腕のなかで眠る

@hnsmmaru

同窓会のお誘い

 蛇口のハンドルを下ろしたオレ、本仮屋(もとかりや)智樹(ともき)は食器を洗い終えてひと息ついた。自分が夕飯を作り、居候と食事をとる。そして一休みをする前に片付けを済ませてしまう。当たり前にもなった一連の行動だが、一日の終わりを感じられるこの流れは決して嫌いではなかった。

 昨年と比べ、水切りかごに並べる食器の枚数が明らかに増えた。同様に夕飯を作る手間と、食事の時間も増えたが、一人で暮らしていた去年までと比較してもとても充実している。

 それは住人が増えたことが関係しているだろう。自分一人だけではなく、食べ盛りの男子高校生がいるのだ。未成年の学生と暮らす責任感は常に抱えているが、手料理を人に食べてもらう機会がなかったオレの中で日に日に調理への意欲が増していった。――居候が美味しいと満足げに頷いていたのは三か月前までだっただろうが、誰かとともに夕飯をとれる喜びは色褪せずにいた。

 充足感に心を満たされ腕を思い切り天井に伸ばすと、不意に後方から視線を感じた。「ん?」とゆっくり振り返ると、スマートフォンを片手に立っている居候の姿がある。

桜田(さくらだ)勇(ゆう)、高校一年生の男子生徒だ。幼い頃は素直でよく喋りかけてくれもしたが、オレが高校に入学した辺りで会う機会が減ってしまったからだろうか。一緒に暮らしていてもなお言葉数が少なく視線を合わせて会話をする回数さえ減少傾向にあった。

 だがこれでもオレ達は恋人同士なのだ。十六歳の勇と、二十八歳のオレとの関係性が周囲に知られてしまったら警察沙汰になりそうだが、勇が高校を卒業するまでの間は隠し通すと互いに決めた上で付き合っている。

 もちろんただ付き合っているから居候をさせているわけではない。実家から通うよりも、オレが住むマンションから高校へ通学した方が距離も近いらしい。そう実の両親を納得させ、昔から家族ぐるみで仲が良かったオレに白羽の矢が立ったようだ。勇がオレに好意を抱いているとは露知らずに。

 知っていたら拒否をしていたのか、と言われれば頭を抱えて悩んでしまう。初めて告白を受けた日以降、何度も想いの丈をぶつけてきた勇の気持ちを蔑ろにもできず、それどころかオレが彼に惹かれたのだ。

 あの日、勇が流した涙は、二十八年間他人と交際する縁がなかったオレの心を救い潤わせている。

 しかし当時の熱い想いが嘘のように、会話は少ない。

「お風呂は今沸かしてるから、もう少し待ってな」

「……分かった」

 オレの言葉を受け、静かにリビングに戻っていく勇の後姿を目で追った。ダイニングキッチンの数歩先、リビングの中央に置いてある四人がけで黒色のソファーに座り込んだ彼は、ポケットから使い慣れたブルーのスマートフォンを取り出していた。

会話が減った理由は勇の言葉数が少ないことだけではないだろう。彼は常日頃から食事を終えた後ずっとアプリゲームをプレイしているのだ。今では夕食に手の込んだ料理を作ろうが味の感想はない。今日もそうだ。

「口に合うか?」

「ん、いつも通り」

 ――それだけだった。瞬間的にいつも通りってなんだよ、と声を荒らげたくもなったが、必死に怒りの感情を抑え付けた。

 だがそれも虚しく胃に流し込むように慌ただしく食事を終え、食器を洗い場に運んだ勇は瞬く間にソファーに座り込んだのだ。そしてスマートフォンへと手を伸ばし、軽快な音楽とともに指を激しく動かしはじめていた。今流行りの音楽ゲームなのだろう、詳しくは分からないが時折女の子の励ますような声が聞こえてくる。男子高校生にしては珍しく女の子に興味がないと以前に言っていたが、二次元の女の子は恋愛対象とまではいかずとも関心はあるらしい。

 ろくな恋愛もせずにオレのようなおじさんと共同生活をしているだけでなく、カップルとして生活をしている段階で心配はしていた。青春らしきものは何一つしていないのではないかと。

 二次元の女の子に興味があるからと安心をしていいのかは分からないが、何かに熱中をするのはいいことだ。オレは頷きながら改めて手を洗いリビングへと移動をした。その足で勇の後ろに立ち、画面を覗き込む。

「なぁ、勇? それ面白いのか」

「まぁ、普通」

興味深く声をかけたものの反応は薄い。

 普通ってなんだよ。そうツッコミたくはなったが、返答をしたところで邪魔をするなと言わんばかりに鋭く睨み付けられるだけだろう。反抗期真っ盛りの子供を持つ親の気持ちが最近分かるようになってきた気がする。実の子でもないし、恋人だけど。

 勇とは一回り違い、オレはもう三十路手前のオッサンだ。世間的には結婚をしていてもおかしくはない年齢なのだが、話の流れに押され桜田家族から勇の子守を任せられている。コイツが産まれた時から顔を合わせているし、年の離れた兄弟のように付き合ってはきた。しかし、昔のオレは想像をしていただろうか、十数年後赤ちゃんの頃から知っている男と交際をすることになると。

 だが現状、オレたちは本当に恋人同士なのだろうか。ろくな会話もなく、ただ居候をしているだけの学生と家主。それ以上でもそれ以下でもないのではないだろうか。勇はやはりオレをからかいたいがために告白をしたのか。実は恋人だと思っているのはオレだけで、付き合ってもない、だとか。

