滝底道中

「離すわよ」

「お、おう」


 高度は三階建ての建造物程度。

 そこであっさりと落とすと言われて素直に頷けるはずもなく、ラグロスは歯切れの悪い返事をする。


 無論、セレンも鬼ではない……人基準でもないが。

 ともかく、ある程度着地のしやすい場所目掛け、ラグロスを離した。


「うおっ」


 突如体を襲う浮遊感。ふわりと心臓が浮きあがり、驚きにポンプが停止されて、呼吸が止まる。

 ここは生きた心地のしないの世界。

 二度目とは言え、身動きがまともに取れない場所で。

 慣れるはずもない行為に必死で心を落ち着かせながら、着地の準備をする。


「──っ! ……っとぉ……ぉあっ!?」


 どしん。と彼の屈強な肉体が着地の衝撃を受け止め、豪快な音を立てて無事に着地を決めた。

 ──思いきや、ぬかるんだ地面に足を取られて見事に転ぶ。

 泥交じりの土を派手に巻き上げ、少々情けない空の旅を終えた。


「全く、見栄え悪いわね」

「……怪我してないだけマシだと言わせてくれ……」


 新たに生み出したローブを羽織りなおし、セレンが嘆息している。


 迷宮生物を相手にするのとは違う、ただただ純粋な人間的恐怖。

 その最たる高所からの落下はラグロスも慣れていない。

 分かってはいても慣れない恐怖。

 鼓動を速める心臓を抑えながら抗議した。


「支障がないなら何でもいいけど、あれ、行くの?」

「そりゃもちろん」


 少女の細指が示す先。視界に広がる蒼のカーテン、大質量の水が垂れ流される大滝だ。

 重厚な水の音が目の前の滝の規模を教えてくれる。

 近寄ると視界一面を埋め尽くす地下へと流れ落ちる大滝と、それを飲み込む深い穴が見えた。


 一日おきに降り注ぐ雨は山を伝い、坂を下り、やがてはここに収束する。

 まるで変えられない運命のように。


 すべての水の還る場所──中層最奥部、終着の滝壺だ。


「中継地点はないって言ってなかったかしら?」

「ああ、あれは一方通行らしいぜ」


 滝の底へと続く階段の横に転移装置が置かれていた。

 白ではなく青色の光を灯すそれが、従来の物と異なることを告げている。


 青の光を灯すそれは、極一部の場所でしか存在しない一方通行型の転移装置だ。

 物資が切れた時の命綱としての役割は持ちつつも、安易に補給に戻らせない嫌らしさを兼ね備えている。


 だが、ここが修練場と呼ばれるのだからラグロスも理解できる。

 これを作った者は探索者たちを試しているのだろうと。


(深く考えてなかったけど、本当に人が作ったって思えるな)


 転移装置を通り過ぎつつ、穴の中を覗き込む。


 横幅は人が寝転べる程はあるが、手すりや柵のない石階段は不安を抱かせる。


 階段は壁に沿い、螺旋状に下へと伸びている。

 誰かが取り付けた小型の魔石灯のおかげで一定間隔でぽつぽつと明かりが見える。


 だが、弱い光がこの大穴全てを照らせるはずもなく、暗闇しか見えなかった。


「一本道?」

「いや? 曰く立派な迷宮だとさ」

「迷宮の中に?」


 元よりこの神の修練場も分類上は迷宮である。

 無論、あくまで分類上であり、それだけでないから神などと大層な名前がついているのだ。


「そこらへんはアンタらのほうが詳しいんじゃねぇのか?」

生憎あいにく、定義の話は興味がないの」

「今聞いてきたじゃねぇか」

「……今無くなったわ」

「一応あったんだな……あっ、おい!」


 そう言い返すも、ローブ少女は既に階段を降り始めていた。

 慌てて追いかけようとするも、道を踏み外せば命がない場所で走る訳にも行かなかった。


「……聞こえてるかー?」

「ええ」


 そうして生まれた十数段ほどの距離感。信頼こそあれ、心の距離はまだ遠い彼らの距離感と似ていた。

 一緒に行く気がないのか彼女の意図が読めず、ラグロスが呼びかけてみると、短いながら凛と響く声が返って来た。

 どうやら指示くらいは聞いてくれるらしい。


「このまま下に着くまでは一本道。ついてからが本番だ」

「了解よ」


 それきり二人の間で会話が途切れた。

 話しかける用事もなく、雑談するには少し遠い距離。気を抜いてセレンに意識を割けるほど緩い場所でもなく、むしろ逆。ラグロスでさえまともに知らない未知の場所。

 少なくとも、他愛のない話のために呼びかけるのも違う気がした。


「……ひまなのかー?」

「そう、だな」


 そこへ、代わりとばかりにフレアが飛び出す。

 明るくない場所に飛び出した人魂はラグロスの足元をぼんやりと照らし出した。

 たまに道を踏み外しそうだったので、安全が取れたことに心も温かくなる。


「オイラもひまだー」

「……元気ねぇな。どうかしたか?」


 いつも耳がつんざくほどの勢いで喋るフレアだが、今はやけに間延びした声だ。

 うるさいのも鬱陶しいが、これはこれで気に障る。


「みずきらいだ」

「……あぁ」


 大滝のことだ。降り始める前はあれだけ存在を主張していたのに、今はちっとも気に留めていなかった。

 暗くてよく見えないが、音が存在を教えてくれている。人間において視界がどれだけ影響するかを如実に示していた。

 そこの人魂には不味いらしいが。滝特有の澄んだ空気は中々悪くない。

 

