十四 捕縛
霜月(十一月)三日。夕七ツ半(午後五時)。
すでに日没を過ぎている。吉原遊郭の見世見世に明かりが灯り、通りは賑わっている。
石田は加藤貞蔵を連れてのんびり通りを歩き始めた。
「して、見世で話せぬ事とは何ですか」
加藤貞蔵は、五十両を工面するから汚れ仕事をしろと言うのだろう、と思った。
石田は世間話するように話した。
「今朝、隅田村で万請け負いと始末屋をする私と仲間の元に、『丸に笹と違え鷹の羽』の紋がある脇差しの男が来ました。
調べに寄れば、ひと月前に押込みの刑になった越前松平家家臣、加藤貞蔵でした・・・」
加藤貞蔵が立ち止った。
石田は歩みを止めて加藤貞蔵を見た。
「貴公の脇差しには『丸に笹と違え鷹の羽』の家紋が無いが、如何いたした」
加藤貞蔵は何も答えずに石田を見た。同時に、加藤貞蔵の中に殺気が湧き上がり、その殺気が矢のように石田に襲いかかった。
この男、相当の使い手だ・・・。
殺気を感じ、石田は言った。
「其方、何者か・・・」
静かにゆっくりと加藤貞蔵の左手が鞘を握り、鯉口を切った。その瞬間、右手が柄へ動いた。
加藤貞蔵の右手が柄を握って刀を抜いた瞬間、石田が刀を抜いて鞘に納めた。
加藤貞蔵の右手首がへの字に曲がり、抜きかけた刀の柄から離れた。加藤貞蔵は呻き声を上げてその場に崩れ落ちた。右腕が折れている。
全てが一瞬だった。石田は居合いの達人である。
騒ぎを聞きつけ、小見世を警護している川口と本木が駆けつけた。
「一件落着で御座る。安心して下され。
川口さん。済まぬが、この事、日野道場の日野唐十郎殿に知らせて下さい」
石田は、この男が越前松平家家臣の加藤貞蔵の名を騙った、と経緯を川口と本木に説明した。
「分かりました。行ってきます」
川口はそう言って大門へ走った。
ここ吉原から浅草熱田明神そばの日野道場まで、往復しても四半時もかからない。日野唐十郎と伯父の日野道場主の日野徳三郎は、公儀勘定吟味役配下の特使探索方だ。町与力の藤堂八郎ら町方と共に様々な事件を解決している。
「
石田と本木は群がる野次馬を払い除け、男が帯びている刀の鞘と脇差しを帯から外し、刀の鞘の
見世の外の異変に気づき、幸右衛門は奉公人と共に見世を出て男を見た。男は石田屋の前の地べたに座らされて本木に監視されている。
「これはいったい・・・」
「今朝、義父上に話したように、番小屋に依頼に来た男が越前松平家家臣の加藤貞蔵です。
此奴が加藤貞蔵の名を騙るからには、加藤貞蔵は生きてはいますまい・・・」
この時になって幸右衛門は、石田が男と斬り合いになるのを察して男を外へ連れ出したのを知った。
石田屋で血が流れては、小夜や美代や下女や奉公人や花魁たちにどれほど悪影響が及ぶかわからない。そして見世の評判が落ちてしまう・・・。
「石田さん・・・。あなたって人は・・・、ありがとうございます・・・」
石田の配慮に、幸右衛門は深々と頭を下げた。
「義父上。人目があります。面手をお上げ下さい」
義父の態度に、石田は困った。
四半時後。
川口が日野唐十郎と三人の探索方を伴って戻った。公儀勘定吟味役配下の特使探索方には辻売りをしている
「石田さん、本木さん。ご苦労さんです。
今日、昼、深川の借家で加藤貞蔵が斬殺されて見つかりました。その家に住んでいた浪人は加藤貞蔵を名乗っていました」
日野唐十郎は、地べたに座りこんで俯いている男の顔を上げさせた。
「この男は元鳥見役人の吉田一郎太です。私が剣術指南をしていた公儀幕閣の鳥見役人でした。鳥見役人の吉田真介さんが北町奉行所に詰めていますから、この男が加藤貞蔵を名乗っても、身元ははっきりします。
藤堂八郎様が詮議する故、いずれ、事実が明らかになります」
日野唐十郎は石田から男の刀(打刀と脇差)を受け取り、刀を鞘から抜いた。鋒に血の跡がある。
話を聞いて、加藤貞蔵を名乗っていた男が口を開いた。
「吉田真介が北町奉行所に居るのか」
「如何にも・・・」
日野唐十郎がそう言うと加藤貞蔵を名乗っていた男の態度が変わった。観念したらしい。
石田は突然、大声で男を呼んだ
「吉田一郎太っ」
「何だっ」
男が反射的に答えた。男は吉田一郎太に間違いない。
「なぜ、加藤貞蔵を斬った。訳を聞かせてくれまいか」
石田は丁寧にそう言った。
「大名家の放蕩役人に天誅を下したまでだ。
大名家の顔色を伺って何もせぬ吉田真介など、鳥見の仕事をしておらぬっ。腑抜けだっ」
「
「私の言葉通り、沙織の実家の生活費だ」
「加藤貞蔵が百両と共に越前松平家家から消えた。
百両は何処にあるか」
日野唐十郎が吉田一郎太にそう訊いた。
「加藤貞蔵は私に借家を与え、己がしでかした不祥事を五十両で見逃せ、と言った。
五十両は借家の床下に隠した。すでに町方が見つけたであろうよ。
残りの五十両は、加藤貞蔵がここ吉原で使ったはずだ。
私はそれを探るために此処に来た。
全ては越前松平家上屋敷留守居役、
と吉田一郎太はとんでもない事を口走った。
「加藤貞蔵に天誅を下したのも、松平修善からの依頼か」と石田。
「如何にもそうだ」
「依頼はどうあれ、其方はすでに一介の浪人だ。その浪人が江戸市中で武家を斬殺した。
殺害は定めにより死罪だ。事件は北町奉行所が扱う。越前松平家は手出しできぬ。
殺害を依頼した松平修善には、公儀から死罪の裁きが下る。
その事、重々承知しているのだな」と石田。
「承知している」と吉田一郎太。
「さあ、話はここまでにして、この男を北町奉行所へ連行します。
与五郎さんたちは、女を連れてきて下さい。頼みます」
日野唐十郎は探索方の与五郎、達造、仁介に指示した。
「へい」
「道中を気をつけて下さい」と石田。
「分かりました。
石田さん。これにて失礼します」
日野唐十郎は吉田一郎太を立たせて大門へ歩いた。
探索方は、女を連れて日野唐十郎の後に従った。深川芸者の沙織は罪人ではない。参考人として北町奉行所へ同行してもらう。逃げられては困るので、探索方が囲んでいるだけだ。
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