第24話
水を手渡すとキャップを開け、「おっと」という声と共にぶしゃっと車内にぶちまけた。ぶちまけたというより、何かにかけたようだった。
水浸しになった場所がフットスペースでよかった。
何してくれたんだ、と面と向かって言えるわけもなく、すぐに視線を逸らした。
「乗れ」
「はい」
もう用は済んだのか、助手席の扉を開ける姿を見て、運転席に乗り込む。
購入した煙草をと釣り銭を手渡そうとするも「それは要らねえ」と、釣銭を拒まれた。お駄賃ということか、ラッキーだ。
「どこへ向かいますか?」
「A101の倉庫」
「承知しました」
毎度のことながら、倉庫や廃墟はよく使われる場所だ。
悪い組織の人間が利用しそうな安直な場所だと思う。安直ではあるが、警察に目撃されたことはない。普段、警察は何をしているのだろう。交通違反の取り締まりよりもすべきことがあるのでは、と己の立場を棚に上げる。
「お前は本当に使えるな」
「はい?」
「褒めてんだ」
「ありがとうございます」
急に何だ。
使えるような人材になるための努力はしているが、今褒められた原因は何だ。釣銭を受け取ったこと、煙草を買ったこと、水を買ったこと。この中のどれかに褒める要素があったのか。分からない。
信号待ちで悩んでみるが、釣銭を受け取ったことが第一候補だ。がめついと言われながらも遠慮せず受け取ったので、その精神が評価されたのかもしれない。いや、それでは「使える」という褒め方はしないはずだ。うむ、分からん。
信号が青に変わったので車を走らせながら考える。やはり分からん。
「マルクさん、私は今、何を褒められたのでしょうか」
堪らず聞いてしまった。
「あ?知りてえか?」
「はい。今後に生かしたいです」
「クソ真面目だな」
呆れながらも笑うマルクに、サツキは耳を澄まして言葉を待つ。
「これは壊したし、まあいいか」
これ、と言ってマルクが見ていたのは、小さな丸い物体。それを親指と人差し指で持ち、力を入れるとバキっと音がした。
音からして柔らかそうな物体ではないように思うが、それを指で破壊するとはさすがだ。きっと片手で頭を潰したりする力を持っているんだ。
「何ですか、それ」
「さっき水をぶっかけて壊した盗聴器」
「盗聴器…」
そうか、車内を探していたのは盗聴器を見つけるため。
けれど盗聴器が何故、この車内にあったのか。
マルクとの会話を思い出し、まさかと顔を顰める。
「リチャード、ですか?」
「そうだ」
「あの時何かを落とした時に、盗聴器を車内に仕掛けたんですね」
「お前は車内を調べたみたいだが、本当に何もなかったのか?」
「はい。汚れが付いていないかの確認をしただけですので…」
何もなかったはずだ。いくら夜で暗かったとはいえ、車内の明かりは点けていた。何かが落ちていれば気づくし、張り付いていても気づく。
もっと念入りに調べればよかった。盗聴器を一緒に運んでいたとは、阿保にも程がある。
思わず唇を噛みしめる。
「今後はもっと注意深くなるんだな。気になるならとことん調べろ」
「はい。申し訳ありません」
やらかした、やらかしてしまった。
どくんどくんと早まる心臓に気付き、小さく深呼吸をして落ち着きを取り戻す。
「リチャードは何故、盗聴器を?」
「何故だと思う?」
「…私の車に盗聴器をつけるメリットは、マルクさんの情報を手に入れることができるところです。ライフルにも反応していたくらいですから、興味があるのでしょう。つまり、欲しいのはマルクさんの情報だと思います」
マルクは何も言わない。
サツキは挽回しようと頭を回転させる。
「マルクさんをお手本にしたかったから、マルクさんの弱点を知りたかったから、幹部の情報が欲しかったから。色々考えられますが、鼠という線が強いのではないかと思います。システムに侵入があったとされたのが最近で、リチャードも最近になってうちの所属になった。そして今回の盗聴器。タイムリーですね」
仮説ならたくさん立てられるが、鼠であると考えるのが自然だ。あまりにもタイムリーすぎる。
マルクが遠征に行っている間、メインの仕事はその一件のみ。もしや上はリチャードを疑い、尻尾を捕まえるため幹部の専属に態と乗せたのか。
「おぉ、正解だ。本物の馬鹿ではなかったな」
「…それは誉め言葉でしょうか。あまり嬉しくはありません。一歩間違えれば私が鼠に殺されていたかもしれないので」
「そうならねえために、もう一人を乗せてただろ」
「マルクさん、よくご存じですね。本当に遠征でした?」
「何だその目は殺すぞ」
「すみません、つい」
つまり餌にされたわけか。
サツキという餌をぶら下げ、鼠を泳がせる。
嬉しくはない。捨て駒にされた気分だ。
盗聴器にも鼠にも気づかず、呑気に仕事をしていた自分を殴りたくなった。
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