ドッペル心中

晴牧アヤ

ドッペル心中 前編

 廃れたビルの屋上から身を乗り出して真下をのぞく。このフェンスさえ越えれば消えてしまえるのだろうか。少しの躊躇と、それでも狂いそうになる程の厭世観が入り混じる。入り混じりはするものの、結局は葛藤の必要がないくらいに簡単に、心宮中乃は自然と片足を掛けていた。

 その行為を止めるようにドアが開く音がした。慌てて足を元に戻して、音の方へ振り返る。


「えっ……」


 息を呑む音が、二つ聞こえる。同時に、彼女たちは目を見開いた。心臓をきゅっと掴まれたように肝が冷える。

 当然だ。だって、自分と同じ顔をした人間が目の前にいるのだから。


≪≫


 発端は、中乃が朝一番に受け取ったメッセージだった。送り主は同じ大学サークルの高橋という女友達で、その中身はあまり良いものではなかった。

 高橋は、中乃の親友である最川愛花が中乃を酷く嫌っているという旨のメッセージと、実際に愛花が高橋にチャットで送ったと思われる、愚痴のような中乃への悪口をスクショして送ってきたのだ。前触れなどなく、酷く一方的だった。朝一番に見て良いものでもない。

 この時点では、当然ながら懐疑的だった。だって唐突に君は仲の良いはずだった友人に嫌われているとか言われても、現実味なんかあるはずない。そのやり取りの画像だって信用に足らない。この令和の時代で、チャットのやり取りなんていくらでも偽造できるだろう。高橋とはそこそこに仲が良かったので、そんな悪戯をするなんて、と中乃は軽く失望した。

 しかし一度人に言われると、それが嘘であるかも疑わしくなってくるもので。勿論、愛花は天真爛漫でいつも中乃にべったりついてくるような子だし、問題のチャットも彼女とは似つかわしくない言葉遣いだった。それでも心の内ではどうかわからない。だから中乃は、直接愛花に聞こうと彼女の家まで急いだのだった。


 愛花とは高校生時代からの付き合いで、よほど馬が合ったのか生涯一で仲が良い友人だった。いつも一緒にいて、クラスメイトからは二人セットで覚えられていた程だ。当然お互いの家にも遊びに行くことは良くあったし、大学生になった今でもそれは変わっていない。だからこんな、もはや裏切りとも言えそうなことは初めてで、嘘だと信じたかった。

 愛花の家に着いてインターホンを鳴らす。焦る気持ちを抑えて、愛花が姿を見せるのを待った。しかしドアを開けたのは愛花ではなく、他の大学の友人だということに気が付くまで時間が掛かった。

「あれ、中乃じゃん。どったの?」

「どうしたじゃないよ、なんで愛花じゃなくて……」

「ああ、ちょっと別の子たちと買い物に行っててね。私は留守番してるの。もうすぐ帰ってくるとは思うけど……」


 友達は少し言い淀んで、表情は苦い顔をしていた。何かを言い辛そうにしているのを、無理矢理口を開かせる。


「いや、ね。あんまり中乃と愛花を会わせるの、あんまりよくないかな、って」

「なんで!? 私達、喧嘩とかもしてないんだけど……」

「中乃はそう思ってるかもだけどさ、なんでかわかんないけど愛花が凄い嫌ってるみたいでね。表面上は仲良くしてくれるけど、できるだけ合わせたくはないかなぁ」


 高橋だけでなく彼女までもが、自分は愛花に嫌われているのだという。そこまで言うのならば本当なのかもしれないと思いかけて、それでもまだ愛花を信じたかった。

 気持ち悪いのを飲み込んで、迅速に友人に別れを告げる。他人の言葉じゃなくて、本人に聞くべきだ。もし仮に、本当に仮に嫌われていたとして、本人から聞いた方が信用に足る。すかさず携帯を取り出して愛花に電話を掛けた。コール音が鳴り響く。

