第3話 展開

 如月は神保とともに多摩連合の事務所前の建物で張り込みをしている。多摩連合の事務所は立川駅南口の5階建ての雑居ビル内にあるクラブがそれとなっている。

 駅からは徒歩15分ぐらいの真っ黒な雑居ビルで、ゲームセンターやライブハウスなどもあり、総合アミューズメント施設といった内容になっている。しかしながら、すべての施設に多摩連合となんらかの結びつきがあるようだった。

 事件の進展とともに半グレグループ多摩連合の影が見え隠れしていた。まず、防犯カメラの映像解析から、当日、立川駅から千尋が乗り込んだ車が黒いワンボックスカーのアルファードで、それと同じ車種がこの多摩連合にあるということだった。ただ、画像からは全くの同一車両であるといった裏付けが取れないため、捜査は行き詰っていた。

 武蔵大和署としては任意同行をかけたいのだが、そのための材料を探していた。いわゆる別件逮捕での余罪追及の形でもと考えているのだ。

張り込みは昨日から実施しており、対面にあるビルの3階の空き部屋一室を借りる形で捜査をしていた。空き部屋は2?Kの広さで窓には厚手のカーテンを掛け、カメラで撮影、パソコンに取り込む形を取っていた。さらに捜査員が同時に肉眼でも確認を行っている。2名が交互に観察を続けていた。

現在は如月が窓から様子を見ている。神保も窓に近づいてカーテン越しに外を見ながら話す。

「犯罪被疑者が事務所に入れば、逮捕、任同(任意同行)できるんだがな」

 薬物の取り締まりなどでグループの関係者に逮捕状が出ている。所在がわかっていないため、ここで見つけることができれば即逮捕できる。そのため、こうやって張り込みをしている。

 そこに黒いワンボックスカーが来た。

「神保さん、アルファードです。千尋さんを乗せた車と同じです」

「ああ、多分、あれなんだろうが、ナンバー確認ができていないんだ」

 車から数人が降りてくる。若者に交じって初老の男が降りてきた。神保が言う。

「あれが、ブレーンなんだろ、関西方面から来たっていう」

「そうですね。50歳ぐらいでしょうか、やくざなのかな。でもそんな感じには見えないな。一見、サラリーマン風ですよね」

「まあ、やつが来てから多摩連合の活動範囲が急速に広がったと聞いた。知能犯だな」

「クラブに潜入できれば、何かつかめるんだけどな」

「如月は顔が売れてるから無理だな。お前が入っただけで騒動が起きる」

「いっそ、それを狙ったらいいんじゃないですか?」

「馬鹿、不当逮捕とか言われかねないぞ」

 如月はふと考えつく。

「黒瀬ならいけるんじゃないですか?顔は売れてないし、クラブ受けしそうじゃないですか」

「クラブ受けって・・・黒瀬か、情報収集で潜入させるか、非公式だけど」

 実際、警察は潜入捜査は出来ない。ただ、非公式に該当地区に立ち寄ること自体は問題ない。しかしながら、犯罪行為を発見してもこれを証拠とすることはできない。


 翌日、武蔵大和署刑事課に新規にパソコンが設置された。

黒瀬が本来の自分の業務であるサイバー対策用のシステム設置を行っている。強行班ではパソコン知識の豊富な人員は少なく、二宮などはスマホの扱いも如月によく聞いている。そういう意味では黒瀬亡き後は如月がこのシステムのメンテナンス担当となりそうだった。

 この新たなシステムで所轄内に起きているサイバー犯罪を未然に防止することを主目的とする。犯罪行為自体を自動で検出することも可能となるようだった。当然、警視庁のシステムともつながることとなる。

