第9話


「くそが」


画面越しについ出た言葉がよくないとは咄嗟に思った。が、そう言わずにはいられなかった。


『パロン』の飼い主がチャンネルの雰囲気を変えるといってイラストやアニメーション、BGMを募集していたから初めて真剣に作って送った。


採用されたのは俺が作ったBGMではなく、気の抜けるような変なリズムのBGMで、明らかに下手くそだ。


音楽の知識なんて持っていない人間が作ったことがまるわかりの音に、思わず暴言を吐く。


「どこがいいんだよこれの」


何度聞いても自分が作ったBGMのほうがいい。採用されたらあの女にそれを自慢してやろうと思ったのに、うまくいかない。


手を抜いて作る音楽は喜ばれるのに、真剣に作ったものは喜ばれない。


くそが、ともう一度出そうになって、飲み込んだ。


BGMを作ることに熱中していて、あの女の連絡に雑に返してしまったせいで、次のメッセージが送れない。


別に連絡をとる必要もないが、仕事が一段落すると、あの女のことを思い出して、どうしようもなく気が散る。


冷蔵庫の中も冷凍庫の中も、ほぼ空になった。


キッチンに置いてあった奇妙な蟹のイラストのパンは、甘い牛乳の味がして少しずつ食べたら美味かった。

一度に多い量を口に入れると水分が奪われて飲み込めないことを知ったので、小指の先くらいにちぎって食べきった。


冷凍庫にあった白い大福が2つ入ったアイスはやたらうまくて、一瞬でなくなった。


あの女はコンビニにもスーパーにも売ってあると言ったが、買いにいくのは面倒なのでパッケージを見てネットで検索して買う。


そうしたら、箱に大量に詰められて届いたので、あの女の言うとおり店に買いに行けばよかったと後悔した。


絶対に見つかりたくないので、すべて食べ終わるまでは絶対に連絡しない。


万が一にでも家に来るようなことがあったら困る。




一ヶ月過ぎて、だいふくアイスが半分減った。


女は全く連絡して来ない。

そのことにイライラする。


しかし、俺から連絡したくないので、仕事に没頭した。



納期が長いものまで全て終わらせてしまったので、やることがなくなった。


久しぶりに髪を切りに行くつもりで美容室を探したが、面倒になってやめる。


新しい服も、鞄も、アクセサリーも、なにも欲しいと思わない。


前に買ったまま包装すら開けていないものが山ほど放置されていて、仕事相手から送られてきたプレゼントも未開封のままだ。


ろくに雑談もしないので、謎が多い人物だと勝手に思われている。


馴れ馴れしい態度の担当者に嫌気が差して、仕事を請けないと言ったことがあるので、淡白なやり取りをする担当者しか今は付き合っていない。


個人の依頼は基本的に受けない。

手間が面倒だからだ。


それでなくとも親の知り合いで俺が息子だと知っていて仕事を持ってくる人間がいるので、稼ぎに苦労することもない。


この仕事がなくなっても、死ぬことはないし、親も見捨てる人間ではないだろう。説教はあるだろうが、無一文で放り出して縁を切るような人達には思えない。


恵まれているんだろうな。


他人と比較したことはあまりないが、そうだろうとは思っている。


死んだら家族は泣くだろうか。

そりゃあ、泣くだろうな。


あの女は俺が死んだら、どんな気持ちになるんだろうな。


聞いてみたくなって、自分から連絡なんかしないと思っていたくせに、躊躇うこともなくメッセージを送信した。


送ったあとにハッとして、しかし、取り消さないで返事が来るのをじっと待った。


俺が死んだらお前どう思う?というメッセージに、既読の文字がつく。


「うわっ」


普段は滅多に聞かない音が流れて、スマホを仮眠用のソファーにぶん投げた。



慌てて取りに行く。


通話だった。



「相模さん?」

「……お前に名字言ったか?」

「アカウントの名前がフルネームになってますよ。というか、そんなことはよくて、メッセージ、あれ、なんですか?」

「別に、意味とかはない」

「はあ!?」

「デカい声出すなようるせーな」

「人を驚かせて楽しいですか?心臓が止まるかと思いました、なんであんなこと言うんです?」

「別に楽しくて聞いたわけじゃねぇし、お前の心臓が止まるのも意味分かんねぇし」

「どういうつもりなんですか」

「ただ聞いただけだろ、なんでお前が怒ってんだよ」


声を荒げて話す様子は初めて見たので、少し焦った。


思いつきで送ったが、この女にとってはよくないことだったらしい。


ぶち切れているように聞こえる。


どうしていいかわからなくて、言葉が出てこない。


「死にたいんですか」

「……それは、たまに」


死ぬつもりはないが、ふいに思うことはある。

ただ、それだけだ。

死のうと思って何かしたことはない。


「あー……顔、見に行ってもいいですか?どっかで待ち合わせて、ご飯食べに行くとかでも良いんですけど」

「行きたいとこがあんの?」

「そういうわけではなくて、相模さんの顔が見れたらそれでいいんで」

「お前、俺の家……場所は覚えてんのか」

「たぶん分かります。じゃあ家に直接行きますね、いつが暇ですか?」

「いま」

「今!?夜ですけど!?」


そうだっけ。


時間を確認したら、日付が変わる前だった。引き篭もっていると、時間も日付も感覚が鈍くなる。


流石に遅い時間に来させるのは常識的にまずいと思った。何かあったら寝覚めも悪い。



「お前の家どこ?迎えに行く」

「明日以降にしようとかそういう考えないんですか?」