 ……コール音は止まらず、なかなか繋がらない。切れても何回もかけ直すが、やはり繋がらない。だんだんと悪い想像も膨らんでいって、遂には幻聴が出来上がってしまった。


『やめて、もう二度と姿を見せないで。わからない? 反吐が出る程あなたが嫌いなの。心宮中乃が』


 すべてを吐き出すように、叫んだ。哭いた。携帯は投げ捨てて、頭の痛みも振り解こうとするように腹にある黒いものを吐き出した。けれど、それらのどの苦痛も消えることはなかった。

 次第に力が抜けていき、虚無感が残った。そうしてふらふらと歩きだして、そこから先はよく覚えていない。気付いたら廃ビルから真下を見下ろしていたのだ。


≪≫


「想像以上に重かったわね……」


 そう答えるのは、ビルの屋上で鉢合わせた中乃にそっくりな少女、生浦写奈だった。

 あの後中乃達は、互いにドッペルゲンガーを疑いその時は恐れたのだが、結論から言うとそんなことはなかったのである。本当に他人の空似というもので、あそこで鉢合わせたのも二人とも自殺しに来ただけに他ならなかった。言うなれば、ただの偶然だ。

 鉢合わせた当初はお互いに酷く動揺しており、場を落ち着かせる為にも近くの喫茶店に入ることとなった。そこで多少落ち着いた二人は、それぞれ自分の境遇を話すこととなったのである。


「なんだろ、人に話したからかな。ちょっと楽になったかも」

「それなら良いのだけれど。それで、今度は私の番? 心宮さんよりありきたりで、面白いものでもないけれどね」

「不幸自慢大会じゃないんだから、少なくとも私の話と比べる必要はないって」

「そう? まあ、聞いていってよ」


 写奈の自殺の動機は、本当にどこにでもあるようなもので、親からの圧力だった。良い大学に行かせるために拘束して、やっとの思いで滑り止めに合格したものの行かせてはもらえなかった。もっともそこも決して低い偏差値の大学ではなかったのだが、高尚主義の両親はそこに行くのを認めず浪人させて、現在彼女は浪人生として変わらず拘束されていたのだった。

 そんな両親に嫌気がさして、抜け出してここに来たのでした、と彼女は締めた。ほら、面白くもなかったでしょう、なんて告げる彼女に、中乃は手を取って言葉を返した。


「面白いとかじゃないって。それに、写奈は昔からそれを耐えてきたんでしょ? 私よりずっと凄いって。偉いよ、写奈は」

「心宮さん……」


 その返答に写奈はいくらか救われたような表情を見せた。中乃はそのことに安堵すると、途端に照れくさくなってしまって、咄嗟に顔を逸らす。なんだか恥ずかしいことをしてしまった気がする。


「ごめん、ありがとう、心宮さん」

「中乃でいいって。そっちの方が呼びやすいでしょ。

……それで、これからのことなんだけど、どうする?」


 少し間をおいて、中乃は『本題』を切り出した。正直なところ自殺動機などはどうでもよくて、どうやって今ある苦しみを取り除くかが重要だった。とはいっても中乃の心はもう決まっているのだが。なんとなく、ただなんとなく写奈がこれからどうするのかを知りたかった。


「これから、ねぇ。家に戻るべきなのだろうけど、帰っても地獄みたいな日常に逆戻りなのよね。だからって宛てがあるわけでもないし、今更死にたいわけでもない。本当にどうしようかしらね」


 それを聞いて、彼女は死にたいんじゃなくて『逃げたい』のだと悟った。別にそれが悪いことでもないが、いやむしろ彼女にとっては最善なのだが、中乃の今後とはとても合わない。自分のこれからに彼女を付き合わせるのはよくないと感じながら、中乃は口を開く。


「確かに悩ましいね。何もしなかったらいつか連れ戻されちゃうだろうし。私も何か写奈にしてあげられれば良いんだけどね。

 まあ私は、そうだな――」

「――また身を投げようとするんでしょう?」


 中乃が言うより先に、写奈が問い詰める。それに驚いて、一瞬息が詰まった。そんな中乃は気にせず写奈は言葉を続ける。


「さっきの話を聞けば、まあそうなんじゃないかなって。というか、そんな諦めた顔してバレないと思ったの?」

「いやまあ、隠してるつもりはなかったんだけど……」


 実際言うつもりではあったのだが、先取りされて言われるのはあまり心臓に良くない。そもそも自分はそんなにくたびれた顔をしているのだろうか。直せと言われて直せるものでもないけれど、目にわかる程に酷い顔をしていたのなら、なんだかショックだ。


