十一 日野唐十郎と鳥見役人吉田真介
昼八ツ半(午後三時)。
森田が日野道場に着いた。
「日野唐十郎殿はご在宅ですか。隅田村の森田です」
日野道場の玄関で、森田は応対した日野道場の門弟に尋ねた。
「今、出稽古から帰宅したばかりです。しばらくお待ち下さい」
門弟はそう言って道場内に行き、まもなく戻って、
「日野先生がお待ちですのでお入り下さい」
森田を道場の隣の客用の座敷に招いた。
座敷に入ると森田はぎょっとした。先ほど白鬚社の番小屋を訪れた公儀の鳥見役人の吉田真介が座ってるではないか。森田は一瞬、村上と話し合った事をどのように切り出して良いか思い悩んだが、とりあえず挨拶した。
「先ほどはお役に立てず、申し訳ありませんでした・・・」
「いやいや、私の方こそ突然伺って、いろいろ尋ねて済みませんでした」
森田の様子に、日野唐十郎は、森田が吉田真介の事で来たと直感して話を切り出した。
「森田さん。こちらは公儀の鳥見役人の吉田真介さんです。私が剣術を指南している公儀幕閣配下の役人です。
吉田さん。こちらは森田さんです。隅田村の警護と読み書き算盤の教授をしている手練れです。
ところで、お二人は、同じ件でいらっしゃったように思いますが、如何ですか」
「先ほど、森田さんの隅田村にも行って尋ねたので御座るが、森田さんが公儀の剣術指南役の日野先生と知古の様子なれば、包み隠さず申し上げます。
実は、日野先生が諫めた加藤貞蔵が、押込みの刑が明けた今月(霜月(十一月))一日から越前松平家下屋敷を出たまま行方が知れぬのです・・・」
吉田は説明した。
加藤貞蔵は芸者と逢い引きするため、深川に家を借りて通おうとしていたが、日頃からの放蕩の癖で侍風を吹かして町人に狼藉を働いたため、日野唐十郎に諫められて押込みの刑に処せられていた。
押込みの刑期が明けると同時に、加藤貞蔵が下屋敷から百両と共に消えたため、吉田真介は越前松平家から加藤貞蔵の探索を依頼されていた。
「加藤は日野先生に諫められた事を逆恨みし、刺客を放つために森田さんの仲間の石田さんに打診しようとして断わられ、その後の居所が知れぬのです。
百両は、逃亡資金と刺客の依頼金に当てる気だったのでしょう。
これから、加藤が借りていた深川の家を尋ねるつもりです。
もしやして、森田さんは、私が加藤に雇われた刺客と思って、日野先生に知らせにおいでではありませぬか」
吉田は森田に微笑んだ。
「図星ですなあ。その通りです。いやあこれで安心しました・・・」
森田は正直に話して吉田真介に頭を下げた。
「では、私はこれにて失礼仕ります」
日野唐十郎が森田を引き止めた。
「森田さん。お待ち下さい。
私が帰宅する前、伯父に町方から、
『深川で頸動脈を刎ねられた仏がいる』
との知らせがあり、伯父が検視検分へ出かけていったとの事でした。
もしやして、他界したのは加藤貞蔵ではあるまいか」
「ならば、私も現場へ行かねばなりませぬ」
吉田真介が慌ててその場から立とうとした。
「まあ、そう慌てずに。仏は大伝馬町の自身番か北町奉行所へ運ばれます。
仏が加藤貞蔵なら、北町奉行所と評定所が対応に当たりましょう」
ここ浅草熱田明神そばの日野道場から北町奉行所まで
「では、北町奉行所へ参りましょう」
吉田真介がそう言った。
日野唐十郎と吉田真介は北町奉行所へ向かった。
森田は、加藤貞蔵が斬られた事件は後日に聞けると判断し、日野唐十郎たちと別れて白鬚社の番小屋へ向かった。
森田は、誰が加藤貞蔵を斬ったか気になった。吉田でないなら、斬ったのは誰だ。その者は何処に居るのか。なんのために斬ったのか・・・。
四半時ほどで森田は白鬚社の番小屋に戻った。
森田は、日野道場で日野唐十郎から聞いた鳥見役人の吉田真介と、吉田真介が何をしているかを、村上に説明した。
「日野殿たちと共に行き、事件の詳細を聞くべきだったであろうか」
「いや、帰ってきたのは良き判断だ。帰って来ぬば、森田さんに異変があったと私は判断する。さて、今頃、町方は大騒ぎであろう・・・」
村上は説明した。
江戸市中で越前松平家の家臣が斬殺されても、江戸市中の事件は町奉行所の管轄だ。越前松平家は事件に口出しできぬ。とは言うものの、越前松平家が町奉行所に圧力を掛けるのは必定である。町奉行所は事件の扱いを評定所に委ねるだろうが、鳥見役人が出てきたとなるとこれは揉める・・・。
「鳥見役人は、越前松平家から依頼されて、百両を盗んで逃げた加藤貞蔵を探していると話したが、加藤貞蔵は、他に何かしでかしたのであるまいか」
村上の言葉に森田は考えた。
加藤貞蔵は押込みの刑で仕置される前、芸者と逢い引きするため深川に家を借りている。
押込みの刑が明けた後、日野唐十郎殿に刺客を放って芸者と駆け落ちするため、百両を盗んで越前松平家を逃げたのであろうが、越前松平家が鳥見役人を使って加藤貞蔵を探すとは、いったいこれは如何なる事か・・・。
そう考えた森田は、とんとその先を考えつかなかった
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