海を憎んだ。

misaki19999

海を憎んだ

風の匂いが変わった。 

雨を含んだ湿った匂いだよ。


まだ明けきらない早朝の空に、

黒い雨雲がスピードを上げて北北西に動いてくる。

もう波がうねる音が聴こえる。


私は足を早めたんだ。防波堤まではもう少しだよ。


昨日の予報ではそれほど荒れた天候にはならないはずだったよ。

でも予想外に発達した雨雲が、嵐のような強い風を伴ってこの湾に近づいて来ているんだ。


私の制服の赤いスカーフが、強い風に吹かれて揺れていた。


海が見えてきた。白い波がもう2階を見上げるほどの高さにまでなってるよ。


私は強い風で真っ直ぐに歩くのもままならずに、一歩一歩足を踏ん張って、防波堤を歩いて、


その先端にある大きな灯台の鉄のハシゴにつかまったんだ。これを登って行くと、灯台の外壁を上がって行けるハシゴだ。


私は振り返って荒れ狂う海を見た。

遠くに小さな連絡船が見える。

その船に私の愛する人が乗っているんだ。


彼の住む島には高校がないから、あの小さな連絡船で、毎朝この町まで通って来る。


私はその連絡船が無事に着くことだけを祈っていたよ。

強風がまるで頬をはたくように、吹き抜けて行く。私の長い髪も風に持って行かれてぐしゃぐしゃだよ。


なんでこんな日に出航したの?

お爺も言ってたよ。あの老朽化した船で高波を食らったら沈んじまうって。


なんで、なんで、無線で連絡とか取れなかったの? 

気候がすぐに変わることなんて、海に関わる人ならみんな知ってるはずだよ。


どうして出航をやめることが出来なかったの?


私はその連絡船が無事に着くことだけを願ってた。

私の愛する人を、世界で一番大事な人を、乗せた船がこの堤防に着岸出来るように。

それだけを祈ってた。


風で私の体が海に飛ばされてもいい。

彼のことだけは守って下さい。


でもその連絡船は、

私の世界で一番大事な人を乗せた船は、私の目の前で転覆してしまった。


そしてその船体は船底を見せて、そのまま沈んでしまったんだよ。


その瞬間、私の赤いスカーフの結び目が千切れて、風に飛んで行って波に飲まれた。


私は灯台につかまりながら海に叫んだ。


平凡でいいから、

凡庸でいいから、

いつもの日常を返して下さい。

彼のいる日常を返して下さい。

それが私の一番の幸せなんですと。


私は駆けつけた自警団の人たちに、早く逃げろと言われた。早く、その灯台のハシゴを離しなさいと。


でも私の愛する人が消えたんだよ。

あの荒れ狂う海に飲み込まれたんだよ。

私も消えてしまいたかったよ。

私も海に飲み込まれたかったよ。


彼のそばに行きたかったよ。


私はハシゴから手を離されて、自警団の人たちに連れられて、荒れる海を、

彼を飲み込んだ海を振り返りながら、

防波堤を歩いたんだ。


涙がとめどなく流れて、風に吹き飛ばされて飛んで行ったよ。

涙は本当に途切れなかったよ。


空がなんでもない顔をして、

青く透き通った翌日、彼が連絡船の中で、亡くなっていたと聞いたよ。


私のあげたお守りが、制服の胸ポケットに入ってたそうだよ。


彼の命の灯が消えた。

まるで灯台の灯が消えるように、

私を照らす物が何ひとつなくなった。


私は泣きながら座り込んで、

もう動けなかったよ。


海を海を海を海を、心から憎んだんだよ。

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