取り返しのつかないバレンタインデーと巻き返しのホワイトデー
misaki19999
2月14日 片平心美の憂鬱
取り返しのつかないことをしてしまった。
ヴァレンタインデーのプレゼントを好きな人に渡してしまった。
これだけ聞くと何も間違ったことはしていない。
フツーだ。フツー過ぎて、針を眼球に刺しても何も感じない。いや感じるだろう。痛いわ、ものすごく痛いわ。
そのくらい、イタいことをしてしまったのだ。
コンビニでバイトしてる私が、お客さんで来ていた人のレジ袋の中に、自分の思いを込めたヴァレンタインデーのチョコと手紙を、了承もなく入れてしまったのだ。
そのことをバイト帰りに、駅前のスタバに呼び出した中学からの親友、翔美衣(しょうみい)に話すと、
「あんたマジ? それあのバイトテロの動画をアップしてる輩と変わらないよ。おでんの白滝を口に入れて、鍋に吐き出したり、店内で♫パンケーキ食べたい♫ってハイテンションで踊ったりしてたよね」
「パンケーキ食べたいって、もう懐かしいね。でも今はお客さん側の問題が多くない? おでんツンツンとか、回転寿司なめなめとか、そんなのばかりニュースになってるけど」
「いやいや、絶対それ系の動画って色々アップされてるって。バズってないだけで。あんたも、勝手にお客さんが買い物したレジ袋の中に、自分の思いを込めたチョコと手紙を入れたわけでしょ。
それはバイトテロだし、自爆テロだわ。何やってんのよ。あんた死んじゃったよ、愛に殉職だよ。なんじゃこりゃあっ! だよ。
だって、その男の子が、レジ袋にこんな異物が入ってましたって、ネットに晒したら終わりだよ。一生消えないネットタトゥーだよ。
腕に野呂佳代命って彫るようなもんだよ。もう取り返しつかないよ」
「だって、好きで好きで好きで好きで好きで、仕方なかったんだよ」
「好きで、が多いよ、この沼女が。好きで、は2回まで。好きで好きで、まで。ちゃんとルール化されてるからね」
「いつルール化されたの?」
「今は俳優やってる杉本哲太って人がやってた紅麗威甦ってバンドが、『好きさ好きさ好きさ好きさ好きさ』って曲を1982年に出して、それは長すぎるだろうって国会で問題になって、それで好きさ、は2回連続でしか使えないことになったんだよ」
「そんなの日本史で習った?」
「日本史は現代のことなんて端折って終わらすから、私たちの知らないことばかりだよ」
「そうなんだ。知らなかった」
「だって嘘だし」
「嘘言うなよ」
「うちのお父さんが酔っ払って言ってたの。でもさあ、そんな名前も知らない人をどうして好きになったの?」
「名前は知ってるよ。彼が宅配便を送る時に、私が受けたから」
「なんて名前?」
「桂木羽亜土(かつらぎはあと)さん」
「うわっ、キラキラネーム。つか、個人情報漏洩。罪がまたひとつ重くなった」
「自分が訊いたんじゃない」
「だからって教えることないよね。守秘義務とかあるよね。もしかしてあれって住所と電話番号書く欄あるから、それ、コピーしたりした?」
「それは無い。でも、住所見たらここの近所のマンションだった」
「あー、やばいよやばいよ」
「なんで出川さんのマネ?」
「住所まで見ちゃって、もう本物のテロよ。この排泄物みたいなクソ社会への復讐よ」
「いや、いや、いや、そんな大それた考えなんてないし。それに、彼の住所も名前もどこにも晒してないし」
「晒さなきゃいいってもんじゃないでしょ。あとはなんか罪を犯してない? 吐きなさい、いいから。指を喉に突っ込んでゲロするのよ、楽になるから」
「苦しいよ、それ。でもね、えーとね、引かない?」
「もう充分引いてるから」
「お店の防犯カメラの映像から、その人の顔をスマホで写真に撮った」
「はい、心美アウトー! それ犯罪。店側とその男の子両方から訴えられるから。ねえ、その画像持ってるんでしょ」
「うん」
「見せなさいよ」
「共犯になるよ」
「ここまで知らされたら仕方ないよ。毒を喰らうならサラサラの髪までって言うし」
「そんなことわざある?」
「ないよ。毒を喰らうなら皿までだよ」
「皿、喰らうんか、豪傑だな」
「昔の戦国武将は口から槍を呑んで、尻から出すんだよ。すげえんだよ」
「マジか」
私はバッグからスマホを出して、その画像を見せた。
ちょうどレジ前で支払いをしている彼が写ってる。
「何これ、すごいイケメンじゃない。前髪のゆるふわパーマが似合ってるし、シュッとした顔してるのに、目がかわいい」
「そうそう。すごく、かっこいいの。それに応対が丁寧で、腰が低いというか。言葉遣いも柔らかいし、優しいの」
「客だからって偉ぶらないんだ。もう、良いとこしかないね」
「うん」
「でも、そんなイケメンで誠実そうな人が、見ず知らずのコンビニ店員にヴァレンタインのチョコレートと手紙を勝手に入れられて、喜ぶと思う?」
「冷静に考えたら迷惑だってわかるよ。でも、あの時は熱に浮かされたように、してしまったの。取り返しのつかないことを」
「もうバイト辞めるしかないね」
「でも今は人手が足りないし」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。あなたはテロを起こしたの。社会的に爆死したの。もう新しく生き直すしかないの」
たしかにその通りだ。
私のしたことは、バイトテロを起こした過去の店員たちと変わらない。
そして私がチョコをレジ袋に入れたその日以来、
彼は買い物に来なくなった。
それがすべてを物語っていた。
私は心苦しさと気恥ずかしさのどろ沼に首まで浸かっていた。
私はバイトを辞めたいと店長に相談した。もうすぐ大学も3年になるし就活も忙しくなるからと、もっともらしい理由で。
すると店長にあと1ヶ月待って欲しいと言われた。これからバイトの募集をかけて、次の人が入るまで。
テロを起こした身だ。すぐに辞めたいなんてわがままは言えない。
私は1ヶ月後の3月15日まで働くことで話がついた。それまで私はどろ沼に浸かったまま、レジを打ち、品出しをし、雑誌の返品をした。
どろ沼の中で皮膚呼吸も出来ずに、呼吸が苦しくなる毎日だった。
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