「住所送れよ、今から出る」


一方的に通話を切った。

あれこれ言われて決めた予定を潰されるのが嫌だったからだ。


いま顔が見たいと思っているわけではないが、明日以降にするのはなんとなく嫌な気持ちになる。


住所がメッセージで届くまでの間に、外に出る用意を始めた。



ハウスクリーニングが週に二回来るので、クローゼットの整理も頼んである。


整理を頼むのを忘れて未開封のままになっているものも多いが、思い出したときに頼んでいて未着用だがアイロンが掛けられた服もある。

どこの店の服か知らないまま、小奇麗に見えるであろう服を選んだ。

買ったときより痩せたのか、多少ゆるいがベルトで誤魔化す。


髪はセットするのが面倒くさいのでドライヤーを当ててなんとか前髪を上げた。

コンクールの時はガチガチに固めて視界を確保していたので、今は前髪が鬱陶しい。そのうち切る、と決めて洗面所をあとにする。


車のキーと部屋のカードキー、しばらく使ってなかった財布をポケットに押し込んだ。

金が入ってんのかどうかもわからない。

カードがあれば問題ないだろうと中身の確認はしなかった。


車に乗り込んで、ガソリンのメーターをみたらつい舌打ちが出た。


あの女を迎えに行く前に、スタンドに寄らなければならない。




スマホの通知をタップして開くと、素っ気なく住所だけが送られてきていた。


この女、俺が迎えに行くことを嫌がっているんだろうな。

他になんのメッセージもないことからそれが伺い知れる。


それでも予定を変えるつもりはなかった。


スタンドに寄ったあとナビに住所を入れる。


次があるかは知らないが、登録しておいた。今のところ、登録されているのはあの女の家だけだ。


途中でやたら細い道に入らされ、ボロいアパートの前に女が立っているのを見つけた。


セキュリティも何もない部屋に衝撃を受ける。


こいつ、馬鹿なのかもしれない。


俺でも防犯は最低限気にしているのに、この女は全く気にしていないのか、殴ったらドアが壊れそうなアパートに住んでいる。


寄せて停車したのに女はなかなか乗り込まない。


イライラする。

内側からドアを開けてやった。


「乗れ」

「お邪魔します。夜にすみません、わざわざ迎えに来てもらって」

「嫌味だろ」

「わかります?」

「帰れ」

「いいんですか?」

「……帰ったら殴る」

「なにを?」

「ハンドル」


はぁと女がため息をつく。


助手席のドアにロックをかけて、車を動かした。



ちょっと待て、こいつ、今、いいんですか?って言ったか。


「お前が顔を見せろって言ったんだろ、帰ろうとするのはおかしいだろうが」

「そういわれるとそうなんですけど、顔はもう見ましたし……大丈夫そうですね、帰っていいですか?」

「ふざけんな」


以前、いきなり連れ帰ったときとは違って、今日の女は膝に乗るくらいの鞄を持ってきていた。


「なんだそれ」

「これ?荷物ですか?」

「お前の着替えか?泊まるのか?」


考えもしていなかったことに心がざわめく。


この女、俺の家で寝るつもりなのか。


前回もそういや寝てたな。

仕方ないから、今度はベッドを貸してやるか。


俺は仮眠ソファーがあるから、別にベッドルームは使わなくてもいい。


「この時間に迎えに来られたら、泊まる以外にないですよね……中身は着替えじゃないですけど」


着替えがない?面倒くせぇな。

どっかで買って帰らないといけないだろうが。先に言えよ。ガソリン入れてきて正解だったな。


「なにが入ってんだ?」

「ごはんです」

「は?」

「作ったごはんです」

「だれが?」

「私が」

「だれの?」

「私の、でしたけど、あげます」

「俺に作ったんじゃねぇのかよ」

「なんで私が相模さんが食べるご飯を作ってるんですか、頼まれてもないのに」

「頼んだら作るのか?」

「えー……」


味が悪くなかったら作らせよう。

絶対に作らせる。


押し切れば作りそうな気配がしたので、帰ったら作ったものを食べて味を確認することにした。


その前に、着替えか。


「お前、いつもどこで服を買ってるか教えろ」

「近所の店ですけど」

「どこだ?」

「もしかして行こうとしてます?当然ですけど、いまは開いてないですよ」

「ちっ」

「ええ……」

「着替えがいるだろ」

「いりませんよ。もうお風呂入ったのでこれがギリ外にも着ていける部屋着です」

「……」


Tシャツと膝まであるぴっちりしたボトムス、に見える。そのへんを走ってるやつがこういう服を着ているところを見かけたことがある。

色気も華やかさもない。


ランニングする気だったのか、この女。


「夜に、外を、走ってんのか?」

「なんでそうなったのか分からないですけど、別にこれスポーツしようと思ってる格好じゃないですよ」

「新しい服を買え」

「セールになったときに買ってますけどね」

「セール?服屋の?どう知るんだ?」

「相模さんと違う世界にいることだけは伝わってきました。着替えはいらないので、おうちに向かってください」


早く家に帰りたいらしい。


なんだこの女。

俺の家を楽しみに思っているのか。

別に何もないが、まぁ、いい。

悪い気はしない。


今度なにか面白いものを置いといてやってもいい。暇なときに遊べるようなものがあれば退屈もしないだろう。


 

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