第165話 心の奥底に溜め込んでいた物


 ※登場する人物や学校やクラブなどは全て架空であり実在とは一切関係ありません。












「どうした!?大勢の観客で囲まれた国立に飲まれたのか!?お前達はそんなヤワなメンタルではないだろう!」


 ハーフタイムの海塚ロッカールームで監督は予期せぬ大苦戦に選手達が国立の空気に飲まれ、普段のプレーが出来てないと思って声をかけていた。


「(飲まれてなんかいない、ただ…立見の奴と競り合うと今まで感じた事の無い重さと強さが感じられた。明らかに俺達の方が体格で勝っているはずなのに!)


 監督へは反論せず下を向いているチームのエース佐田、前半で何度か立見の選手とぶつかり合ったが予選で同じ鹿児島の高校で屈強な相手と比べてまた違う強さがその身体に伝わって来ており打開策は見つかっていない。


「とにかくなんとしてもペースを掴むんだ、あの厳しいトレーニングを思い出せ!それを乗り越えてきたお前達ならば負ける相手じゃないはずだ!」


 海塚の屈強な肉体、それは日々の厳しいフィジカルトレーニング等で身につけた努力の証。更に食事も主に蕎麦と制限し徹底させており、トレーニングのみならず日常もスパルタでそれらを海塚の選手はこなし乗り越えて来た。


 彼らならば海外の大型プレーヤーにも競り負けはしないと選手や監督共々自信を持っている。


 同じ国内の高校生に競り負けるはずが無いのだと。










「よーし、前半は良い感じで行けたな。後半は歳児と上村を何処で出すか…」


「アップはさせているから何時でも行けると思う」


 立見のロッカールーム、1-0とスコアも展開もリードを奪っており優勝候補の海塚を相手に良い試合運びが出来ているせいかチームの雰囲気は良い。


 成海が武蔵と優也を後半の何処に出すか考えているようで、京子はそう言い出すと思っていたのか2人へのアップを前半が終了したタイミングで伝え、身体を温めに向かわせていた。



 優位とはいえ点差はたったの1点、気を抜けばすぐに逆転もされかねない。




 だが逆転どころか相手が追いつく為の1点すら誰よりも小さなDFは許す気など全く無かった。


 その為なら彼は容赦しない。








 両イレブンが国立のフィールドへと戻り大歓声が会場を包み込む中で後半戦のキックオフ、笛が吹き鳴らされた。



 リードされている海塚は当然前へと出て行き得点を狙いに行く。元々フィジカルだけでなくテクニックも兼ね備えている海塚は細かいパス回しで繋ぎ、正面からの突破を狙う。


 体格あってパワーあるので正面から多いであろうぶつかり合いを制して最短距離でゴールを目指す海塚のサッカースタイルだ。


「8番囲んで囲んでー」


 そこに立見はボールが渡った寸前の8番を取り囲み、数的優位を活かしボールを奪っていく。



「ああくっそ…!」


 またボールが来ずに佐田は悔しそうで苛つくような顔になっていた、絶好機でシュートさえ撃てればゴールを奪う自信はあるのだがそれが中々来てくれない。



「機嫌悪そうだね、蕎麦しか食べられなくて好きな物食べられないからイライラしてるんでしょ?」


「あ?」


 そこに佐田の下の方から声がかかり、佐田が見下ろすと弥一がすぐ後ろに立っており声の主は彼だ。


「厳しいチームだよねー、ご褒美ぐらい少しくらい好きな物食べさせてくれてもいいのに。鳥の唐揚げとかラーメンとか寿司とか」


「う、うるせえな…試合中に飯の事なんか持ち出すんじゃねぇよ」


 弥一の言葉はこれ以上聞けないとばかりに佐田はふいっとそっぽ向いて後ろへと下がろうとしていた。


「海塚ってそんな苦しいサッカーしか出来ないんだ?少しくらい楽しくやった方が強くなれそうなのに勿体無いー」







「(苦しい…そりゃ、日々の過酷なトレーニングに試合の連戦と苦しい事ばっかだ。飯も味気ない蕎麦ばっか食ってるし)」


 佐田や海塚は全国でも屈指と言われるフィジカルを日々の厳しい練習で鍛えて物にしてきた、だがそれと引き換えに楽しい事を犠牲にしている。


 遊びは無い、日々の食事も楽しみは特に無い。ただ身体を鍛える為に栄養を摂取する日々。



 そんな苦しいサッカーしか出来ないんだ?



 弥一に言われた言葉がその心に残ったまま佐田は走っていてそれに反論するよう心で叫んだ。


「(楽にやるより苦しむ方が強くなるだろ!俺らは苦しみ抜いて耐えて来た!その俺達が負ける訳が…!」)」


 その佐田へとボールが来て足でトラップしに行く。



「!」


 しかし力み過ぎたのかこのトラップをミスして佐田はボールを弾いてしまう。


『おっとどうしたのか海塚のエース佐田、珍しくトラップミスでボールは立見の神明寺が拾ってクリアする!』


『怪我したのでしょうかね?調子が悪そうですよ』




「くっそ!」


 何時もはしないミスをして佐田は地面を踏みつけて苛立ちをより現していた、弥一の言葉に影響されているのか心は乱れている。



 そういう迷いは心が読める弥一には手に取るように分かっており佐田は不安定な状態だ、強靭な肉体があっても精神が安定していなければ自慢の力を最大限に発揮する事は叶わない。