 早速、黒瀬が如月に小声で説明している。

「ここだけの話ですが、如月さんだけが頼りの部分があります。多分、今後はみんなが如月さんに操作方法も教わるでしょうから」

「そうだね。実際、何回教えても覚えられない人もいるみたいだからしょうがない」

「そんなに難しくはないんですけどね」

 そういいながら、操作方法などをマニュアルを見ながら、教えている。

「黒瀬、神保さんから潜入捜査の話を聞いた?」

「ああ、クラブで情報収集するんですよね。大丈夫です。今晩にでも行くつもりです」

「よろしく頼みます。やつら意外としっぽを出さないんだよ。今日も二宮先輩が張り込むみたいだけど、ガードが堅いな」

「事件に関わった可能性が高いということで、アルファードで任同かけられないんですかね」

「人気の車種だし、完全に一致しないと任同も難しいらしい。それとやつら車は数台持ってるみたいだし」

「そうですか」

 強行班係の全員が歯がゆい思いをしている。


 翌日の捜査会議では少しづつの進展はあるものの、相変わらずガイシャと多摩連合の接点は明確にならなかった。会議後、強行班が自室に戻って話をしている。二宮は昨晩、深夜まで張り込みのため、本日は不在で午後出勤となっていた。黒瀬が昨日の潜入捜査内容を話す。

「捜査会議では話をしませんでしたが、ブレーンは間違いなくあの初老の男です。中にいた店員にそれとなく、画像を見せたらよく来ていることがわかりました」

「関西系なのかな?」如月が聞く。

「いえ、出身は関東らしいですよ。関西でそういった反社活動をしていたようです。まあ、その力量を買われてこっちに呼ばれたらしいです。企業で言うとコンサルタントのような仕事らしいです」

「名前はわかったの?」

「いえ、本名まではわかっていません。あだ名は探偵だそうです」

「なんだ、探偵って?」神保が言う。それを聞いた如月が反応する。

「あ、もしかして今井健三かもしれない」

「今井健三って?」

「スマートリサーチ社の元探偵だよ。どこかで聞いた名前だと思ったんだ。そうだ。多摩連合のブレーンってあいつかもしれない」

「そうなんですか?」

「裏取りしないと」

 2万円の稟議が通らず、自腹となった調査資料が日の目を見る日が来た。


 電話で済む話ではないので、再び、スマートリサーチ社に如月が黒瀬とで赴く。

 前回のスマートリサーチ社の打ち合わせ場所で二人が入江を待っている。黒瀬が話す。

「今井健三と千尋が結び付くとなると、やはり和人さんの件でしょうね」

「よくある名前だから、人違いってこともあるけど。もし同一人物とすれば関連性が疑われる」

 そこへ少し困り顔の入江が入ってきた。通常の挨拶をかわして早速本題に入る。如月がスマホで画像を見せる。

「入江さん、この男性が今井健三で間違いないでしょうか?」

 入江は老眼鏡を出して、画像を注意深く見る。そして頷く。

「そうです。歳はとってますし、貫禄が出てきたようですが、今井に間違いないです」

「今は反社に所属しています」

 入江が苦虫をかみつぶしたような顔をする。

「そうでしたか、いや、前回は話をしませんでしたが、今井は解雇に近いんですよ。どうも恐喝まがいのことをしていたようで、うちのメンツにもかかわることなので、辞めてもらったわけです」

「恐喝と言いますと?」

「調査結果を基に調査相手からお金を巻き上げるといった行為をしていたようです。黙っててやるから金をよこせといったような。お客様からそういったクレームが出てきて発覚しました」

「そうなんですか」

「まあ、あんまりいい話ではないんですが、こういった業界では、そういったことは全くのゼロではないんです。気を付けていますが、聖人君子ばかりではないので、しかし、反社まで落ちぶれていたとは思いませんでした」

「そうですか」

「一応、彼の履歴書もありますが、どこまで本当なのかはわかりませんね。差し上げます」

 そういって今井の履歴書と職務経歴書を無料で渡してくれた。


 これで多摩連合が今回の事件の首謀者であることがさらに明確になってきた。あとは証拠が必要になる。証拠の発見まで待つのか任意同行をかけるのかの判断を上に仰ぐこととなり、佐藤係長が署長と面会していた。

