追われる理由
ラグロスとセレンが組んでから数日。
上層の探索進度はおよそ半分を超えていた。
多くの探索者がスキルや迷宮生物との戦いに慣れながら、奥地に居る門番の元まで約半年かかる。
早ければその半分程度まで縮むが、これを踏まえても異常な速度だった。
この攻略速度にはセレンの殲滅能力とラグロスの持つ地図に記された最短経路のおかげだ。
人目に付かない場所ならセレンが飛ぶことも出来たので、ちょっとした障害もなんのそのと突き進んでいた。
しかし、ここで物理的なものとは違う障害が立ちはだかる。
二人はそれに対する作戦会議のため、北国の憩い場に訪れていた。
「あら。いらっしゃい、お二人さん。噂、ずいぶん広がってるわよ?」
「……ちょっと調子に乗りすぎたかもな。アリエルさん。奥、使ってもいい?」
「良いわよ。注文はどうする?」
「セレンは──」
「ミラクルサワーを頂戴」
「じゃあ、俺はコーヒーと耳揚げ」
北国の憩い場に彼らが訪れるのはこれで四度目だ。
探索前や探索後に腰を落ち着けられる場所としてほとんど毎日利用している。
ここ以外だと、落ち着ける場所はジエルの家で借りている部屋しかない。
しかし、あまり外に出れないセレンにとって部屋に居続けるのはストレスが大きい。
彼女のおかげでそこそこの稼ぎも得られている。節約にこだわる必要もなかったので、こうして連日訪れていた。セレンは一枚も硬貨を持っていないので、当然ラグロスの奢りである。
「ねぇ、それほど目立ったことはしていないはずよ? どうしてここまで……」
「すまん、俺のミスだ。……蒼のアーチを通った時点で考えるべきだった」
彼女の強さに驚いていたせいでラグロスもあまり意識していなかったこと。
それが、蒼のアーチ含む危険性の高いルートを通り続けていたことだ。
五人揃ったフルパーティが少ない上層故に、周りの探索者もメンバーを探している。
加えて、セレンが姿を隠すため、一目でわかる紫色のローブを身に着けていたのが大きかった。
だからと言ってローブを脱ぐのは羽を晒すことになる。
セレンの要望でもあったため、人目に付きやすい上層を通り抜けたかった彼が切り捨てたリスク。
それが膨れ上がり、今では目につく度追いかけまわされる羽目になっていた。
探索の際は彼らが常に危険とされるルートを選ぶせいで付け回されることはないが、外に出れば話は別。
特徴的なローブも相まって二人は常に隠れながら移動している。
「確かに勧誘はされたけど……。あれほどしつこいものなの?」
「……パーティ登録してねぇからだろうな。俺と一緒にいるからってのもあるけど、フリーと思われてんだ」
「何が違うの?」
「別に何も。ただ、パーティを組んでいる人間に対する過剰な勧誘が組合から咎められるだけだ」
「……ふぅん」
セレンは一瞬登録すればいいと考えたが、何故隠れて移動しているかを思い出して口を引き結ぶ。
彼女が思いつくようなことはラグロスも思いついている。
彼が口にしないものは基本的に無理だと気付いたセレンが不機嫌そうに足を組んだ。
「あぁ、もう。暑苦しい」
「──」
そして、一日中被ったままのフードを払いのける。
彼女の艶やかな白い髪と周囲を魅了する顔が露わになり、ラグロスが目を瞬かせた。
フードを被っているせいで、彼は未だ彼女の美貌に見慣れていない。
「……そういや、ローブの色を変えるのは無理って言ってたけど、どうして無理なんだ?」
「……それは言えないわ。白か紫。どちらかだけなの」
「分かった、そっちはいい。……これだけ騒ぎになってるんだ。アンタを追っている奴らに見つからないのか?」
「それは多分大丈夫よ」
「……本当か?」
ここ連日の騒ぎのせいで、道行く通行人もセレンの姿を見るなりローブの子だと叫び出す始末。
