第68話 初めての領域へ
※登場する人物や学校やクラブなどは全て架空であり実在とは一切関係ありません。
何がどうなっている。
音村学院のキャプテン島坂康夫は内心今まさにそんな感じだった。
1970年代の高度なトータルフットボールを目指し、音村はそのスタイルを追求してきた。
それで成績を伸ばし、いずれは東京代表となれる。それだけの力を自分達は持っていると自負している。
相手は音村相手に一度も勝てていない立見、軽く勝って準決勝に備えるつもりだった。
現にこの試合もボールを持って攻めてはいる。いるのだが、肝心のフィニッシュまで持っていけない。
大事な所で大抵小さなDFにカットされているせいだ。
そしてその攻撃チャンスも思うように回って来ていない。
「よーし、回してけ」
成海が声がけをしてボールを取った立見は1点取って以降あまり積極的に攻めずパスを回していく、立見がこれによって長くボールをキープして攻撃に時間を費やしていく。
そして負けている音村の方は当然ボールを積極的に取りに行こうと動く。
武蔵が左コーナーまで行ってボールをキープし、それを音村が2人がかりで守備。ボールはタッチラインを割ると武蔵はマイボールをアピールするがボールは音村と審判は判定。
そして再び人数をかけて動き出す音村の選手達、島坂を中心にパスを回していき此処でまたパスに行くかと思えば此処でまた島坂の個人技。シザースから相手の股の間を通すパスで個人技からのFWへ向かうボール、川田の股の間をボールが通過し音村FWがそのボールを取る。
「おっとー」
事は無かった。
FWに来ると分かってて弥一はパスコースに飛び込んでいきインターセプト。そして素早くマークの薄い影山へとパス。成海には既に厳しいマークがついている事は分かっているのでそこには出さない。
「(くっそぉ!何でだ!?)」
時間が経つと徐々に苛立ちを見せてくる島坂。自慢の攻撃力が発揮出来ず此処まで1ゴールどころか枠内のシュートも無い、1本ロングシュートを撃つ事は出来たがコントロールが出来ずゴールマウスを捉えられず落ち着いて大門に見送られていた。
そして弥一だけではない、間宮、田村達が的確な守備を見せておりクロスボールを簡単に上げさせなかったりヘディングでニアのボールを跳ね返す。
溢れたセカンドボールを高い確率で影山が拾って繋いだりクリアしてくれているのも非常に大きい。
ボールは再び立見が持つが、積極的な攻めは見せて来ない。音村を焦らすようにパスを回す、積極的に追いかける音村から逃げるように。
「(この、攻めて来ないのかよ…!カウンター出来ないだろ!)」
音村DFも焦らすような立見のサッカーにリードされている事もあり苛立ち、業を煮やしたかゴール前から動きボールを取りに向かう。
「うわ!?」
成海が相手DFに倒され、審判の笛が鳴ってファール。
立見にとってはゴールから25m程の良い位置でのフリーキック、ほぼゴール正面であり音村は前半終了間際にピンチを迎えている。
此処での追加点は立見に大きく、音村の方はなんとしても2失点は避けたい所。
音村のキーパーが壁となる選手へと指示を飛ばすとその前に立つのは成海、豪山、影山。3人の内の誰が撃つのか。
迷わせる作戦か、音村の方は十中八九成海が撃つだろうと思ってる。コントロール、シュート力を思えばこの距離は彼であり似た距離からのフリーキックを決めているのも見ている。
壁は成海を見ていると成海はボールの前に居て、影山と豪山が助走を取っていた。
これは豪山のパワーシュートか?という新たな選択肢が音村の方に出て来る、成海が軽く蹴り出して勢いつけてのシュートかと。
「隙間作るな、ピッタリ寄せろ!」
隙間が出来てると音村キーパーから指摘があって壁の隙間を修正。壁の間を通されるのは避けたいと音村は必死だ。
審判の笛が吹かれ試合再開、フリーキックが開始される。
成海がボールを軽く足で触り豪山が走り込んで行く。
「(豪山か!)」
影山は走っていない、今走っているのは豪山。キーパーの視点から見て彼が撃って来る、そう思い身構える。壁も彼のパワーシュートにぐっと構えた。
だが、予想外の事が起きる。
成海が助走せずにそのまま左足で撃ったのだ。
「!?」