強行班係では署員が佐藤係長の捜査方針決定報告を待っている。如月は今すぐにでも逮捕に向かいたい感じで息巻いている。そこへ佐藤係長が戻ってくる。

顔色がさえない。だめだったのかもしれない。佐藤が話す。

「今、課長と一緒に署長たち幹部と相談してきた」如月は飛び掛からんばかりだ。

「やはり、証拠不足だ。もう少し裏付けを取ってからとなった。最重要人物として今井をマークする」

 如月が意気消沈している。そのまま椅子にへたり込む。二宮がそんな如月を団扇で仰ぐ。どうどう・・・


 その後も強行班係の張り込みは続いていた。多摩連合も警察の動きに気が付いているのか、このところ派手な活動は影を潜めているようだ。両者の我慢比べが続く。

 そして今晩の張り込み担当は如月と黒瀬という若手コンビとなった。パソコンにカメラを使って動画撮影をしながら、窓から二人で交互に多摩連合の動きを観察していた。本日の如月は真っ黄色のジャージに身を包んでいる。黒瀬はスーツだ。そして如月は自分が担当していない時にはストレッチなどをして体を鍛えていた。

そんな如月に黒瀬が質問する。

「如月さん、そのジャージ、どこで手に入れられたんですか?」聞いてはいけないのかとでもいいたげに恐る恐るの質問である。

「これ?ブルースリーの最後の映画で死亡遊戯って言うのがあるんだ。このジャージがそれによく似てるんだ。肩に黒い線も入ってるだろ、しまむらで見つけたときは速攻買ったよ」黒瀬は少し感心したような顔をする。いや、あきれているのかもしれない。

 夜はまだ長い。現在は10時ぐらいだ。

「今井が千尋さんを呼び出した。和人さんが生きていると言って。つまり和人は生きていたということでしょうかね」

「どうかな。前にも言ったけど、それなら、和人さんが千尋さんのところに戻ってこなかった理由は何だろう」

「そこが謎ですね。もしかすると和人さんとしては、その時点の生活に満足していなかったんじゃないですかね」

「そんなことあるかな。だってあれだけの高級住宅に住んでいて、一流企業の高給取りで美人の奥さんがいて、何に不満があるっていうのかな」

 そんな如月に向かって、黒瀬が神妙な顔で言う。

「如月さん、人間の幸せってお金じゃないですよね」

「え、お金が相当なウエイトを占めてると思うよ。私は子供の頃から貧乏で苦労したから」

「そうですか」そう言いながら、黒瀬は前から如月に聞きたかった話をしてみる。

「たしか如月さんはお母さんを亡くされたんですよね」

「うん、中学1年の時だった」

「不幸な事件だったと聞きました」

 如月の顔色が変わる。

「そんなんじゃない。殺されたんだ。けんかに巻き込まれて殴られて死んだ」

「そうですか・・・」

「そうだよ。親子二人で細々と暮らしてたんだ。シングルマザーってやつ、パートだけじゃ暮らしていけないからって、夜もスナックでバイトをしてた。ほんと貧乏って最悪だよ。

 それでその夜、客同士がけんかしだして、母親は止めに入っただけなんだ。それなのに殴られて倒れてそのままだよ。

その夜のことは絶対忘れられない。警察から電話が入って署の霊安室に行った。ステンレスのテーブルの上にかあちゃんが寝てた。ほんとに寝てるようだったよ。でも起き上がらないんだよ。いくら呼んでも何しても冷たくなったまま。人間は簡単に死んでしまうんだ」

 如月は思い出しただけでも苦しくなる。黒瀬が話す。

「それで、強くなりたいと思ったんですよね」

「そう、力がすべてだと思った。いじめだって私が強くなったら、誰もいじめなくなったよ。正義が何とか、話し合いだとか言うけど、それは弱い人間の遠吠えみたいなものだ。

弱い立場の人間こそ、力を持つべきなんだ。だって今の世界だって同じだろ、弱い国は簡単に侵略されるし、結局、支配されるしかない。力を持つしかないんだ。大国がなんだかんだ言ってもそれは力を持ってるからだよ」

 黒瀬は何か言いたそうに考えようとはするが、如月にどういえば良いのかがよくわからない。黒瀬が話す。

「単純に今の僕たちの年代だったら、好きなタレントだとか、押しを見つけたり、何かの趣味を見つけたり、そういったたわいのない方向に行きませんか、如月さんは自分を追い込みすぎている気がします」

