第9章:疑念

(お人好しも度が過ぎると致命傷になる、か)


 自室のベッドに寝転がりながら、和哉はマリナの言葉を反芻はんすうしていた。

 学習机の上には、復習のために高校の教科書やノートが広げてある。少しは手をつけたものの、どうにも頭に入ってこず、今は休憩中だ。


 ―――カフェを出た後、マリナは満足した様子で「また会いましょ」と言って、さっさと帰ってしまった。

 そのため、和哉は当初の予定に立ち戻り、予備校の自習室に寄ってから、自宅へと戻ってきた。

 昼間遊んだ分、いま勉強をして遅れを取り戻さねば、という思いはある。

 けれど、マリナの言葉が気になって集中できず、結局、その手を休めてしまったのだ。


(結局、マリナは何がしたかったのか、よく分からないけど、でも)


 マリナが和哉を誘った真意がなんなのか―――本当にお礼がしたかっただけなのか、他に意図があるのか―――は分からず仕舞じまいだが、この際、そのことは横に置いておく。


『私がこんなことを言うのもなんだけど……あなた、ちょっとくらいは他人を疑った方がいいわよ?』


 マリナのみならず、セーラー服姿のあの少女もそう言っていた。


(化け物に襲われそうになるし、面識がない子にかばわれるし……あと、ほぼほぼ初対面の子にベタベタされて、個人情報根掘り葉掘り聞かれるし)


 和哉自身が何か変化したというわけでもないのに、ここ数日、異常なことが立て続けに起きている。


(おかしい、よね)


 和哉に対して、急に接近してきた少女たち。

 言い方こそ違えど、彼女たちは和哉に対して「他人を疑え」と釘を刺している。


「他人、か……」


 マリナに声をかけられたせいで中断していた、その思考をもう一度引っ張り出す。


 ここ数日、寄り道するなとやたら苦言をていしてきた、アイツ。

 アイツにだけは、少女と化け物の戦いを目撃してしまったことを、話してある。


 和哉のことをよく知っていて、行動パターンも把握していて、そして何より、オカルティックな現場を目撃してしまったことを知っている。


(光志郎、お前が一枚んでるのか?)


 疑いたくない。

 だって、いつも教室でくだらない話に花を咲かせていた仲じゃないか。

 学校帰りに寄り道したり、休みの日に遊びに行ったり、ずっと仲良くしてきたじゃないか。

 たしかに知り合ったのは高校に入ってからで、付き合い自体はまだ長くはないが、とても気の合う……。


(いや、待てよ?)


 光志郎はしょっちゅう学校をサボっていて、和哉に授業の進み具合をよく聞いてくる。

 知り合ってから、ずっとそんなことを繰り返してきた。


(あんなにサボってばかりで、進級なんてできるのか?)


 例えテストで良い成績を残したとしても、出席日数が圧倒的に足りないだろう。

 2年生になってまだ月数は浅いが、問題はそこではない。


 ―――一1年生から2年生へ、どうやって光志郎は進級した?


(1年生の頃もあの調子だったのなら、とうてい進級なんて無理だ)


 光志郎といつ頃仲良くなったのか、具体的には憶えていない。

 そこに違和感など、抱いてこなかった。

 和哉としては「高校の同じクラスで過ごすうちに、何となく仲良くなった」くらいにしか思っていなかったのだ。


 印象に残っていないということは、クラスメイトの大半が「初めまして」だった1年生の頃? だが、1年生からあの調子なら、そもそも進級できていないはず。


 では、2年生になってから?

 いや、そんな最近のことが、記憶に残っていないわけがない。


(待った待った。そんなわけないだろ……)


 正体不明だった気持ち悪さが、明瞭な形を持った恐ろしさへと変化して、じわりじわりと和哉の胸にこみ上げてくる。


(僕はいつ、光志郎と知り合った!?)


 和哉はベッドから飛び起きて、スマートフォンに手を取った。

 震える指先でディスプレイをタップして、フォトフォルダを呼び出す。


(友達なんだから、写真の一枚くらい残ってる、はず。

 その撮影日を見れば、少なくともそれより前に知り合って……)


 しかし、どれほどスクロールしてさかのぼっても、光志郎本人はおろか、彼の持ち物が写っているものすら出てこなかった。

 それならばと、チャットアプリや電話帳を起動してみても、そこに彼の名前や言葉はなく。

 光志郎から何か借りてないか、貸していないか、記憶をたどってみるが、それもない。


「そんな、どうして……」


 目の前に広がる現実に、感情がついていかない。

 光志郎との繋がりを証明できるものが、ひとつもないなんて。


(いや、そんなことはない! 光志郎と一緒に過ごした記憶ならある!

 教室でくだらない話をしたことも、一緒に遊びに行ったことも、ちゃんと憶えてる)


 スマートフォンは、データが一部だけ飛んだのかもしれない。

 物を貸し借りなんて、してない時期の方が多いだろう。


 こんな理論いいわけ、こじつけでしかないと頭では理解している。けれど、今はその暴論にすがるしかなかった。


「ま、まあ、明日になれば、また学校で会えるわけだし……」


 ―――自分の信じていた「日常」なんて、存在しないのかもしれない。


 そう思いたくなくて、和哉はスマートフォンを放り出したのであった。

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