第一章 再会(1)

 あたしの家はクラディムという町で宿屋をしている。〈フェイの宿屋〉って名前で、そんなに大きくはないけど、そこそこ繁盛している。


 ちなみにフェイっていうのは、宿屋を始めたあたしのひいおじいちゃんの名前だ。

 あ、ひいおじいちゃんが始めた宿屋っていっても、建物は古くないよ。八年前に建て直したそうだから。


 「そうだ」というのは、あたしはその頃この家にいなかったので、直接には当時を知らないからだ。


 家族は五人。父さんと兄さんと、兄さんの奥さんと、五歳の甥っ子。母さんはあたしが生まれてすぐに死んだから、あたしは憶えてない。兄さんが言うには、明るい人だったそうだ。


 義姉さんのおなかには子どもがいる。まだ生まれるまでに三ヶ月くらいあるけど、そしたら六人家族になる予定。


 ……まあ、赤ちゃんが無事に生まれてくるまで安心はできないけどね。


 義姉さんは三年前にも身ごもったけど、その時の子は死産だった。家族みんな新しい赤ちゃんを待ち望んでたから、本当に悲しかった。女の子で、白い布にくるまれて小さな棺に納まった姿が、すごくかわいそうだった。気の強い義姉さんが泣きじゃくってたのを見たのは、あの時だけだ。


 今回はそんなことにはならないといいんだけど、こればっかりは神々に祈るしかない。医者にも魔術師にもどうしようもないことっていうのはある。あたしも魔術師の端くれとして、それを痛感した。


 ……いけない、いけない。何だか暗くなっちゃった。暗いことばっかり考えてると、悪運が寄ってくる。


「アッシェム」


 あたしは厄除けの呪文を唱えてから、手元に視線を落とした。手の中には、カビ除けに効果のある薬草の束がある。


 つい一週間前まで〈嘆きの季〉って呼ばれる雨期で、建物のあちこちにこの束を置いていた。

 〈嘆きの季〉は死者の冥福を祈る時期だから、この薬草のにおいを嗅ぐと、つい死んだ人のことを考えてしまうんだよね。


 手に持っている薬草の束を、腕にかけた籠に放り込んで、立ち上がる。もう雨期も明けたから、薬草の束を回収して回ってるところだ。


 さて、あとはどこに置いてあったっけかな、と考えながら歩き出そうとしたところで、宿屋の入口の方から、呼ぶ声がした。


「リューリア姉ちゃーん! お客さんだよー!」


 甥っ子のラピスの声だ。一階にいたから、先に客に気づいたようだ。


「はーい、今行くー!」


 あたしは声を張り上げて、速足で一階に下りる階段に向かって進み出した。早くお客さんをお出迎えしなくちゃ。


 義姉さんは実家に顔出しがてら買い物に行ってるし、父さんと兄さんは宿屋の一階にある食堂で夕方の仕込みに忙しい時間帯。宿泊客の受付はあたしの仕事だ。


 宿屋の一階と二階をつなぐ階段にたどり着く。この階段は、建て替え前は静かに歩いてもギシギシ音がしていたそうだけど、今では駆け下りても軋んだりはしない。

 といっても、よほどのことがない限り駆け下りてうるさくしたりはしないけど。


 階段を下りながら一階の様子を窺う。ラピスは、シャツとズボンの上に日除けの薄手のマントを羽織った人と何事か熱心にお喋りしている。


 あの人がお客さんだね。髪が長いし細身だから女性だろうか。他に客らしき人影はないので、女性の一人旅かな? 珍しいけど、ないわけじゃない。


「お待たせしました。〈フェイの宿屋〉にいらっしゃいませ」


 歩み寄りながら、営業用の笑顔を作って呼びかけると、ラピスと女性がこちらを向いた。女性っていっても、あたしと同じくらいの年だ。綺麗な黒銀の髪と、整った顔立ちをしている。見たこともないような美少女で、思わず見とれていると、彼女の顔がぱあっと輝いた。