「そうなのかな。そこまで考えたことはないな」

「如月さんは今、幸せですか?」

「幸せ?難しい質問だな。じゃあ黒瀬は幸せか?」

「うーん、たしかに難しい質問でしたね」自分で聞いておきながら黒瀬が口ごもる。それでも思いついたように話す。

「ああ、でも失礼な言い方かもしれませんが、如月さんと知り合えて楽しいですよ。だから以前よりは少し幸せです」

「それ、ひょっとして告白か?」

 黒瀬が真っ赤になる。

「なんてこと言うんですか、そういうんじゃないですけど、出会いって楽しいじゃないですか。そういう幸福感です」

「ふーん、まあ、わかるよ。信頼できる人と出会えるっていいことだよね」

如月は中田との出会いをそう感じていた。黒瀬にはそういったが、まったく価値観の違うような黒瀬と話をするのも楽しいと思う。黒瀬が言ってるのはそういうことかもしれない。


 夜も更けてきて日付が変わった頃、今日も何事も起きないのかと様子をうかがっていた黒瀬が目を覚ましたように叫ぶ。

「あれ、ちょっと待ってください。もしかするとあれは・・・」

 一体、何に反応したのだろうかと、如月は黒瀬が見ている窓に近寄る。

「如月さん、今、建物に入ろうとしている人物が、もしかすると和人さんじゃないですか?」

 如月が見るがすでに中に入ったのか、入り口付近に人はいなかった。

「和人さんが生きてた?」

黒瀬が急いでパソコンを操作して動画を巻き戻してみる。

 画面に男が映る。その男は走るようにして建物の入り口まで近づいていく。

「この人、和人さんに見えませんか?」

 黒瀬が画面の男を指さす。如月はここで今まで自分が何かに蓋をしていたことに気が付く。そうだったんだ。最初に外協製薬で画像を見たときに気が付いていたはずだった。だが、どこかでそうではないと思い込んでいた。いや、そうであっては困るといった思いかもしれない。

 動画が再生した男はヒコさんだった。

「髪が伸びて白髪になってますし、眼鏡をしてますが、和人さんに似てませんか?」

「あれが和人さん・・・」

「そうですよ。間違いないと思いますよ。ああ、しかし、まずくないですか?多摩連合に入って行ったんですよ。多分、奥さんの件を知ったからでしょう。へたをすると殺されますよ」

 如月の中で何かが沸騰する。

「黒瀬、応援を呼んで!私は助けに行く」

 そう言うと部屋から走って出ていく。

「如月さん、無茶です。僕たち拳銃も所持していませんよ」

 黒瀬が止めるのも聞かずに如月は走っていく。階段を飛ぶように降り、一階に着くと多摩連合がある建物に向かってまっすぐ道路を横切る。

 黒瀬は必死で署に応援要請をする。それが終わると如月を助けに向かう。黒瀬としては如月を助けることなど、とても無理だとは思うが仲間としてはそうせざるを得ない。

 建物の3階にクラブがあり、多摩連合の事務所はさらにその奥にある。如月が階段を駆け上がっていく。如月の思いはヒコさんだけは死んでほしくない、母親と同じように殺されてたまるものか、自分の大事な人は自分の力で守る。その思いだけだった。

 クラブに入る。中は暗いが原色の派手なライトが店内に点滅しており、重低音を伴った音楽が鳴り響いている。如月には騒音としか思えない。

入口付近に黒服の店員が倒れてる。おそらくヒコさんが倒したんだろう、それでも中はそんなことも気が付いていないのか、客はいつもの騒乱状態にある。

 如月は近くにいたもう一人の店員に声をかける。

「男が来ただろう?どこに行った?」

 店員は黄色のジャージを着た変な客に一瞬ひるむが、「お前、誰だよ?」と拒否の姿勢を醸し出す。如月は警察手帳を見せるやいなや店員の首を締め上げるようにする。

「どこに行ったか聞いてるんだ?」

 店員は如月に吊り上げられる。なんという力だ。男は無抵抗になり観念する。「奥に行ったよ。その先だ」そう言うとバーテンダーがいるカウンターテーブルの脇にある扉を指す。

 そしてライトがきらめく店の中を黄色のジャージの如月が走っていく。客の中にはその異様な光景にぎょっとする者もいるが、半分、泥酔状態の頭ではそんなものかなとも思っているものがほとんどのようだ。よって騒ぎにはならない。

