いつか、どこかで……

潮ノ仁詠

今日の私と昨日の天使

明日は明日

 夕暮れに染まる街並みがぐるっと一望できる、この高台は好きな場所。学校での人間関係の面倒な澱や、将来についての差し迫った問題も、ここへ来て街を見下ろすとちょっとだけ忘れられる。


 都心部はやっぱり疲れる。なんであんな遠くまで、毎日乗りたくもない電車に乗って、ぎゅうぎゅう詰めにされて通わなきゃいけないんだろう。


 毎度毎度のそんなことに思いを巡らせていると、突然空が開いた。


 空が開く……生まれて初めて見た。文字通り目の前で、少し上の方の空がパカッと……ん?なんか昔SFXいっぱいの映画で見たかな?現実に起こると無茶苦茶に現実味がないのが、なんかちょっとおかしい。映画の時は素直に「おおー!」っと関心で来た気がするのになぁ。


「やあ、そこのお嬢さん。ちょっといいかな?」


 開いた空から軽薄そのものの声が聞こえた。


「お嬢さん、ちょっと聞きたいんだが、この辺りにフチノベ タカヒコという名の人類が住んでいるはずなのだが、ご存じないかい?」


 縦に割れた空の淵は、少し楕円がかった形で動きを止めている。ということは、この声はあの割れ目が発しているものではないということか。となるとあの中にこの声の主がいるってことになる。この耳に入れるだけで背筋がゾゾっとするような如何にもな声の主が……。


 そう考えたらなんだか面倒に思えてきた。ちょうど学校でも似たような感じの、たまたま学校帰りに高校時代の友達と会う約束があって、それでほんのちょっと化粧して普段は身に着けないスカートを履いていったら、なれなれしく下の名前で呼んできた何某がいて、そいつと被って面倒くさい。


「おや、お嬢さん。返事がないね。……こいつは困ったな、耳が不自由な子にファースト・コンタクトなんて、こいつは久々のミス・テイクだね」


 イラっときた。

 もう面倒くささしかないので、そのまま耳に聞こえない少女を演じる。


「まいったな。マニュアルに沿ってみたんだが、やはり駄目じゃないか。後で管理部に報告しなきゃならなくなる。調査部の連中にもか。面倒すぎる……。むしろいっそのことこの女性の父親がフチノベだったことにしよう。そうすれば報告はその一言で済むな」


 私、苗字はサイトウ。それにお父さんはタカヒコじゃなくてタカヒロ。


「ドンウォーリー。ミスはその場で対処して終わり。それこそができる男の証。仮に万が一違っても、実行部で確認するだろうからね。……まあ、やっちゃってから確認になるのかな。そうなると不要な殺生になってしまうが、人間だし多少はオッケーだろう」


「おい軽薄残念できない男。うちの父はフチノベとかいう名前じゃない」


 答えてしまった。この判断はどっちに転がるだろう……。


「オー。お嬢さんちゃんと会話できるんだね。嬉しいよ」


「こっちはミリも嬉しくない。この辺でフチノベって名前は、私は聞いたことない。何だったら検索してやってもいいけど、その前に何しにどこから来たか答えろ」


 不思議な空の割れ目と、仁王立ちしているであろう私。友達がいたらスマホで撮られてたかもしんない変な構図。


「ヤー失礼。僕の名前はケセラです。フィルクシャレット・テリスマイヤー出身です。こちらへは恒星系の免疫調査に参りましたー」


 ……名前は敢えて聞かなかったのに、一番最初に言ってくるのだな。出身は聞いたこともない。恒星系の免疫って、なんのこと言ってるんだろう。


「オー、説明不足でしょうか。わからないことありましたらお答えしますので言ってください」


 癪に障るが、しかたない。聞かなきゃこの後の判断が鈍る。


「恒星系の免疫調査って、何?」


「そうですね、概要としてはあなた方人類と自称する生命の意識調査になりまーす」


「自称?まあ、確かに。で、うちらの意識調査って具体的に何を調べるの?」


「具体的には色々ですが、主に外敵への攻撃性と飽和した際の意識変化です」


「そんで、フチノベさんて人は?」


「フチノベタカヒコは、我々の協力者でーす。長い間調査に協力していただいてきたので、調査終了の報告と後始末をしなければなりませーん」


 どういう意味なんだろう。


「なんで長い間の協力者を始末すんの?何か貰えるならともかく」


「当初の条件がそうだったので、契約の終了とともにこれまで留保されてきた処罰を実行する必要があります。フチノベタカヒコはシアン類コリサル系の不全免疫状態で、ほおって置くとあなた方免疫機能の全体に影響が出ると判断されていますので、仕方ないことです」


 要はどういうことだろう?フチノベさんちのニートな息子さんだったよな。あの人、引き籠ってネット三昧かと思ったら、異世界か異星か知らないけどスパイ活動の現地協力者みたいなことしていたってこと?


