一箱屋(アドベントカレンダー2023)

綿野 明

12/03(日) 腕

 品揃えのいい、行きつけの画材屋さんが臨時休業だった。


 目の前には、緑のペンで書かれた「沖縄旅行へいってきま〜〜〜す」の張り紙。


 仏頂面……というか、「絶対過去に何人か殺してるよね」とクラスで話題の強面店主がこれを書いたのかと思うと笑ってしまったが、しかし困った。白の絵の具が切れてしまっているのだ。月下の雪景色を描き込むのに、セラミックホワイトがどうしても必要なのに。


 というか、なにゆえ十二月に沖縄旅行なのか。海水浴できないだろう。寒がりなのか? 避暑……じゃなくて避寒? そんな言葉ある?


「げ、あと十日も休みじゃん……」


 張り紙の下の方に書かれた営業再開日に気づいて、わたしは大きくため息をついた。あと十日。まあ、昨日塗ったところが乾くまでに七日と思えば、そこまででもない。同時進行で描いている静物画を進めるのと、あとはデッサンなりクロッキーなりして過ごせばいいか……と脳内でおおまかな算段をつけた。


 高二のわたしは、電車で五十分のところにある市立高校の美術科に通っている。本来なら学区外だが、公立でこういう専門学科があるところは珍しいので、特例として遠方からも受験できるのだ。


 だからクラス全員もれなく美術部だし、クラス全員、学校最寄りの駅近にあるこの店の常連なのである。


 私はクラスのラインに「おおしま画材13日まで休みだって」と送信し、ついでに張り紙の画像も送りつけた。瞬時に既読が6。「ガーン」みたいなスタンプと爆笑のスタンプが入り乱れて流れる。やはり店主の謎のノリに笑っているらしい。


 みんなの共感を得られて満足したところで、わたしはあたりを見回した。わざわざ部活のない日曜にここまで来たのに、ただ張り紙を見て帰るだけでは癪だったのだ。食べ歩きできるスイーツとかないかな、と思ったが、寂れた街並みが続いているだけだ。


 ふう、ともう一度ため息をついて、わたしは歩き出した。目のついた路地裏にふらっと入り込み、試しにスマホのカメラを向ける。悔しさがおさまらないので、絵の題材のひとつでも持ち帰ってやろうと思ったのだ。


「お、けっこういいかも。ちょい緑とか足して、廃墟風にして……」


 目を細め、脳内であちこちに色を足していたその時。細い路地裏の先に看板が見えた。黒い鉄枠で縁取られた、なかなか味のある看板だ。


「ひとはこ、や?」


一箱屋。そう書いてあるように見える。人差し指でメガネのブリッジを持ち上げ、睨むようによくよく見た。やっぱり「一箱屋」だ。


「何の店……?」


 エアコンの室外機を避けながら、わたしはおそるおそるその看板の方へ向かった。いかにも大正ロマンといった感じの店構えは、どうやらカフェかなにかのようだ。鞄をさぐって財布を開ける。中には五千円札が一枚と小銭がちょっと。セラミックホワイトのチューブが確か二千円くらいだから、ついでに筆とかマステとかあれこれ買わなければ余裕だ。


「よし」


 ごく、と唾を飲んでドアノブに手をかける。一人でこんなおしゃれな店に入ったことがないので、ひどく緊張した。ギ、と鉄の擦れる音がして、すぐにカランとベルが鳴る。


「……へ?」


 と、わたしはドアを半開きにしたところで固まってしまった。が、奥にいた店員と目が合ったのであわてて頭を下げる。


「あ、えっと……すいません。間違えました」

「いえ、営業中ですよ」


 よく間違われるんですがね、と笑っている店員を見て、わたしはドアを閉めようとしていた手を止めた。カフェではないが、倉庫でもないらしい。


「ここ、なに屋さんなんですか?」

「一箱屋ですよ」

「いや、そうじゃなくて……何を売ってる店なんですか?」

「ご覧の通り、箱です」


 そう手で指し示された店内は、確かに箱だらけだった。棚の中も机の上も、見渡す限り箱、箱、箱。それもダンボールが並んでいるとかじゃなく、木とか紙とかの小箱がぎっしりと。


 描きたいな、と咄嗟に思う。そのくらい異様な光景だった。


 おずおず中へ入って、手前の机に乗っている箱の群れを眺めてみる。角の擦り切れたボロい紙箱の隣に、カメオが嵌まった宝石箱。その奥にはお札のようなものが貼ってある木箱。


 わたしは比較的普通に見える小さな木製の箱を手に取って、下から箱の底を覗き込んだ。〈¥170,000〉の小さなラベル。


「は? 十七万? 高っ……」


 ぼったくりじゃん、と言いそうになったのは我慢して、そっと箱を上下に動かしてみた。見かけより少し重い気がする。


 中身が入ってる?


 眉をひそめ、わたしは小さな真鍮の留め金をパチンと外すと、蓋を開けてみた。


「……え、なにこれ」


 そこにあったのは腕だった。わたしの人差し指とちょうど同じくらいの長さの、小さなちいさな腕。


「人形の……腕だけ?」

「著名な腕師うでしの作ったものですよ。はじめにそれを引き当てるとは、なかなかね、あなた」


 店員の声がした。見ると、カウンターの向こうで頬杖をついている。態度が悪い。


「腕師……って?」

「腕師は腕師ですよ」

「義手とか作ってる人ってこと?」

「それは義肢装具士。こっちは腕師」


 何を言ってるんだか。そう思ったが、しつこく質問して買う気なのかと思われても困るので、わたしは黙って箱の中の腕を見つめた。


 白い腕だ。といっても真っ白じゃなく、色白な肌の色という意味だ。透けるような肌の奥には本当に血が通っているようで、触ったらあたたかいんじゃないかというようなその質感と色合いは、絵描きとしてもちょっと息を呑んでしまうくらい精緻に作り込まれている。よくよく目を凝らすと、薬指のわきに小さなほくろまであった。


「右腕……」

「そう、それは右腕です」

「左腕もあるんですか」

「世界のどこかには、おそらく」


 わたしはしばらくの間じっとその右腕を見つめていたが、見れば見るほどリアルなそれがだんだん怖くなってきて、そっと蓋を閉じた。素材がなんなのか、触ってみる勇気はなかった。


 ふう、と息をつき、わたしは気分を変えようと隣の白い紙箱を手に取った。

 とその時。


「待った!」


 突然店員が大きな声を上げたので、わたしはびっくりして箱を取り落としそうになった。危ういところで立て直し「え、なんですか」とカウンターを見る。


「開けるのは一日一箱までだ」

「え?」

「開けていいのは一日一箱まで。買っていいのは生涯一箱きり。それがルールだよ」

「……は?」


 意味がわからない。し、ちょっと気持ち悪い。


 が、それと同時にわたしのなかの絵描き魂がくすぐられる感じもした。芸術家というのはまあ往々にして、不意に出会うへんてこなものが大好きなのだ。


「……じゃ、明日も来ます」

「それがいいでしょう」


 店員が慇懃無礼に頷いた。わたしは手にした白い箱に「明日開けてやるから、売れ残っといてよ」と声をかけ、その店を後にした。


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