裏路地で撒いて北国の憩い場に姿を隠しているが、ラグロスはこの騒ぎ様ではバレるのも時間の問題と思っていた。
「あいつら、ちょっと馬鹿だもの。人の話に耳を傾けることは少ないわ」
「……前から気になってたけどよ、セレンは誰に追われてんだ?」
「…………」
超えてはいけない境界線を探るようにラグロスが尋ねる。
普通の人と対処が違うならできるだけ情報を得ておきたかった。
しかし、下手に聞いて協力関係が解消されるのも困る。
セレンとの境界線を探るため、彼は日々質問を重ねていた。
答えは概ね沈黙が帰って来る。今も腕と足を組んだまま彼女は黙りこくっていた。
しかし、この沈黙には二種類あることに彼は最近気付いた。
それは拒絶と躊躇だ。
話す気がないものと、話すか迷っているもの。
今回の沈黙を僅かな身じろぎと、組んでいる腕が僅かに解かれたことからラグロスが躊躇の沈黙と判断した。
「……それが分かれば俺も対策が立てやすい」
だから、セレンが話しやすいよう彼は背中を押す。
ただの善意ではない。力になりたいと言うのは勿論だが、彼女のことを知りたいと言う下心もある。
宿に居た時とは違う複雑なお節介。彼の後押しにも躊躇が混ざっていた。
その後押しを受けたセレンは顔を少し俯け、考え込む。
後押しが効いている。それを確認しつつ、罪悪感にラグロスは苦笑を浮かべた。
「…………天使と反対って何を思い浮かべる?」
「──え?」
長い沈黙の末、ようやく口を開いたセレン。
彼女が口にした問いにラグロスが怪訝な表情を浮かべる。
いきなり何を言っているのだと。
しかし、その質問の答えはすぐに浮かんだ。おとぎ話にもある有名な存在。
「天使の逆だろ? 悪魔とかか?」
「そうね」
「……そういうことか」
やや歯切れの悪い返答だったが、セレンの意図を理解したラグロスが静かに息を吐いた。
自分の知らないところで見たことない存在が戦っているという事実。
それなりに彼の胸を躍らせるものではあったが、今はそれを押し殺して思案する。
(悪魔ねぇ。…………いや、どうしろと)
天使を追うものとしてはピッタリだ。納得もいく。
だからと言って、良い対策が思いつくことはなかった。
「聞いたところですまねぇが、いいのは浮かばねぇな」
「期待してないから別にいいわ」
「……おうよ」
今度は何の躊躇もない冷たい言葉。
ラグロスがくぐもった声で返した。
「……なんも出来ねぇのはあれだけどよ。話してくれてありがとう」
「──。別に。礼を言われるほどじゃないから」
ふいと顔を背けるセレン。
しかし、彼女がこういった素直な言葉を無下にしない
反応こそ示さないが、きっと意味はあると思って彼は礼を省かなかった。
「お待たせしましたっ。ミラクルサワーとコーヒーよ。耳揚げは少し待ってね?」
「ありがとうございます」
「……ありがとう」
「ふふっ」
注文を運びに来たアリエルが二人の飲み物を並べる。
何度も来たせいか、アリエルに慣れたからか、小声で礼を言ったセレンにアリエルが笑った。
ラグロスを面倒なことに巻き込んではいるようだが、それでも彼は手伝いを辞めない。
アリエルもまた、セレンが根が悪い人と微塵も思っていなかった。
むしろ、ラグロスを通じて少しずつ心を開いてくれる彼女を可愛がってさえいた。
「……どうして笑うのよ」
「んふふ~」
「ちょっと……」
怪訝な表情を浮かべるセレンをアリエルがにっこりしながら撫でている。
何故こうされているか分からない彼女の顔が困惑の色を強めた。
“どうにかしてくれ”とセレンがラグロスに目線で助けを求める。
しかし、セレンが困惑する様を見るのは彼も面白かったので静かに首を横に振った。
あれから命令を使われることも減っている。