 ストイックにサッカーをしてきた海塚だが心の奥底では溜め込んでいた事があり封印していた欲求、それを弥一は刺激し乱れさせるという心理戦で佐田を揺さぶりにかけていたようで、今のトラップミスを見ればその策に佐田ははまってしまったようである。




「もっと高さ使え高さ!」


 海塚の監督は積極的に前へと出て来て選手達へと声をかける、先程から選手達が自慢の高さを使っていない事に気付き高いボールを放り込むように意識させる。



 監督からの指示が聞こえたのかサイドから海塚の選手が左サイドからアーリークロスを上げ、立見ゴール前へとハイボールを放り込む。



 だがそこに立ち塞がるのは立見の闘志溢れるDF間宮、相手の長身選手と真っ向から競り合い互角の勝負をするとボールは溢れていき海塚がこれを拾いに行くがその前に影山が詰めていて先にボールを取る。


 海塚の屈強な相手と互角に渡り合うパワーを持つ間宮と静かに近づきセカンドボールの争いを制する影山、幼い頃から共にサッカーをやっている幼馴染コンビが立見のゴール前に立ち塞がって海塚を止めていた。




「中央フリー!」


 弥一が中央空いてると声をかけ、それに影山が前を見ると成海がフリーになっているのが確認出来た。


 これに影山は地を這うような長いグラウンダーのパスを成海へと送り、これが届くと立見のカウンターチャンスだ。


 成海がドリブルで1人躱すと左サイドへと前を向いたままノールックでパス。そこに後半から交代で入った武蔵が上がって来ている。



『影山から成海、更に上村と立見流れるような連携だ!』




 此処まで屈強な守備で立見の攻撃を跳ね返してきて最初の1点以降は失点を許さない海塚、だが此処でまたしてもピンチを迎えてしまう。


「豪山マーク!」


 海塚GKのコーチングでゴール前、豪山へとDFが張り付く。


「(!?あいつは、何処行った!?)」


 その時DFの1人は後半から入って来たもう1人を見失っていた、要注意と言われる立見のスピードスターの存在を。




 優也はこの時何時も直線で自慢の快足を活かし走っていたが今回は何時もと逆の右サイド側を走っている、直線ばかりではないコースを走る事でDFの目をくらまし海塚が気付く前に武蔵は左足で低いクロスを上げた。


 まるでシュートでも撃っているかのような速さでDFはカット出来ない、これに優也は左足でワントラップ。ゴール前で慌てず冷静に右足で低空のシュートをゴール右へと叩き込む。



 海塚GKもダイブするが及ばず、後半40分前に優也がダメ押しであろう2点目を此処で決めれば前半に上がった大歓声が再び上がり国立を包み込んだ。



『立見2点目ー!後半39分、この選手権でも歳児タイム炸裂だー!2-0、立見が勝利に大きく近づいた!』


『サッカーで2点差は危険と言われますが試合終了前となると、これは海塚にとってはとてつもなく重くのしかかりますね』



 立見イレブン皆が喜び、優也はその中で次々と抱きつかれる。その前に優也を撮っていたカメラは彼が小さくガッツポーズし喜びを表しているシーンをばっちりと収める事に成功し、後に全国で流れるのが確定される事をこの時彼らはまだ知らない。



 一方の海塚は決定的な2点目を反撃の時に決められてしまいがっくりと項垂れており心折れていて、監督は諦めるなと声をかけてすぐボールをセットするよう言う。








 そんな心折れた海塚の反撃を残り時間、立見は意地の1点も許す事は最後まで無かった。





『試合終了!高校サッカー選手権の開幕戦を立見が2-0で優勝候補の海塚を下し次へと駒を一足先に進めました!フィジカル軍団をも立見は無失点に抑えた!』




 選手権の初勝利に立見側が喜ぶ中で優勝候補と言われた海塚が1回戦で敗退し、厳しいトレーニングを積んできた海塚の選手達は呆然と立ち尽くしたり座り込んで動けずにいた。



「(あれだけ苦しい思いして、全国勝ち抜いたってのに…1回戦でもう終わり、これで高校サッカー終わっちまった…)」


 佐田は座り込んだまま立見イレブンの中で喜ぶ弥一の姿をただ眺める。



「(多分あいつ、ああ言ってるって事は結構美味いの食ったりとかしてんだろなぁ。それでモチベ保ったりとかして楽しくやったりと…)」


 弥一がどういう食生活を送っているのかは初対面の佐田には知る術は無いが、少なくとも自分のように毎日蕎麦とか味気ない食生活は送って無さそうだ。


 ストイックに部活へ打ち込んで来てプロ内定も貰って来た佐田だが心の奥底では美味い食事を食いたい、遊びたいという思いは確かにあった。


 そういうのを出すのは良くないと思い奥へ追いやり封じていたが、弥一を見ていて不思議と少しぐらい良いだろうと自分に甘くしてみようかと考え直していた。


 厳しいばかりで自分を追い詰めるよりも少しでもいいから癒しや褒美を上げた方が良いと。



 その第一歩として佐田は項垂れて涙を流す同じ3年の友人へと声をかける。



「残念会兼ねて思いっきり食いまくろうぜ。カツ丼でもラーメンでも寿司でも今まで食いたいと思ってたやつを腹いっぱい」


 友人達にそれぞれ声をかけつつ佐田は彼らと共にロッカールームへと引き上げ、海塚の今回の選手権は此処で幕を閉じる。


 この後夕飯で彼らの食欲は存分に発揮され、焼肉食べ放題のチェーン店で久々に食の楽しみを心ゆくまで堪能したという。





立見2-0海塚


神明寺1

歳児1

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