「――それでなのだけど、今夜空いてるかしら?」

「え、なに、藪から棒に」

「もし空いていたら、私とデートとかどう?」

「……本当に何言ってんの?」


≪≫


 いくつもの屋台が立ち並び、通りはたくさんの人で賑わっている。既に日は暮れているのに活気が溢れていて、辺りからは祭囃子が聞こえてくる。写奈がデートと言っていたのは、この祭りのことだった。たまたま今日やっていることを思い出して、中乃を連れ出したのだ。


「……えっと、改めて確認するね。このお祭りが終わるまでに私が生きたいって思えたら写奈の勝ち。思えなかったら私の勝ちで、その時は一緒に死んでくれるってことでいいんだよね」

「そうね。あなたと共に生きられるのなら本望なのだけど、どうしても嫌って時は私も死んであげるわ」


 写奈曰く『生きる理由』を探すことが目的らしく、中乃を好きになってしまったから、ずっと一緒にいたいと思ったのだそうだ。写奈をこんなことに巻き込みたくはなかったのだが、あまりに強い押しと、絶対に生きる理由になってみせるという自信に負けてしまって、今に至る。

 もっとも、写奈が大きな勘違いをしていることには気付いていないのだが。


「まあ、あまり気にしない方が良いわ。今はとりあえず楽しみましょうよ」

「それも、そうだね。最初に話を出したのは写奈なんだけど」

「気にしない気にしない。ほら、行くわよ」


 そう行って写奈は、中乃の手を取って人混みの中に入っていく。たくさんの人に揉まれる二人だが、中乃の手を掴む写奈には、絶対に離さないという意思が感じられた。

 それから二人は祭りを精一杯楽しんだ。りんご飴を食べ合って、金魚すくいではお互いの破れたポイを見て笑い合った。屋台の人には、双子だと間違われたりもした。実際似たようなものなのだが。

しばらく経てば花火が上がるというので、なんとなく良さそうな場所を探して、買ったたこ焼きを食べながら上がるのを待つことにした。

 屋台の通りから外れて、近くにあった公園の中に入る。祭りの喧騒からは離れているが、中乃達と同じように花火を待っている人たちは何人かいた。少し静かになったことで気持ちが落ち着き、二人は一息つく。公園のベンチに座って、遊び回って疲れた体を休めていた。


 不意に、二人組の女の人が目に入った。おそらく同年代で大学生だろう。近いわけでもないが、黙っていれば会話が聞こえる程の距離に立っていた。とても親しげに話しており、昔からの友達といった雰囲気がする。なんとなく、自分と愛花を重ねてしまった。幼馴染程の年月を過ごしたわけでもないけれど、『仲の良い同年代の二人』といった括りで重なってしまったのだ。

 それと同時のタイミングで、写奈がお手洗いに行くと言い出した。中乃はここで待つことにしたのだが、それがいけなかった。話す相手がいなくなって、よりあの二人の会話が聞こえるようになってくる。


「――あーあ、また彼氏にフラれたよ」

「また? 今回はどのぐらい続いたんだっけ」

「一か月いかないぐらい。ホントどうやったらこれ、治るのかなぁ」

「ま、ゆっくりやってこう? わたしも協力するからさ」


 聞いてみると、彼氏とあまり長続きしなくて困っているのだそうだ。しかも最近流行っている蛙化現象というやつらしい。自分と比べれば、かわいい悩みだ。どれだけ彼氏にフラれようとも、ずっとそばに居てくれる人がいるのだから。

 そう思うと突然、気持ち悪くなってきた。だって自分にはいないのだから。いやどちらかというと、ずっと一緒だと思ってた人に裏切られて一人になったというのが正しい。写奈は一緒に居てくれると言ってくれるが、それと一度裏切られた苦しみとは別問題だ。決して消えずにいつまでも心を刺し続ける。こんな痛みをこれからを味わうなんて、死んだ方がマシではないだろうか。


 少しして、写奈が戻ってきた。飲み物も買ってきてくれたらしく、ペットボトルのジュースを二本抱えていた。それを一つ渡して、写奈は中乃の隣に座った。

 しばらくして、大きく花火が打ち上がった。それを皮切りに、他の花火も上がり始める。色とりどりに咲いた夜空を、二人はじっと見ていた。綺麗だとか凄いだとか、そんな感想しかなくて、でも実際綺麗だから、黙ってそれに見惚れていた。


「……ねえ、お祭りは楽しめたかしら?」

「うん、まあ、楽しかったよ」


 写奈が今日の感想を聞くと、中乃は楽しかったと言ってくれた。けれど、トーンで良い返事ではなかったのは丸分かりである。ダメだったことは分かり切っていたが、二人は答え合わせをすることにした。


「うん、今日はね、本当に楽しかったんだ。それは嘘じゃない。写奈と出会えて良かったとも思ってるよ。あの時死んでたら、この思い出はなかった。

 でもね、やっぱり死にたいな。生きたくない。痛いのを耐えて生きていくくらいなら、死んだ方がマシだな」

「そう、ね。私で上塗りできなかったのは悔しいけれど、そこまで言うのなら仕方ないわ。それなら一緒に、死にましょう?」


 中乃の前に立って、手を差し伸べる。これから死ぬというのに写奈の顔は笑っていて、悔いはないように見えた。中乃は迷わず、迷う必要もなく、その手を取った。


「そういう約束だったもんね。ありがとう、こんな私のために」

「中乃のためじゃない、私が好きで付き合ったの。そう思ってくれていいから」

「それでも、ありがとう。写奈は、恩人みたいなものだから。

……それと、ごめんね」


 ぽつりと小さな声でつぶやく。しかしその言葉は、花火の音でかき消した。


≪≫


 お祭りが終わって数時間後。時間は23時頃で、人はかなり少なくなった。静まり返った世界で、川を跨いだ橋の上に中乃と写奈は立つ。川の水はゆったりと流れていて、川幅はそれ程大きくないがそこそこの深さはあるだろう。溺れ死ぬのはきっと苦しいだろうし、全く怖くないわけではない。でも、屋上から見下ろした時のクラっとくる感じは一切なかった。今度は少しの躊躇も必要ない。隣には、写奈がいるから。


「中乃、やり残したこととか、ない?」

「何言ってんの、そんなもんもう要らないよ。写奈こそどうなの?」

「あるにはあるわ。けど、あなたに命を捧げる以上のことはないから、今更日和ったりしないわ」

「命を捧げるって、重いなぁ。まあでも、私の我儘に付き合わせてるわけだから、言い得て妙かも」

「そうでしょう?」


そんなことを言い合いながら、橋の柵を乗り越える。外側の少し出っ張った部分に二人で手を握り合いながら立って、お互いの顔を見た。二人とも、やけにすっきりした顔をしている。


「それじゃあ、もう終わりにしようか」

「ええ、そうね。最後に何か言うこととかあるかしら?」

「んー、そうだな。もう何回も言ってるかもだけど、写奈に出会えて本当に良かったよ。死にたいくらい苦しいけど、自分の事は好きになれそう。何もかも嫌になって死ぬよりかはずっと楽かな」

「それは、私と中乃の顔が似てるからかしら?」

「あはは、まあ言っちゃえばそうだね」


 笑い合うのと同時に、体を川の方に落としていく。本当に最後だ。最後の言葉なんて言うけど、言いたかったことなどまだまだある。けれど時間もないから、写奈は一番に言わなければいけないことを口に出した。


「あなたが好きよ、中乃」

「うん、私も好きだよ」


 直後、どぼんという音と共に体が沈んだ。途端に息が苦しくなる。ああ、やっぱり想像以上に苦しい。なのにこんなもんか、とも思えてしまうのは、どれ程に負った傷が深いからなのか。それともあの世まで共にしてくれる人がいるからなのか。どちらにせよ、苦しいけれど辛くはない。それでいい。この握っている手だけは決して離さない。

 そんな風に意識が薄れていく中で、こちらに手を伸ばしてくる人影が見えた、ような気がした。

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