豪山は事前にストップし、彼の走りはただのフリ。本命は最初から成海、音村は豪山の動きに釣られ成海は意識から外れてしまっていた。
左足の成海のキックは壁を超えて巻くようにゴール右へと飛ぶ、助走が無い分シュートの勢いはそんな無いものの意表を突かれ反応の遅れたキーパーは飛びつき、左手をなんとか当ててゴールを阻止。
だが、跳ね返ったボールがDFへと当たってエリア内で再び跳ね返ったボールはゴールへと向かう。
DFが掻き出そうとするも時すでに遅し、ゴールマウスへと入り立見はフリーキックで追加点。キャプテンの成海へと立見イレブンが集まり共に喜び、立見応援団は大盛り上がり。
記録は成海のゴールではなく音村のオウンゴールとなるが、どちらにしろ大きな1点に変わりは無い。
此処で前半終了の笛が吹かれ2-0。
試合前から立見は決めていた事がある。
振り返る事試合前のロッカールーム。
「改めて確認するぞ、この試合は前半攻めない」
成海はホワイトボードに書いていく、難敵音村に向けて此処は何時も通りではない。彼らへの対策を此処で実行するつもりだ、それは彼らに敗れた時から考えられた物。
「音村のトータルフットボールは強力、全員攻撃に全員守備を彼らなりに現代風にアレンジし実行している。それがスコアにもハッキリ出ているのは事実」
京子は淡々と音村のサッカーについて語りスマホでこれまでの音村のスコアを確認、相手を大差で下してこの準々決勝まで勝ち上がって来ている彼らの攻撃サッカー。それが躍動していた結果だ。
「向こうは攻撃的に出て来る、そして守備も全員。それぞれがフリーランニングで走り回る、だったらそれを利用させてもらうまで」
そして作戦は決まり、守備でも弥一はDF陣を呼んで話していた。
「音村って実は言う程複雑なサッカーしてないんですよねー」
「どういう事だよ?」
「ほら、これ」
弥一はスマホで間宮達へと画像を見せた、そこには攻め上がる音村の選手達。知らない人からすれば人数をかけた迫力ある攻撃だ。
「中盤の巧い人がボールに触る機会多く、その人中心に2、3人でパス回し。後は大半がデコイ(囮)、フィールドの中じゃ相手さん多い人数に惑わされてますけど」
動画では音村のキャプテン、島坂と他の巧い有力選手二人の3人でボールを回して他は動き回り相手をかく乱させている。人数をかけた攻撃も実はボールに触る人物、人数は前もって決まっていた。後は囮として翻弄する役だ。
「しかしなぁ、動画通りにうちではやってくれないんじゃね?」
田村はこの試合はそうでも当日の立見もそう来るのかと疑問だった、たまたまこの試合だけそのプランで立見ではガラリと変える可能性も当然あるはずだ。
「やって来ると思いますよ。この島坂って人、見る限りかなり目立ちだかりなんで」
弥一が見ているスマホにはゴールを決めてポーズを決める島坂の姿。
「くっそが!」
ロッカールームでそんな対策が前もってされていたとは知らない島坂は苛立ったまま座った。
「落ち着け島坂!キャプテンのお前が動揺してどうする」
「…すみません」
音村の監督から態度を注意され、島坂は小さく謝罪する。そして落ち着かせようと深呼吸。
「相手のペースに飲まれるな、立見は硬い守りだが右サイドからの攻撃に弱い所がある。後半はそこを徹底して突いていくんだ、音村のサッカーは強い!自信を持て!」
「はい!」
監督の言葉、指示に音村イレブンは揃って返事。
作戦通り、後半開始から音村は右サイドから攻めに行く。左には田村、更に近い位置に間宮も居るので右からの方がまだ守りは甘い、その狙いで右のサイドアタックを中心に攻撃を切り替えた。
「7番囲んで囲んでー」
弥一のコーチングで立見は二人がかりで音村の7番を囲み、これにパスのターゲットをどうしようとパサーの足が止まる。
そこを逃さず影山が死角から詰めてボールを零させた。
更にしつこく右から攻めて、立見のゴール前へ高いクロスが上がる。ファーへと行くボールだが、これを大門が「任せろ!」と飛び出してクロスボールをキャッチ。
彼の長い手と跳躍力が逃さなかった。
「くっ…!」
島坂は息が乱れていた、彼だけではない。他の選手もスタミナを消耗している。
「(フリーランニングのツケがやっと来たね。足重そうだ)」