「ルリ!」


「……え?」


 その名前であたしを呼ぶ人は多くない。まじまじと黒銀の髪の女性を見つめ返すと、その顔に見憶えのある顔が重なった。今朝夢で見たばかりの顔だ。まさか……。


「シ、シア?」


 呼ぶと、黒銀の髪の少女はふわりと笑う。


「ええ、そうよ。久しぶりね、ルリ」


 透明感のある声が、再びあたしを呼ぶ。


 突然の再会が信じられず、戸惑っていると、手を引かれた。視線を落とすと、ラピスがあたしを見上げている。


「街中で『〈フェイの宿屋〉はどこですか?』って尋ねてたから、ってアルマたちが連れてきたんだ。リューリア姉ちゃんの幼なじみなんだろ? 俺のことも知ってたんだぜ!」


「あ、ああ、うん。あたしが手紙に書いてるからね」


 まだこの状況をうまく呑み込めないけど、黒い瞳をきらきら輝かせているラピスに何とか言葉を返す。視線の先で、ラピスが不思議そうな顔になった。


「でも、ルチルさんだろ? 何でシアって呼ぶんだ?」


「へ?」


 質問の意味がつかめずにぱちぱちと瞬きしていると、シアが口を開いた。


「シアっていうのはね、親しい人だけが使う愛称なの。ラピスくんはルチルって呼んでね」


 ああ、そっか。シアの正式名はルチルカルツ・シアだから、里の外ではルチルって呼んでもらってるんだっけ。前に手紙に書いてあった。


 ラピスは、微笑むシアを見上げて、へらっと笑った。


「うん、わかった! ルチルさん!」


 そのままシアの手をつかんで引っ張る。


「部屋に行こう! 俺、案内するよ!」


「あ、ちょっと、まだ受付してないでしょ」


 あたしは慌ててラピスを止めた。それからシアを見る。そうすると紫の瞳とばちりと目が合って、思わず顔をそらしてしまった。


「え、えっと、受付。そう、受付だよね」


 入口脇に置いてある机の引き出しから宿帳を取り出して、開いて机の上に置く。薬草の束が入った籠は椅子の上に置いた。


「それじゃあ……宿泊期間はどのくらい?」


 机の上に置いてあるインク壺を開けてペンを浸しながら訊くと、シアは小首を傾げた。


「まだ決めていないの。しばらくいたいのだけれど……」


「最低でも一週間はいるってことだよね? それじゃあ、とりあえず一週間分宿泊料金を貰っていい? 残りはその都度貰うってことで」


「ええ、それでいいわ」


 シアから代金を貰って、鍵のかかっている引き出しを開ける。袋の中にお金を入れて、一緒に置いてある鍵束から、部屋の鍵を一つ取る。また引き出しに鍵をかけてから、シアの背負い袋に目をやった。


「荷物はそれだけ? 持つの手伝わなくて大丈夫?」


「大丈夫。一人で持てるわ」


「じゃあ、部屋に案内するね」


「俺が案内する! 俺が!」


 ラピスが主張するけど、あたしはその頭をペンと叩いた。


「あんたじゃ寝具出せないでしょ。あたしも一緒に行かないと」


「ちぇー」


 唇を尖らせているラピスの頭をぐりぐりなでてやってから、あたしは部屋の鍵をラピスの褐色の手の平に落とした。


「あんたは部屋の鍵開ける役ね」


 ラピスの顔がぱっと輝く。


「うん!」


 やる気に満ちあふれているラピスの顔からシアに目を移して、庭に続く入口を指差した。


「お手洗いは、そこの入口を出てすぐの所。お風呂は、大通りに出て右に曲がってちょっと行った先にお風呂屋があるから。行き会った人に訊けばすぐわかるはず。部屋で湯を使いたい時は、追加料金でタライを貸すし、お湯も用意する。洗濯物や繕い物も追加料金で引き受けるよ」


 話しながら手燭を持って階段を上ると、シアとラピスもついてくる。


 二階に上がってすぐの所にある納戸を開けて、布団一式と枕を一つ引っ張り出す。普通じゃあたし一人では持てない重さだけど、あたしは魔術師だから、風魔法で浮かせて運べるんだ。