「そんなに嫌なのか?」

「いや、じゃないぞー? きぶんがわるい!」

「……?」

「はなれたくなるぞー」


 それを嫌と言うのではないかと首を傾げるラグロス。

 しかし、人魂にとって何かが違うらしく、訴えかけるように彼の周囲を飛び回っていた。


「中に居たら楽なのか?」

「ラグ―のなかはもっとわるい」

「……えぇ」


 衝撃的事実である。思わず声を漏らしてしまうほどに。

 加えて、何故なのかと疑問が膨れ上がっていた。


「でも、いごこち? はいいぞ!」

「訳わからん……」


 どうやらフレアにとって、嫌と感じることと気分が悪いことは別で、気分が悪いことと居心地がいいことは両立するらしい。


(いや、訳わっかんねぇ)


 内心で再度呟くぐらいに意味不明だった。

 フレアの話は直感的だ。抽象に偏った説明はラグロスにはぴんとこない。


「ラグ―とこのでっかいたきはおんなじみたいだぞー」

「滝と同じかぁ……」


 彼は思考することを諦める。これ以上考えると頭が痛くなりそうだった。

 悩みを吐き出すようなため息交じりのおうむ返しは、澄んだ空気に溶けて消えていった。



 *


 いくら壮観な大瀑布だろうと、時間が経てば飽きるもの。

 ましてや暗闇に落ちていくそれをしっかり目視できないのだから余計にである。


「人の中に居座るのって楽そうだよな」

「さぁ? 流石に悪魔の気持ちは分からないもの」


 飽きは先行していた少女にも影響したらしく、ラグロス自身特にペースを変えたつもりもないのに、いつの間にかセレンに追いついていた。

 しばらく前に「あきたー」と言ったきり、フレアはラグロスの中に引きこもって出てこない。

 気分が悪いんじゃなかったのか。

 馬車を引く馬になった気分だった。


(今度餌でもやるかな)


 退屈な裏で寛いでいる奴がいると思うと、微妙に腹が立つ。

 次に馬車に乗るときはもう少し労ってもいいかと思い直した。


「ぼーっとしてたら目的地だぜ? 人任せでぐうたらするのはどう考えても楽だろ」

「他人のペースに委ねてるのに?」

「あー、そういう考えもあるのか」


 任せたからと言って楽になるとは限らない。乗り込んだ馬車が違う道へ行ってしまったなんてこともあるだろう。目から鱗だとラグロスがポンと手を叩いた。

 隣で爆音を立てる水飛沫のせいで、叩いた音は二人の耳に届かない。

 声も聞こえにくいので、二人の声は自然と大きくなっていた。


「急いでないなら良いでしょうけど、ね」

「時間ねぇ……」


 牛歩の如くゆっくりと進めて来たラグロスには理解しがたかった。

 じゃじゃ馬のチャージをなんとか使いこなし、より長い探索でも脱落しないよう体を鍛え上げる。

 地道な繰り返しで進んできたラグロスの歴史だ。

 しかし、今は止まることを知らない猪のような探索速度だ。今になってようやく慣れてきたぐらいだ。


「急いでたよな?」

「寄り道する時間がないだけ」

「具体的には?」

「あっちより先に奥に着くこと」

「あっち……? ──あぁ、あっちね」


 ラグロスの岐路ともいえる人外たちの出会い。

 少女の方ではないローブ野郎。彼女がに悪魔と言っている者だ。


 あの時に出会って以来一度も姿を見たことがない。

 一度セレンが噂になったときに彼らも似た外見をしていたはず。目撃情報が出てしかるべきだ。


(ないってことは……そういうことだろうな)


 人じゃないのだから、ラグロスの知らない何かしらの術で姿をくらませているのだろう。

 余りにも見かけないものだから存在が薄れていたが、無視はできない。


「気をつけとくべきか」

「そんなへまをするつもりはないわ。貴方は目先のことだけ気にしてなさい」

「そういうわけにもいかねぇだろ」

「……」


 セレンがすげなく諭すも、即返って来た答えに目をぱちくりとさせた。


「一蓮托生ってやつな」


 惚れているからなどと正直に言うわけにもいかず、格好つけるように吐き出した言葉。

 これも決して嘘ではない。


(忘れてんのかねぇ。上下関係はあるってのに)


 上層を超えてからをされることがなくなった。

 あったとしても、ラグロスが戦うためのものくらいだ。


 だからといって隷属関係であることに不満がないとは言わないが、情を持たれていると分かる相手を気にしないのも違うだろう。

 その辺りを自然に口にしない辺り、彼女がこういった立場に慣れていないとさえ感じる。


「……そ」


 微かな返答。大気を震わせたのか怪しいほど振動は小さい。

 耳をそばだてていたラグロスが辛うじて聞き取れた音量で。

 水音のせいで気のせいかと疑うほどだった。


 しかし、フードを被った少女の頭が僅かに俯くことで、その疑いが晴れる。


 本人は気付いていないようだが、セレンは真摯である。

 他者との交流が少ないからだとか、人間じゃないからという理由もあるだろうが、基本的に顔を俯けることはない。

 目を見て話す、聞くとは限らないものの、堂々とした態度を崩さないのだ。


 それが崩れる時は彼女にとって不服だとか、素直に認めにくいもので。


「不満か?」


 確認のために尋ねてみれば、背中の辺りをこつんと小さな拳がぶつけられる。

 思わず苦笑が漏れた。


「……好きにすればいいわ」

「そのつもりさ」


 セレンが紫色のフードを深く被りなおす。

 隙間から覗く口端がほんのり弧を描いていたが、ラグロスは見ないふりをした。

 彼女の助けになれているのなら、それで十分なのだから。


 何個目か数えるのすら億劫になった魔石灯を通り過ぎながら、彼も微笑を浮かべた。

 もうすぐ──滝底だ。

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