「よくわかんないからもう少し詳しく教えて?」


「オーケーです。でしたら少々お待ちください。現地説明用の資料をご用意していますので、そちらをお渡しします」


 え、なんかヤダ。


「なんか難しい資料とか渡されても困るんだけど。どうせだったらちゃんと言葉で説明して」


 そう言うと、割れ目が形状を変えた。楕円に近かったのが入口みたいに長方形に変わった。


「でしたら、私が赴かせていただきまーす。私、当2878地域にて調査及び説明を担当しております、フィルクシャレットのケセラと申します。この度は当方の活動にご興味をお持ちいただきアリガトゴザイマース」


 そう声が聞こえてすぐ、お空に開いた長方形の穴から光が差し込んできた。最初はぼんやりと、そしてすぐ神々しく。けれどやっぱり現実味がなく、なんか質の悪いSF映画の演出みたいに思えた。


 そうしてやがて光が弱まると、そこには絵に描いたような使の姿。ルネッサンスの頃の絵画や彫刻、そのものの姿でケセラさん?がそこに現れた。


「これ、外交部の仲間から借りたアバターなのですけど、いかがでしょうか、お気に召しますか?」


 お気に召しますかとか聞かれてもピンとこない。いよいよなんか、実は一般人を狙ったドッキリとか、あるいは大手テレビ番組のモニタリングじゃあないかって気がしてきた。


「まんま、だし……」


「まんま、ですか……」


 暫し、お互いに言葉を失ってフリーズ……。

 固まっている場合じゃない、って、ほんの少しだけ頭の片隅に浮かんだ。



 日はすっかりと暮れて、辺りは夜の気配。なのにこのいかにもな使のおかげで、私たちが居る辺りだけは夕暮れよりも明るい。


「ちょっとだけ伺いたいんですけど、その恰好って恥ずかしくないですか?」


 こちとらバリバリに高校生だし、ゴリッゴリのJK現役なので、ひらひらした薄い布一枚を体にまとわりつかせてふわふわ浮かんでる使くらいどうってことない。ただちょっとだけほっぺのところとか触れさせてくれると嬉しいだとか、股間のあたりギリギリで見えなくできてんの、やっぱリンリ委員会とかいうのが宇宙にもあるのかな?なんて。


 そんなことを思っていたら、使が口をひらいた。


「失礼。思いもよらない反応でしたので、少々通信回路を遮断してお茶を頂いてまいりました」


 失礼な使だな、って思う。


「ちょっと気になったんだけど、聞いていい?」

「ええ、ご質問は常に受付中です」


 そう言いながらひらひらっと動く幼げな手が、なんかちょっと可愛い。


「あんた何のお茶飲んできたのよ」

「綾鷹です」

「まさかの日本茶?しかも銘柄、それ?!」

「ええ。うちうちで人気でして、苦みまろやかで深いコクと旨味が合わさり、文句なしのお勧めの一葉です」

「ねえ、やっぱこれってドッキリとかモニタリングなの?」

「まあ……そう思っていただいても結構です」


 なんだろう、あっけらかんと日本産のペットボトル茶を言ってくるし、ほぼ日本人の仕掛けだとは思うんだけど、なんか納得いかないなぁ


 あー、でも、日本人って限る必要もないのか。日本語上手な外国人の線もあるっちゃあるわけで……


 問題は、ガチなのか、それともドッキリもしくはモニタリングか、かな。


 ガチだとまずい。ここ、人けが無いところだし、か弱い女子高生がかどわかされてワイドショーのネタにされんのは嫌だ。


「もひとつ聞いていい?ケセラさん」

「ドンウォーリーですよ、お嬢さん」


 背中がゾゾっとするのを堪えて、とにかく会話をすることに。


「その、アバターだっけ?天使様の姿みたいだけど、ちょっと幼すぎなくない?」

「おや、そうですか?確かに他にもいくつか種類があったのですが、私の好みで選びました。ちょっとぷくぷくした腕とか、いかにも愛されそうな容姿かと思いましたので」


 その時突然に背後から大きな音がした。バッチーン、と表現したらいいのかな?なんか、手の平を思いっきり叩いた感じの音。夏場なんかにプールの授業で、友達同士で背中叩きあっている時の音、あれをもっと大きくした感じ。

 日に焼けた肌におっきな赤いモミジが、頭の中に思いっきり浮かんだ音だった。


「ピー!!!」


 音がした直後、ケセラさんが謎の音を発してサッと少し楕円がかった形の縦に割れた空の淵に逃げ込んだ。

 かと思うと、その淵のような穴がシュッと音を立ててしぼんで、そうして消えた。


「な、なに?なんなの?」


 穴の消え方がまるで、YouTubeで見たフクロウがシュッとするみたいに見えて、かなり面白いなと思った。あのシュッとなる様は一見の価値があるって、友達に見させられたんだっけ?あー、思い出すと次々に出てくるな。いったいいくつ見たんだっけ。


 ってそんなことに一瞬気を取られて、音がした方を振り向いた時にはすでに誰もいなかった。


 空に穴も開いてない。手の平で?ありえないほどのモミジ音を出した物も、見当たらない。スマホはカバンの中にあって、今起きたことを証明できる術もない。フチノベさんちのニートな息子とは面識もないわけで、会って今起きた出来事を話したいという欲求もない。


 友達にSMSでも送っておくか?うん、それで「何、帰り道で歩きながら夢でも見たの?」なんて反応があれば十分かな。


 そうして私は家路を急いだ。もう変なのに絡まれるのも嫌だし、とっとと帰って今日の配信を見ないと。あと、21時からMMOで友達と会うんだった。会うんならSMS送んなくてもいいか。


 歩き出そうと左足を一歩、前に出して、そうして振り返った夕暮れに染まる街並み。これまではこの街並みがぐるっと一望できる高台が、けっこう好きだった。


 まあ、明日になればまたどこかに好きな場所ができるだろう。執着はよくないことだし、よくわかんないものを恨んだって得はない。


 こうして私は、この日以降も何事もなく、つつがなく日々を過ごしている。二週間ほどして近所にパトカーが来てわさわさしてたり、そのあと日本のあちこちで天使にあっただとか言う戯言で騒ぐ人が増えたそうだけど。


 なんだかよくわからないけど、私は今日も元気です。

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