 如月が扉を開けて中に入る。バーテンダーが注意しようとするが、お構いなしにどんどん入って行く。

 扉の先は間接照明で薄暗い。さらに何か異様な匂いが充満している。おそらくマリファナか、その類だろう。部屋は広いVIPルームのようだ。20畳もあるかといった広さで周囲には酒瓶が並んでおり、ソファーやローテーブルが設置されていた。

 そしてその奥にうずくまるヒコさんがいた。

「ヒコさん!」如月が叫ぶが、まったく反応がない。

 如月の中で沸騰していたものがさらに増す。その瞬間に何かが目覚めた。

水のように動き、鏡のように静止し、こだまのように感応せよ、声が聞こえた。そうだった。最強を作り出すためには怒りは不要だ。ヒコさんの言葉を反芻する。すると如月を俯瞰でみている如月自身を感じることができた。

 部屋には多摩連合の連中が10人はいるだろうか、全員、屈強な男たちであることがわかる。そして奥に今井健三と連合の幹部連中がいた。中田も格闘技の経験はあることから、簡単にやられるような男ではないはずだ。それがこのように倒されている。そこまで強い人間がいるのか、あるいはなんらかの方法を使われたと考えるべきだろう。

 ブルースリーの戦い方を見ると、複数人との格闘を考慮していることがわかる。ジークンドーにおいても複数人との戦いは重要な要素である。必要なのは力の温存と一撃必殺をおこなうことだ。そのために急所攻撃とカウンターが重要になる。

 手前にいた男たちが如月に不敵に笑いかける。

「お姉ちゃん、何しに来た?」

そして無防備に近寄ってくる。男たちにとってはこの小柄な女性はおおかみたちの餌食になりに来たウサギに見えるのだろう。如月の肩に手をかけた瞬間にその手を払って、顔面にビルジー、いわゆる目つきを食らわす。男が悲鳴を上げる。次に回し蹴りで倒す。男は壁まで吹っ飛んでいく。これでこのジャージ女の実力がはっきりする。周囲の男たちが緊張し身構え、武器を用意していく。

 如月に近づいてくる男たちは金属バットや木刀、メリケンサックを手にはめている。

 金属バットはご丁寧に釘が針のように外周に刺さっており、より攻撃力を増すようになっている。これで殴られればひとたまりもない。

 まずその金属バットを持った男がバットを水平に振り回してくる。如月の頭を狙ったのだろうが、ボクシングのダッキング、手前に上体をかがめてやり過ごしながら、バットを振り切った相手の右ひざに回し蹴りを加える。膝関節がひとたまりもなく破壊される。絶叫と共にのたうち回る。

 木刀の男はさすがにこの女の力量に気付き、じわじわと近寄る。構えから剣道の経験者のようだ。剣道では突きがもっとも危険な技であり、実戦においては効果的である。有段者の突きなど、それだけ避けるのが難しいし、相手に与えるダメージが大きい。

 そして如月に向かって真っすぐ突きを放ってくる。ところが如月はありえない速度で回避する。左手で内側からはたくように木刀を払うと、そのまま二本貫手、指2本で目つぶしをする。もろに男の両目に入る。さらに股の間を急所蹴りする。鈍い破裂音と共に男は悲鳴も出せずに悶絶する。

 格闘技で最も効果のあるものは目つぶしと急所攻撃である。それ故、競技では禁止されている。それと膝は脆い。さらに如月は人間の急所を熟知している。どこを攻撃すれば致命傷となるのかをはっきりと認識しているのだ。これもジークンドーの基本である。

 これでその場にいた人間はこの女が一筋縄ではいかないことを理解する。そしてナイフを取り出してより警戒を深める。最近の半グレの持っているナイフはバタフライなどの柄のついたものではない。軍隊が使うサバイバルナイフで、より殺傷性の高いナイフが主流だ。映画でランボーが使用していたものが有名である。とにかく接近戦での殺傷力は絶大である。

 そこでようやく、扉が開いて黒瀬が入ってくる。

「警察だ。武器を捨てろ」こわごわと叫ぶが、ここにいるやつらは無視している。

 奥にいた多摩連合リーダーの城所竜一が黒瀬に向かって叫ぶ。

「ざけんな!いきなりこいつが攻撃してきたんだろうが、正当防衛だ!」

 城所は大柄でプロレスラーのような体格をしている。さらに全身に刺青がある。

 こんな武器を所持して正当防衛もないものだ。如月が黒瀬に言う。

「黒瀬!現在の時刻確認!こいつら、銃刀法違反で現行犯逮捕する」

 黒瀬が時間を確認する。「0時15分、銃刀法違反確認!」

 如月はジークンドーの構え方、バイジョンスタンスを取る。前足を少し内側に向け相手と自分のつま先を結ぶライン上に後ろ足のかかとを位置させる。半身の姿勢で利き腕から攻撃ができるようにしている。

「ざけんな!」ナイフを持った男が振り回してくる。先ほどの剣道経験者と違い、これは簡単に見切れる。振り回す腕を取り、その力を利用して男を転がす。上から後頭部延髄にかかと蹴りを入れる。男はピクリとも動かなくなる。

 奥の城所が指示する。「一人づつ攻撃するんじゃねえよ。一気に行け!」

 その合図で3人がナイフを持ったまま、徐々に如月を囲む。そして攻撃しようと身構えた瞬間、如月が奇声を上げる。知ってる人は知っているブルースリーがよくやる怪鳥のような奇声である。

 相手がひるんだ隙に真ん中の男にビルジーを食らわす。それだけで後ろに倒れる。我に返った左右の男が同時に突っ込んでくる。如月は瞬時にダッキングしながら後ろに飛び、倒れたままで両足を左右に広げて蹴る。座った状態で両足が大の字になった状態だ。男たちは両足を蹴られたためにそのまま前のめりに倒れる。運が悪いことにナイフがそのまま互いの味方に当たって血しぶきが上がる。悲鳴が轟き、如月が追い打ちの回し蹴りを見舞う。これで二人とも動かなくなる。

 すでに5人が倒され、残りは幹部連中が3名とあとは今井健三だ。今井は戦意喪失で青くなっているので残り3名だ。城所竜一は多摩連合のリーダーとして数々の逸話を持つ喧嘩のプロだ。残りの二人も推して知るべしだろう。

 城所は如月からは5mほど後ろで控えている。幹部2人が如月にじわじわ近づいてくる。如月はジークンドーの構えを続ける。すると右の男がいきなり何かのスプレーを出し、如月に噴射する。催涙スプレーのようだ。

如月は避けたがそれでも相当な量が顔面にかかる。市販の催涙スプレーとは思えない強力な効き目だ。軍用かもしれない。さすがの如月も目が開けられない。さらに顔面が焼けているのではと思うほどの痛さだ。如月が唸る。後ろにいた黒瀬も心配そうに声を上げる。

「如月さん!大丈夫ですか?」

 今がチャンスとばかりに男たちがナイフを振りかざしてくる。如月は滲んだ眼を無理やり開けて、避けるがナイフが左腕を切り裂く。血が噴き出す。それでもそれで男の位置が把握でき、男の膝へ蹴りを放つ、見事にヒットし、膝が壊れる。さらに回し蹴りでとどめを刺す。もう一人が右側から突っ込んでくる。如月はよく見えない。刺される!と思った瞬間。

「ぐううううう!」誰かが如月と男の間に入ったようだ。黒瀬だった。

「黒瀬!」黒瀬が倒れたのがわかる。これで相手の位置がおおむね理解できて、滲む目で如月は男の頭を両手で掴んで自分の膝で蹴り上げる。顔がつぶれた音がして男はそのまま反対側に吹っ飛んでいく。

 如月の滲んだ眼に、最後に残った城所が離れた位置から拳銃のようなものを出したのが見えた。如月は素早く地面に転がっているナイフを掴んで城所に投げつける。

 しかしナイフが城所に当たる前に発砲音がして如月がもんどり打つ。直後、城所に如月のナイフが刺さって後ろ向きに倒れる。

 多摩連合のVIPルームに動いている人間は、今井健三以外いなくなった。今井がそろそろと逃げ出そうとする。なんとか部屋の扉に着いた瞬間に、扉が開き、警察官が大挙、なだれ込んできた。今井はそのまま座り込む。

 部屋に入った神保は唖然とする。10数人が倒れており、ほとんど動かない。そして黒瀬が血まみれで倒れているのが見える。さらにその先には如月が同じく血まみれで倒れていた。

「いったい、何があったんだ・・・・」

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