「なー、これ右側の一番奥の部屋だよな?」


 ラピスが、今にも走り出しそうな様子で声をかけてくる。鍵には印がついているので、どの部屋だかわかったらしい。


「へえ、ちゃんと印憶えてたんだ。そうだよ、右側の一番奥。偉い偉い」


 褒めてやると、ラピスが得意気な顔で廊下の奥に向かって走り出した。


「ルチルさん、こっちこっち!」


「ちょっと、走んないのよ。危ないし足音響くでしょ」


 あたしは、注意しながらシアと並んでラピスの後を追いかける。隣のシアからは何だか甘いにおいがして、どぎまぎしてしまう。


 部屋の前まで着くと、ちょうどラピスが鍵を開けたところだった。


「あたしが先に入るね、シア」


 心臓がドキドキしているのを悟られないように、平静を装って声を出す。何とかうまくできたと思う。


「ええ」


 シアがうなずいたので、寝具一式を縦にして入口に引っかからないようにしながら、部屋に入る。シアが後をついてくる気配がする。

 寝具一式を部屋の中にある剝き出しの寝台の上まで運ぶと、敷き布団、シーツ、薄手の掛け布団、枕、ときれいに整えて置いていく。


「これでよし、と。あ、窓開けるね」


 手燭を小箪笥の上に置いて、窓に向かう。


 窓を開けて振り返ると、シアは背負い袋を寝台の横に置いているところだった。あたしは思わずその姿をしげしげと見つめた。


 シア、本当に美人だなあ。長い黒銀の髪はさらさらだし、肌は陶器みたいに真っ白だし、紫の瞳は星みたいだ。綺麗な弧を描く眉、すっと通った鼻筋に、薄紅色でつやつやしている唇。あたしより結構背が高くて、立ち姿はすらっとしているけど、出るところはしっかり出ている。そして、すんなりと伸びた手足が優雅に動く。


 見れば見るほど綺麗で、思わずぼーっと見入ってしまう。おまけにいいにおいまでするし、夢の中から現れた人みたいだ。


 シアがあんまり美人になってるものだから、尚更この突然の再会が現実とは思えない。


 いや、昔から確かに美少女ではあったけどね? 将来は里一番の美女になる、とか言われてたみたいだし。でも、こんなに綺麗になるとは思ってなかった。五年ぶりだから、余計にそう感じるのかもしれない。


 そんなことを考えながら見とれていると、あたしの視線に気づいたのか、シアがこっちを向いた。バチッと視線がぶつかって、頬が熱くなる。ぱっと目をそらしてしまったけど、何だか惜しくて、えいっと戻した。シアは微笑んでこっちを見ている。


「ね、仕事が忙しくないなら、少しお喋りしていかない?」


 シアが寝台に座って、隣を叩く。


「俺も! 俺もいいだろ?」


 ラピスが寝台によじ登る。シアがラピスに微笑みかけた。


「もちろん。ラピスくんも大歓迎よ」


 ラピスが、へへ、と嬉しそうに笑う。あたしは、高鳴っている胸を押さえながら、口を開いた。


「それだったら、一階の居間でお茶を飲みながらにしない?」


「あ、俺それがいい!」


 ラピスがぴょんと立ち上がる。そしてシアの手を引っ張った。


「ルチルさん、行こう!」


「ふふ、そうね。それじゃ、行きましょうか」


 ラピスがシアをぐいぐいと引っ張っていく。あたしは手燭の蝋燭を消してからその後をついていく。


 一階に下りると、宿屋部分を後にして、家族が暮らす住居部分に入る。普通はお客さんはこっち側には入れないんだけど、シアは例外だ。


 そんなに広くないから、すぐ居間に着いた。シアには椅子に座ってもらって、ラピスを連れて隣の台所に向かう。


「あたしはお茶淹れるから、ラピスはお茶請け出して」


「お茶請けってどれ?」


「ミジュラがまだ結構あったでしょ。それを洗って出しといて」


 ミジュラは、この辺じゃ一般的な、大人の女性の拳くらいの大きさの橙色の果物だ。結構酸味があるけど、お茶と一緒に食べるとおいしい。皮ごと食べられるから、準備が楽なのもいい。この季節のお茶請けの定番だ。


