」


「なんだぁとぉ、お前、邪魔すんな」酔っ払いが、髭面の男の後ろから、

カフェの折りたたみ椅子を高々と持ち上げて殴りかかろうとしていた。


「キャァー。おじさん後ろ!」アイリーンが叫んでいる。


髭面の男は、後ろを見ることも無く、素早く横に動いたので、

酔っ払いが振り下ろした椅子は、地面に強く叩きつけられた。

髭面の男は、その振り下ろされた椅子を片足で踏みつけて、酔っ払いの

手からもぎ取った。


「あなたたちはこっちへ」髭面の男と、一緒に丸テーブルでお茶を

飲んでいた女性が、赤ちゃんの入ったベビーカーを守るように立ち上がり、

さらに、パトリック、アイリーン、クレアの三人を争いごとから遠ざけた。


近くにいた保安隊員も、騒ぎに気が付いて、駆け寄って来ている。


酔っ払いが、さらに横の別の椅子を持ち上げて、振り下ろして来た瞬間、

髭面の男は、握っていたレイモンの腕を離して、レイモンの胸をぐっと

押して遠ざけると、振り下ろされた椅子を軽々と受け止めた。


 そして、髭面の男が、保安隊員の方を向いて片手を挙げると、

それを見た保安隊員は、なぜか緊張した顔を緩め、笑顔を見せて

駆け寄る速度を遅くした。


 髭面の男はレイモンの方を向いて言う。

「相手が市民でも、こんな風に攻撃されてから、やり返すのは有りだ。

 誰が見ても正当防衛だからな。だが、できるだけ傷つけないようにだ」


 酔っ払いが、髭面の男につかまれた椅子を、取り戻そうと強く引いた

瞬間に、髭面の男が手から椅子を離したので、酔っ払いは椅子を持った

まま後ろに激しくひっくり返った。


 他の三人の酔っ払いが、まとまって殴りかかろうとしたが、髭面の男が、

不思議な体制で、片足を軸にぐるんと回った瞬間に、一人の酔っ払いが

後ろに吹き飛んで、もう一人を巻き沿いにしながら地面に倒れた。


 レイモン達は、目の前で何が起こったのか分からなかったが、

目の前には、髭面の男一人が立っているだけだ。


四人いた酔っ払いのうち、三人は地面にひっくり返っている。

もう一人いるはずの酔っ払いは、なぜか見えなくなっていた。


「わぁぁ、てめえ! 何しやがる!」


 その声は、髭面の男の真上から聞こえた。


酔っ払いの一人が、三メートルぐらい上の空中をゆっくり落ちて来ながら

手足をバタバタさせて、もがいている。


 髭面の男は、落ちて来る酔っ払いの手を右手で握り、左手で胴体を受け

止めて落下速度を抑えると、すぐさま腕をひねり上げて、後ろ向きに

させ、動きを封じた。


ちょうど近づいて来た保安隊員にその男を差し出す。


「酔っ払いが、襲って来たから、防御しただけだ」と髭面の男。

「分かってます。見てましたから。フェルディナン・ンボマさん」


保安隊員が、酔っ払いに手錠をかけると、他の三人の酔っ払いは、

その隙に、つかまった仲間をおいて逃げ去った。


 ***


 ケンイチが昼食後、トレーニングルームに向かう途中で、腕の通信端末が

なった。通信に応答するとヘインズ司令官だった。


「カネムラ君。オポチュニティー通りで、うちの新入隊員が酔っ払い

 四人に絡まれて、ひと悶着あったようだ。保安部隊の詰め所に迎えに

 行ってくれないか」


「誰か怪我でもしたんですか?」


「いや、怪我はしとらん。新入隊員達は事情聴取を受けているだけだ」


「四人に絡まれてよく無事でしたね」


「ああ。ちょうど、助っ人が現れて助けられたようだ」


 ***


 ケンイチがオポチュニティー通りの、保安部隊の詰め所に行くと、

レイモン、アイリーン、パトリック、クレアの四人が事情聴取を終えて、

詰め所でお茶を出してもらい、カップの温かい飲み物をすすっていた。


「すみません。うちの新入隊員を迎えに来ました」

ケンイチが詰め所の奥に声をかける。


突然、横から声が聞こえた。

「おやおや、この子達の保護者は中隊長さんでしたか。奇遇ですねぇ」


聞きなれた声に驚き、ケンイチが振り向くと、見慣れない髭面の男だ。

—— え? 誰だ? ——


横には、コニー・ンボマがニコニコしてこちらを見ていた。

「ケンイチさん。お久しぶりです」


「コニーか。お前、フェル……だよな。助っ人って、お前のことか?

 それに、その髭面はどうした? 一瞬わからなかったぞ」


「いやぁ、育休で基地に行くことも無いから、無精してたらこうなった」


 新入隊員の四名は、カネムラ中隊長が、髭面の男や奥さんとも知り合いの

ようなので、キョトンとした顔で見ている。

それに気が付いたケンイチは、改めてフェルを紹介した。


「この二人は、SG4第一中隊のメンバーで、今は育児休暇で休んでる。

 フェルディナン・ンボマと、コニー・ンボマだ。君たちの先輩だ」


「うっそ~」アイリーン・ルーカスが大きな声を上げた。


フェルがその声に反応した。

「そうだ思い出した。その可愛い新入隊員に、さっき

 『おじさん後ろ!』って言われたんだぜぇ。俺まだ、三十歳前だよ。

 そんなにおじさんに見えるかねぇ」


詰め所の中が笑い声でいっぱいになった。そこへ詰め所の奥の部屋から

保安隊員が出て来る。保安隊員は、ケンイチとも知り合いだった。


「ンボマさんが居てくれて良かったですよ。あの酔っ払いたちは、

 すぐに誰かに絡んで騒ぎを起こす常習犯でね。

 でもカメルーン柔術の達人のンボマさんが見えたので、安心しました。

 一瞬で騒ぎが治まって助かりましたよ」


「でもこの子、皆が騒いでいるのに全然起きなかったね」とクレアが

ベビーカーの赤ちゃんに話題を振ると、フェルディナン・ンボマが

自慢げに言った。


「息子のセドリックは、満腹になると、近くでサイレンが鳴っても平気で

 寝てるんだ。これは大物になるぞぉ」

とフェルが赤ちゃんのほっぺたをやさしく突っついた。




次回は>[番外]補足(2)


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