彼女の目的を意識的に手伝っていることもあるが、彼女の人の良さが大きい。
人であるかどうかという話は横に置いて。
ラグロスからも突き放され、されるがままのセレン。
しかし、彼女も居心地は悪くないのか、ほんのり口端が持ち上がっていた。
彼女の瞳は困惑に染まったまま。どうやら無意識らしい。
「もぉ~。なんて可愛いのかしら」
「はは……。その辺にしておかないとセレンが怒っちゃいますよ」
「ラグロス君は意地悪だねぇ」
そんなセレンを見て、アリエルが笑みを深めてセレンを撫でまわす。
勢いこそ強いのにセレンの白髪は乱れない。
どうすればそんな綺麗に撫でられるのかと不意に沸いた疑問を横に置き、ラグロスが止めに入った。
「撫でるの、そんなに楽しいの?」
「勿論よ? かわいい子なら誰でも歓迎だから!」
「そ、そう」
綺麗な顔を困惑で歪めたセレンが、ぎぎ、と座っている椅子ごと後ろに滑る。
得体のしれない生き物への恐怖故だった。
「さて! お邪魔虫はそろそろ退散しようかしら。また戻るわね?」
「はは……はい」
茶目っ気のあるウインクを一つ残し、くるりと回転。青髪を舞わせたアリエルがトレイを胸に抱えて去っていった。
まるで嵐のようだとラグロスが苦笑する。
その嵐に巻き込まれたセレンは、言葉なく嵐が扉の奥に消えていくのを見送っていた。
「……話を戻すぞ。とりあえず、悪魔にさえバレなきゃいいんだろ? そいつらにバレるってのはどういうケースなんだ?」
「──確実なのは天使の権能を使った時よ」
「権能?」
「特別な力とでも思っておいて。勿論、使う気はないけれど」
「他には?」
「他だと……」
お互いに佇まいを整え、話を再開する。
ラグロスは今後の行動を考えるため、危険なラインを探るべくアリエルに尋ねる。
天使の権能とやらは彼の興味をくすぐったが、今は横に置いていた。
「私を直視されること。今はローブの色を変えてるからローブ越しなら大丈夫」
「……本当か? さすがにそこまで馬鹿じゃないだろ」
「向こうは今噂になっている私と、追いかけている私を同一視できないはずだから」
「……ただの馬鹿じゃねぇの?」
「だから言ったじゃない」
「でも、なんで気付けないんだ?」
ここまで騒ぎになってもセレンを捕まえに現れないのだから、理解できる話ではある。
しかし、仮にも人間より上位の存在。本当に上位か疑うほどの間抜けさだ。
「物理的な肉体の視界より、魔力から得られる情報を優先しているの」
「……どういうことだ?」
「簡単に言えば、人間の情報は当てにしていないの。下等生物だと馬鹿にするのも考え物よね」
「なる、ほど?」
理解に窮するも、簡略化された答えでなんとか理解したラグロスが頷く。
セレンもセレンで馬鹿にしていたような気もするが、彼は口にしない。
嘲りも混じった美しい微笑みを崩すのは忍びなかった。
「なら、今は気にしなくていいのか?」
「ええ、無視でいいでしょう。今は中層に行くことを優先するわ。そこまで行けばやりやすくなるから」
「分かった」
ラグロスが頷き、俯く。
何が、とは尋ねなかった。
そこまで同伴できる実力は今の彼にない。
思わず彼が嫉妬してしまうほどの天使の力。
欠片でも届かないなら、彼に少女の後ろを歩く資格はないのだから。
「……?」
陰りを見せたラグロスの顔。それに気付いたセレンが顔を覗き込もうと体を傾け──
「ラグロス!!」
「──ッ!?」
「……あぁ──ルーツェか」
バンと勢いよく開かれた扉の音に思わずびくりと体を震わせた。
そんな彼女の向かい側。陰りのある顔を持ち上げたラグロスが、扉を開けた者の名前を口にした。
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