 火魔法でティーポットの水を一気に沸騰させて振り返ると、ラピスは洗ったミジュラを三個木皿の上に置いていた。それを持って居間に走っていく。


「ルチルさん、食べて食べて!」


「こら、そこは『どうぞ食べてください』でしょ」


 居間の方に顔を出してラピスをたしなめると、シアが、ふふ、と笑った。


「ありがとう。いただきます」


 ミジュラを一つ手に取って食べ始める。そのしぐさまで、なんか品があるというか、綺麗に見える。美人は何してても様になるんだなあ、と感心しながら、台所に戻る。


 ティーポットにタティオ茶の粉末を入れ、木のスプーンでぐるぐる混ぜる。そして、ティーポットを木製のコップ三つと布巾と一緒に盆に乗せて、居間に持っていく。

 あたしを待っている間にシアが火魔法で居間の空気を冷やしたようで、居間は涼しかった。


 ラピスはシアの隣の椅子に座って、ミジュラを頬張っていた。


 盆を居間のテーブルに乗せて、お茶をコップに注いでそれぞれの前に置く。

 あたしはシアの向かい側に座った。


 シアがミジュラを食べ終えて、果汁で汚れた手を布巾でふきながら、こっちを見た。微笑んで口を開く。


「それにしても、本当に久しぶりね、ルリ」


「う、うん」


「また会えてすごく嬉しいわ」


「あ、あたしも」


 ああ、もう、何でうまく喋れないんだろう。昔はいくらだってお喋りできたのに、今はどこか緊張してしまう。相手はシアなのに。

 姉妹みたいに育った幼なじみ。毎日のように一緒に遊んで、何でも話した。五年前にあたしがシアの一族の里から故郷のこのクラディムに戻ってきた後だって、手紙をいっぱい書いてきた。そのシアが相手なのに、こんなに緊張しちゃうなんて、変な感じ。


「なー、ルチルさんは、何でリューリア姉ちゃんのことルリって呼ぶんだ?」


 これまたミジュラを食べ終えたラピスが会話に入ってくる。あたしは、布巾をラピスに渡してやりながら、口を開いた。


「ルリっていうのは、子どもの頃シアがあたしにつけてくれた愛称なの。瑠璃のことだよ」


「瑠璃? じゃあ俺とおそろい?」


「そうだよ」


 ラピスの名前は、実はあたしがつけた。五年前、この家に帰ってきてすぐにラピスが生まれて、まだ家族とうまくなじめてなかったあたしが家族の一員だって感じられるように、って義姉さんが提案してくれたんだ。

 とても嬉しかったから、いい名前にしよう、って一生懸命考えて、あたしの大事な愛称なまえとおそろいにした。


「あんたには、あたしの一番好きな宝石の名前をつけたんだ、って話したことあるでしょ。宝石の名前は魔除けにもなるから、って」


 ラピスはきょとんとした。


「そうだっけ?」


「そうだよ。もう、忘れん坊なんだから」


 ラピスの黒い巻毛を軽く引っ張る。


「じゃあルチルさんも宝石の名前持ってるのか?」


「ええ、わたしのルチルカルツというのは、針水晶のことなの」


「針水晶ってどんな石?」


「これよ」


 シアが耳飾りを片方外してラピスに見せる。


「この石、中に金色の線が入ってる」


「そう、だから針水晶というの」


「へえー」


 あたしは二人のお喋りを聞きながら、お茶を一口飲んで、ミジュラに手を伸ばした。


「俺、瑠璃は見たことあるんだぜ。リューリア姉ちゃんが見せてくれた!」


「そうなの?」


「うん、シアがくれたこれ」


 あたしは、ミジュラを持っていない方の手で瑠璃の首飾りを服の下から引っ張り出した。

 シアが少し目をみはってから、ほわりと微笑む。あ、かわいい。


「それ、まだ持っててくれたのね。嬉しい」


「う、うん。あたしの宝物だもん。ずっと大事にするって、約束したでしょ」


 そう言うと、シアはますます嬉しそうに笑う。その顔がほんとにかわいい。美人な上にかわいいってすごいな。何がすごいのかよくわかんないけど、とにかくすごい。心臓がばくばくする。頭がぼうっとして、どうしていいのかわかんなくなる。


 そこに、天の助けみたいに声が響いた。


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