後ろから見ていた弥一は動きが全体的に重そうな音村の面々に、前半から行ってきた事がやっと効いてきたなと分かった。
音村のトータルフットボール、フリーランニングによる全員攻撃、全員守備は強力だがスタミナの消耗もその分激しい物となる。
更にこの試合に関しては攻撃が前半から決まらず得点が動かなくリードも許している。その精神的な負荷もあり通常よりも凄まじい疲労となって音村の選手達に襲いかかっている事だろう。
彼らのサッカーを打ち崩す為に立見がやってきたのはロンド、またの名を鳥かごだ。
ボールを複数人で回し相手の守備を動かし走らせる、途中で取られても守り再び攻撃の時にしつこくこれを実行。徹底してフリーランニングの音村を走らせて前半からスタミナを使わせ、攻めないサッカーを続けた。
開始早々は巧い具合にカウンターのチャンスが来たので弥一がこれに動き出し先制点が取れたのは正直立見にとって嬉しい誤算だった。
後半25分に彼らの動きに鈍りが見えてきた所に音村が動き出すと同時に立見も動く。
音村は疲労した二人を一気に変えたのに対し、立見は此処で優也を投入。
そして彼はいきなり仕事をする。
攻勢に此処で出る立見は影山、武蔵とボールを素早く繋ぐと武蔵は音村DFの空いたスペースを見つけて相手の頭上を越すようにパス。
ボールが切れそうなスピードで厳しいパスだが彼には丁度良かった。
優也がトップスピードに乗って追いかけ、音村DFも後を追う。
先に追いついた優也は此処で左からエリア内へと入り、キーパーは飛び出しが遅れていた。
優也は右足を一閃。
音村キーパーの肩上を抜け、ボールはゴールネットを見事に揺らしゴールへと入った。
3-0
交代から僅か1分で優也は武蔵からのアシストを決めて連続ゴール記録をまたしても更新。
スタンドからは「優也!優也!優也!」と彼の名前がコールされる。
弥一と違って優也は派手には喜ばず、だが右手を握り締めて確かな手応えを彼は掴んでいた。
8分後、交代した音村の選手だがチーム全体に特に影響は与えられず劣勢は続く。
田村がゴール前に低いクロスを上げて優也がそこに飛び込み足を伸ばす。
伸ばした足がボールへ当たり、コースは変わってボールはゴールへ向かい入っていった。
この日2点目の優也。4-0、益々上がる立見応援団のボルテージ。対する音村はもうほぼ勝ち目がこれで無くなってしまう。
そして後半終了間際。
ピィーーー
武蔵のクロスを阻止したDF、だがそれは手に当たってハンドの反則を取られる。
そして阻止した位置がエリア内。よってPKのチャンスが立見に与えられた。
キッカーは今日2点の優也にそのまま任される。これを決めれば3点目、ハットトリックだ。
だがそれに対する拘りは無いのか優也は冷静そのもの。プレッシャーのあるPKも落ち着いて蹴り、厳しいコースへと蹴り込み音村のキーパーは一歩も動けない。
このPKを決めて5-0。
優也は後半途中出場で3点のハットトリック。立見にとって難敵と言われる音村にとどめを刺し、これで完全決着となる。
試合はこのまま終了。
立見はこれで8試合連続無失点、優也は8試合連続ゴール。更にこの試合ハットトリックと大活躍だ。
「畜生…!」
完敗した音村の島坂、毎回味わっている立見の気持ちを今度はこちらが味わう事となってしまった。
格下と侮ったのもあるかもしれないがそれ以上に今年の立見は強かった、此処まで大差で負けるなど桜王相手でも無かったはずだ。
「お前まだ終わりじゃないだろ、3年最後の大会…選手権でリベンジだ」
「……うっす」
音村の監督にポンと頭を叩かれ、涙をぬぐい立ち上がる島坂。此処からすぐ選手権への戦いが彼らの中では始まる。今まで立見が追いかけていたが今度は音村が追いかける番となる。
初のベスト4進出に喜ぶ立見イレブン。次の準決勝、東京代表決定戦に勝てればインターハイ、全国への道がいよいよ開かれる。
だが今は部が設立されてから初めて足を踏み入れる事が出来た領域、その勝利をもう少し味わっても罰は当たらないだろう。
立見5-0音村
神明寺1
オウンゴール1
歳児3
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます