蛙化少女と人魚姫

晴牧アヤ

蛙化少女と人魚姫

「圭、もう別れないか?」


 大事な話だと彼氏に呼び出されて、一番に言われたのがこれだった。心当たりもあって予想もついていたのに、何を言われたのか解らないかのように固まってしまう。


「え、えっと、また急だね……」

「そうでもないだろ。最近お互い冷めてきてるし、この関係のまま続くのもよくないしな」


 何一つ間違ってない、彼の言う通りだ。私は既に、彼を恋愛対象として見れていない。このまま付き合っても意味がないこともわかってる。それなのに。


「で、でも、倦怠期かもしれないし、すぐ別れるっていうのも気が早いんじゃないかな……」


 それなのに、私はみっともなく関係を続けようとしている。だって、これは前にも経験してるから。ここで退いたら間違いなく関係は終わる。今、彼に冷めてるのは気のせいなんだって、一時の感情なんだって、そう思いたいから。


「つっても好きじゃないことは確かだろ。お互い好意なんてないのに、付き合う理由なんてあるか? 俺はもう別れたいよ。

 てか、そもそも圭の方から避けてきたんだろ。文句言われる筋合いは無いぞ」


 わかってる。どれもこれもその通りだ。別に浮気したとかじゃなくて、単純に好きじゃなくなっちゃっただけで、それならもう終わりにすればいいだけだ。彼も別れたいって言ってるし。

 ああ、もう。選択肢なんて、元からなかった。


「わかったよ、今日でこの関係は終わりだね。今までありがとう、ごめんね」


 そう言って、私はこの場を離れた。彼氏はそれ以上何も言ってこなかったし、言う必要もない。私も彼も、未練はなかったのだ。


≪≫


「……で、また続かなかったわけだ」

「そうなんだよ~、水姫ぃ、たすけてぇ~」


 夜の居酒屋にて、容赦なく親友の泡海水姫に泣きつく。昔からの幼馴染で、大学まで同じの腐れ縁みたいなものだ。ある程度の相談なら乗ってくれて、今日もこうやって話を聞いてもらっている。


「助けてって言われてもねぇ。これは圭自身の問題だから、わたしにはどうにもできないかな」

「そんなこと言わないでさ~」


 まあ基本そっけないんだけど。

 でも言ってることは間違ってなくて、これは私、雨窯圭の性質の問題だ。端的に言えば、蛙化現象というもので。最初はお試し感覚で付き合ってもらうけど、だんだんと好意を向けられると冷めてしまう、というのが今回で三回目だ。そうして無意識に距離を取って、最終的には破綻していく。恋人が欲しいのは本当で、関係を続けたいというのも本当。けど、何故だかこの嫌悪感には勝てないのだ。


「……はあ、一生私のことを好きにならない人とかいないかなー」

「なにそれ。じゃあもう魚とかでいいんじゃない? 何考えてるかわかんなそうだし」

「せめて人間がいいんだけど⁉」


 哺乳類ですらないのはなんなんだ。そこまで興味ないのか、水姫さんよ。


「それは冗談だけど、まあ難しいと思うよ。圭、可愛いし、基本的にモテるから」

「モテること自体は嬉しいんだけどねぇ。結局その後が続かなきゃ意味ないからさ」


 実際あんまり私のことが好きそうじゃない人にアタックしたりはしてる。でもなんだかんだで両想いになってたり、単純に現象関係なく嫌いだからと別れを持ち出される、ということもある。総合してまとめると、『私には興味ないけど付き合ってくれる人』ということだろうか。

 ……それはもう恋人とは呼ばないのでは?


「あー、いっそのこと水姫と、っていうのもありかな」

「……は?」


 私がなんとなく呟くと、いつも適当に相槌を打ってるような水姫は意外にも食いついた。私、そんなに変なこと言ったかな。


「いや、女同士だったらまた違うかなって。あんま変わんないかもだけど、その時はその時でね。それに、水姫ぐらいとの距離感が一番ちょうどいいかもって思ったからさ」

「いやいや、考えなさすぎでしょ。てか現象自体を直した方が早いと思うんだけど」

「んー、それもそうだよね。正直なところ直そうとはしてるし、色々調べてはいるんだけどさ。まあ、言ってみただけだから気にしないでよ」


 その言葉に、水姫が安心したようにため息をついた。これも冗談みたいなものだ。別に水姫と付き合うってことくらいどうってことないけど、水姫自身どう思うかはまた違う話だしね。そもそも水姫も結構モテてるはずだ。頑なに彼氏は作らないけど。まだ理想の人とかがいないのかもしれないし、水姫は水姫で頑張って恋人を作ってほしい。


「気にするでしょ、いきなりわけわかんないこと言い出すんだから」

「ごめんって。自分でも何言ってんだろって自覚はあった」

「ホントにコイツは……」


 いや、まさかそんな反応されるとは思わなかったんだよ。いつもみたく軽くあしらわれて終わりかと思ったんだから。

 頭を抱える水姫を横目にふと時計を見ると、十一時を回っていることに気付いた。いい時間だし、明日も授業がある。そろそろお開きにした方がいいかもしれない。


「――そろそろ十一時だし、今日はこのくらいにする?」

「ああ、もうそんな時間なんだ。そうだね、今日は解散かな」

「んー、よし、じゃあお会計いってくるよ」

「え、いやわたしも払うけど」

「いいのいいの。私に付き合ってもらったんだしさ」

「まあ、そこまで言うならいいけどさ。ありがとね」

「いえいえー」


 実際はそこまで考えてなかったんだけど。たいしたものも頼んでないし、いっぺんに払った方が楽かな、ぐらいの感じで。いや相談料っていうのも嘘ではないんだけどさ。

 お会計を済ませてお店を出る。途中まで一緒に歩いて、道が分かれるところで解散した。またね、と小さく手を振る水姫に、振り返した後に背を向けて、私は家へに向かった。


≪≫


 大きく手を振って去っていく圭をしばらく見送ってから、わたしは帰路に就いた。玄関の扉を開けて、真っ先にベッドにダイブする。そして、ひとり呟いた。


「やっぱ、大好きだなあ、圭のこと」


 今、わたし泡海水姫の頭の中にあるのは、昔からの友人である雨窯圭のことだけだ。いつからか、わたしは圭に恋をしていた。可愛く笑う顔が好き。少し抜けてるところが好き。頼ってくれるのが好き。でも、肝心な時に頼りになるのが好き。大好きだ。

 だからこそ、告白じみたあの言葉には戸惑った。もしかしたら、この想いが叶うかも、なんか期待したりして。まあ軽い冗談だったのだけど。


「ホントに、付き合えたらなあ……」


 叶うわけがない。女同士とか、そういう話じゃない。きっと交際を始めたら長続きはしないから。圭だって友達までの感情しか持っていない上、蛙化現象持ちとかいう厄介な要因まである。そんな不安定な状態で付き合うなんてできないし、もし上手くいかなくて今以上に関係が悪くなったら、とか思うと耐えられない。

 だから、この恋は叶わない。


 ――ふと、童話の人魚姫が頭に浮かんだ。今のわたしは、まさしく人魚姫だ。本当は伝えたいのに伝えられない。でも他の人に取られてしまうと消えてしまう。いや実際は消えたりしないけど、そうなったらわたしは生きた心地がしないだろう。けど多分、きっと圭は知らない誰かに救われて、わたしは見てることしかできなくて、『幼馴染の親友』という立ち位置に収まるのだろう。それはそれで、悪いわけじゃない。わたしがこの気持ちを隠せば、今の関係は崩れないわけだから。たとえ圭にちゃんと付き合える人ができても。


「諦めなきゃな……」


 今はまだ無理でも、いつかは諦めきゃいけない。わたしと、圭のためにも。それでも、今だけはまだこの気持ちに囚われていたいとも思っている。

 なんてゆるゆるの決意を固めようとしながら、わたしはそのまま眠りについた。


≪≫


 翌週の日曜日。私は水姫と一緒に、近くのショッピングモールへお出かけに来ていた。気晴らしも兼ねてね。新しい服も欲しいところだったし、他にも買わなきゃいけないものがあったからちょうどよかった。

 これがいいあれがいい、なんてお互いにあてがってみる。どれも水姫には似合っていて、やっぱり彼氏の一人でもできておかしくないんじゃないか、とつくづく思う。何回か合コンに行ってたけど、大抵ひとりでか、もしくは私としか帰らなかったし。まあ、あんまり私が関与することでもないか。


「――んー、こんなもんでいいかな」

「そんなに多く買ってもよくないし、なによりお金ないでしょ、圭」

「そこ突かれると痛いかなー。また貯めないといけないな」

「案外浪費癖あるんだから気を付けなよ。恋人に逃げられるのもそういうところじゃない?」

「それは今関係ないでしょ!」


 恋愛事情に関しては蛙化の方が原因だ。絶対に。胸張って言えることじゃないけど。


「とにかく、使いすぎない方がいいよ。友人としてアドバイス」

「はーい……」


 友人にご教授いただいたところで、会計へと向かった。

 確かに、後先考えないで使ったりするもんなぁ。水姫の言う通り気を付けよう。まあ今日はまだお金は残ってる。プレゼント代を払うくらいのお金なら残ってるはずだ。そっちの方がメインなのだから。

 二人とも終わったようで、この後は適当にモール内をぶらつくことにした。なんとなく見て回って、気になったら寄ってみる、といった感じで。時間はたっぷりあるから、心置きなく見て回れる。元カレのことなんて簡単に忘れてしまえそうだった。


「圭、楽しい?」

「急にどうしたの。らしくもないし」

「いや、圭って別れた後、だいぶ落ち込むでしょ。割りと引きずるし」

「え、そんなに?」

「そんなに。だから今回も大丈夫かなって。ま、その様子だと平気そうかな」


 水姫が私のことをそこまで気に掛けていたの意外だった。実際、らしくもない、だなんて口に出ちゃっているし。いつも軽口叩き合ってるような仲だし、だいたいそっけなく返されたりしているから、なんか変な感じだ。


「そういえば、今日出かけようって言ったのも水姫だっけ。うん、おかげで良い気晴らしになったよ。ありがと」

「え、いや、それならよかったけど……」


 私が素直すぎたのか、なんだか煮え切らない反応を返してきた。うーん、結構長い付き合いのはずだけど、まだ水姫のことわかんないな。

 っと、そうだ。買わなきゃいけないものがあるんだった。忘れる前に買っとかないと。


「ごめん水姫、ちょっと別行動にしてもいいかな。やることあってさ」

「別にいいけど、別行動にする必要なくない? わたしもついてくよ」

「ああ、別々じゃないとダメなんだよ。理由は後でわかるからさ」

「まあ、構わないけど……」

「そんな時間は掛かんないから。それじゃ、また後で!」


 強引にでも離れさせて、私はその場を後にした。不審に思われたかもだけど、とりあえずお目当てのお店に行くことにしたのだった。


≪≫


 半ば強引に別行動となって、その場で呆然とする。唐突にこうなったから、待ってる間何をしてようか悩んでしまう。

 前から圭にはそういうところがあった。突拍子もなく何かを思いついたり、急に予定を変更したり。急ぎの時とかスケジュールに余裕がない時はしないけど、そうじゃなくても手持ち無沙汰で困ってしまうのだ。ホント、圭はわかんない。

 仕方ないので、そこら辺の椅子にでも座って圭を待つ。時間は掛からないらしいし、十分もすれば帰ってくるだろう。まあこの後予定があるわけでもないし、気長に待つか、なんてスマホを取り出して画面を開いた時だった。


「――ねぇ、そこのお姉ちゃん。俺らと遊ばない?」


 知らない男の声が聞こえた。

 声の調子とか、セリフだけでなんとなくわかってしまう。おそらく、ナンパだ。過去にも何度かされたことがあるし、その時は毎回追い払った。だから、今回も同じように追い返そうとする。


「ええと、わたしですか?」

「当たり前じゃん、他に誰がいんのよ」

「面白いねー、君。な、ちょっと俺らと付き合ってくんない?」


 顔を上げるとチャラチャラした茶髪と金髪の男が二人がいた。顔は、圭が好きそうな感じではあるかな。イケメンではある。わたしは全くタイプじゃないけど。

そんな二人がわたしに詰め寄ってくる。軽く押し返す動作はしているのだけど、全く離れる気配はない。そんなにチョロそうに見えるのか、わたしは。


「いや、友達待ってるんで……」

「ならその友達も一緒でいいからさぁ。女でしょ、友達って」

「いやホント、この後予定あるんでっ」


 どれだけ言い訳を並べても、一向に退く気配がしない。予想通りではあるんだけど、かといってうざったくないわけがない。圭に心配かけたくないし、早いとこどっか行ってもらわないと。


「あんまりしつこいと、警察呼びますよ」


 そう言って、スマホの電話番号の入力画面を開く。大事にはしたくないので本当に呼びはしないけど、牽制にはなるはずだ。

 ……と、すぐに呼んでいれば違ったのかもしれない。


「いやいや、誤解してるみたいだけど、変なことしないから! ちょっとついてきてくれるだけでいいから!」

「そんなの信用できませんよ。本当に呼びますからね」

「そんなこと言わないで、さっ!」


 唐突に、茶髪の方が右手首を掴んできて、持ち上げてきた。スマホを持ってる方だったから、本当に助けを呼ぶこともできない。周りに他の人もいるけど、お構いないようだ。


「あっ、やっ、離してっ!!」

「さっさと従ってればいいんだよ。ほら、抵抗しないでついてこいよ」


 掴まれている右手が痛む。精一杯抵抗してみるけど、男たちには一切敵わない。

 ああ、もう。せっかくの圭とのお出かけだったのに。台無しだ。もしかしたら騒ぎを聞きつけて助けが来るかもしれないけど、その後も多分めんどくさい。ゆっくり圭と過ごせる時間は減ってしまう。

 圭が戻ってきたら、巻き込んじゃうのかな……。


「――ちょっとお兄さん達、何してるの?」


 圭の声がした。良いか悪いか、どちらにせよちょうどいいタイミングだったかもしれない。巻き込んでしまうかもしれないけど、それ以上に助けてくれることに期待した。


「あ、君がこの子の言ってた友達? 君も可愛いじゃん。なぁ、俺らと一緒にどうよ」

「いや興味ないんで。その子離してくれない? 嫌がってるしさ」


 いつもよりトーンが低い。圭、もしかして怒ってる? 普段から感情豊かだけど、ここまで怒りが前に出てるのは珍しかった。


「あ? じゃあもういいわ、興醒めだ。ほらよ」

「きゃっ!」


 放るように手を離されて、倒れはしなかったもののよろけてしまった。それでも解放されたことの安堵が先にきて、わたしは胸をなでおろした。

 けど、圭はそれも見逃さなかったらしい。


「じゃあ、私達はもう行くから。あ、でも最後にひとつだけ」


 そう言って、圭は腕を掴んでた男の方に近づいていく。


「お、やっぱ興味あんじゃねぇの? 気があるなら最初からっ――」


 そして、力いっぱい男の腹部を殴った。がはっ、と息を吐く声が聞こえる。

 当の殴った本人である圭は少しすっきりしたような顔をして、私の手をとった。それから、逃げるようにその場を後にして駆け出した。わたしも引っ張られながら走ったけれど、さっきまでの嫌悪感はない。多少の混乱はあれど、ただただ圭に惚れていたのであった。

 建物の外まで走り抜けて、少し息を切らしながら近くにあったベンチに座る。なんだか今日は振り回されっぱなしだ。予定はないけど、想定はずっと崩れてる。でも今は、悪い気はしない。


「圭、ありがとう」

「いやいや、あんなの見たら流石に止めるって。おっきいケガとかはなさそうで良かったけどさ」


 実際大きな怪我はない。掴まれた手首はまだほんの少しだけ痛むけど、もう気にならないくらいには回復してるし。軽口叩けるくらいにはもう平気だった。

 だから、助けられたにも関わらず、ちょっとからかってみたくなった。


「でもさ、手放してよかったの? 顔は良かったし、圭って案外面食いじゃん?」


 我ながら酷いとは思ってる。まあなんというか、置いてった仕返しみたいなものだ。顔だけならいつも惚れてる男と同じような感じだし、多少惹かれても変じゃないとは思ってる。いや思いっきり拒絶してたけど。

 まあ返ってきた答えは予想通りで。


「ないない。流石に人は選ぶって」

「それもそっか。そもそも最初っから好意持ってたんじゃダメだしね。たまたますれ違った瞬間に顔見たり、とかだったら――」

「いや、そんなんじゃないって」


 わたしの言葉を遮って、圭が否定した。あれ、それも関係してるかと思ったけど。確かに性格は最低だったけどさ。にしたって蛙化も一つの要因だとは思ったんだけどな……。


「親友が乱暴されて、好きになる奴なんかいないでしょ」


 ……どうしてこう、真っ直ぐそんなことが言えるんだろう。おかげで顔が真っ赤だ。まさか返り討ちに遭うなんて思わなかった。普通に性格最悪、で終わると思ったんだけどなあ。敵わないなあ。


「――あっ、違う違う。そんなの別にいいんだよ。大事なのはこっち」


 話を切り替えて、おもむろに何かを取り出した。綺麗にラッピングされた小包だ。それを、こちらに渡してきた。今日、何かあったっけ。


「はい、今日誕生日でしょ。そのプレゼント」

「えっ……」


 ……すっかり忘れてた。なんだかんだ忙しかったし、自分のことを気にする余裕なんてなかったから。というかあんまり自分の事を気にしないし。


「って、ああ、そのために待たされたのか」

「その通り、サプライズ成功だね! まさかあんな事になるとは思わなかったけど……」

「ホントだよ。ちょっと怒ってるからね」

「それは本当にごめんなさい!」


 かなり申し訳なく思っているようで、物凄い勢いで頭を下げてきた。結構負い目を感じているようだ。まあ、実際はそこまで怒ってないんだけど。ちゃんと戻ってきて、助けてくれたしね。


「うそうそ、もう大丈夫だから。それより、開けていいの?」

「もちろん。水姫のプレゼントなんだから」


 ゆっくりと包装を外して、箱を開けてみる。中には、一本のボールペンが入っていた。透明なペン軸に青いキラキラしたクリスタルのようなものが入っていて、真ん中の透明じゃない所には、ローマ字で「mizuki」と書かれている。綺麗で、まるで海みたいだった。こんなに良いものなんだし、結構な値段だったに違いない。

 気付けば、涙が頬を伝っていた。


「何にしよっかな、なんて探してたらね、このボールペンが目に入って……。

 ――ってなんで泣いてんの⁉」

「わかんない。なんでだろ、別になんもないのに」

「ああもう、こっちきて!」


 体を寄せられて、圭の肩にもたれかかる。わたしの涙は止まらない。

 ああ、圭がクズなら良かったのに。奢られる前提の、絶対お金は払わないスタンスなら良かったのに。どっか行って放置するだけの奴なら良かったのに。ナンパにもホイホイついてっちゃう奴なら良かったのに。友人の誕生日なんか忘れてて、プレゼントにも全然お金をかけない奴なら良かったのに。こうやって泣いてる時、慰めてくれる奴じゃなければいいのに。……それなら、こんなに好きになって拗れたりしないのに。

 何もないわけがない。わたしはこの恋を、諦めなくちゃいけない。なのに、どんどん好きになってしまうのは、どうしてなんだろう。たとえ一瞬叶ったとしても、その先は破滅の道なのに。涙はまだ流れていた。


 愛する人を遠くから眺めることしかできない人魚姫は、蛙化少女の隣で、海色のボールペンを濡らしていた

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