 高校生活を送り始めたうちに女子生徒に恋をしている可能性だってある。一回りも違うオレに恋心を抱くなどやはり気の迷いだったのだ。勇の告白に踊らされたオレが悪い。今ならばそう言い笑って、ただのくたびれた近所の兄貴と夢と希望に溢れた男子高校生に戻れることだろう。

 オレが間違っても勇との会話がない現実に悲観し、彼の身も心も得たいと思ってしまう前であれば。

「トモ、立ってないで座ったら? お風呂が沸くまでまだ時間があるんでしょ」

 振り返ることなく、オレに背を向けたまま声をかけてきた勇の言葉に我に返った。「ああ、そうだな」と短く返答をし、促されるままに回り込みソファーに座り込む。

「なあ、勇」

「なに?」

「オレがお前に甘えたら、変、かな?」

「ああ、変だな。体調でも悪いのかって心配してやるよ」

「心配、してくれんだ」

 激しい指の動きの合間に返ってくる言葉。邪魔をしてはいけないだろうと、ただ会話をしているだけだが、普段よりも掛け合う回数は多く年甲斐もなく嬉しくなってしまう。だが勇が心配してくれるなどらしくもなく、より一層素直に心を躍らせてしまう自分も珍しい。

 にやけ顔を晒してしまわないように、ソファーに背中を預けて口元を腕で隠した。まるで初恋の相手の一挙一動に心を揺らしている女子のような反応につい自嘲したくもなるが、それでも湧き上がる喜びを勇にも伝えてしまいたくなった。

 女の子のキャラクターが「パーフェクト♪ おめでとう」と告げたのを境に、勇がスマートフォンをローテーブルに置いた瞬間だった。オレは自分よりも僅かに小さな体を横から抱き締めた。十数年前と比べると圧倒的に体が大きくなっていたが、まだまだ成長期だ。もう数か月もすればオレよりも身長が高くなり、ガタイもよくなってくるだろう。女子生徒たちが放っておきもしないほどの人気者になる可能性も十二分に秘めている。

 そんな彼の恋人が三十路手前の自分でいいのか改めて考えると不安でしかないが、万が一オレに別れを告げて来たら、即座に受け入れてやるのが勇の幸せを願う大人の役目ではないのか。

 恋人に抱き締められてもなお表情の一つも変えずにいる勇の姿そのものが、答えだろう――。

『昔から背中を追いかけてた人と一緒に暮らせるなんて夢のようだけど、それだけじゃない。俺はトモが好きなんだ。今までどんな可愛い女子生徒に告白をされても全員フッてきた。トモが好き過ぎて、他の奴なんか目に入らなかったから』

 勇が引っ越してきた日、荷解きを終えて直ぐの言葉は偽りだった可能性が浮上する。

『な、トモ。俺と付き合ってよ。今はもう、一緒に遊んでた近所のガキなんかじゃない。こうして……自分よりも大きな男を押し倒すことができるぐらい体も成長した。ただトモに対するこの気持ちだけはずっと変わらないんだ』

 ソファーに押し倒したオレに跨り、今にも襲い掛かりそうなほどのぎらついた瞳で見つめる勇を忘れることはできない。

『お願い。俺と付き合ってよ。今は俺のことが好きじゃなくたって構わない。一緒に暮らしてくれるうちに好きになってもらえるように努力するから』

 あの時点では過去に一度だけ他の男から鋭い眼差しで見つめられたことがあった。それがトラウマとなって他人に心を開かず、人を好きになった経験がなかったはずのオレが、心の何処かでコイツは過去の男とは違うと判断をしたのだろう。それまでに交わした唇とは全く異なり愛しさが詰まったような口付けに、その日のオレは身を委ねてしまったのだ。

 そんなこんなでスタートをしたオレと勇との生活だったが想像をしていた時期よりも早く――というよりも、まさか本当に恋をするとは思いもしなかったが――勇に溺れてしまっていた。

『今までお前の気持ちに正直に応えられなくてごめんな。勇からの気持ちは初めて告白をされた時から痛いほど伝わってきてたのに、何も言えなくてさ』

 勇がこの家にやってきてから一か月も経っていないある日のことだった。高校時代のクラスメイトと偶然再会し、体を汚されてしまったオレが気を動転させ、自分だけではなく激しく勇に当たり散らしてしまったのだ。

『けど、もうオレにお前を好きになっていい資格なんてないんだ。男に無理矢理犯されちまったオレなんて……お前に触れることは疎か、触れられることさえ自分じゃ許せない』

 毎日のようにオレに好きだと告げてくれた勇を裏切ってしまった感が否めず、涙が止まらなかった。どんなに愛を囁いてくれたとしても、この身は既に他の男のものになってしまった。その事実が消え去ることはない。ただ怒りと悲しみに震えるオレを救おうとする勇の言葉に、年甲斐もなく涙を流した日の出来事は昨日のことのように覚えている。

 しかしどんなオレでも愛すると、力強く抱き締めてくれた勇に生きる希望を与えられ、生まれて初めて愛を教えてもらったのだ。

『勇、ありがとう。こんなオレでもいいと、愛してくれると言ってくれて。優しいよな、本当に。なあ今からでもお前を好きになっていいか?』

 そう言ったオレを優しく抱き締めてくれた恋人はもういない。溜息を漏らした同居人が呆れ混じりに呟く。

「いきなり何、どうしたの。らしくねーじゃん、トモから抱き締めてくるなんてさ。でも俺、今はこういう、甘えたりとか甘えられたりとかって気分じゃないんだよね。離れてくんね?」

 ゆっくりとオレの方に視線を向けた勇と目が合った。温もりのないその瞳は肩を落としていくオレの姿を捉えている。それ以上の言葉はない。ただ優しさのない瞳に負けた自分が力なく腕を下ろしていくだけだった。

 やはり勇は本気でオレに告白をしたわけではないのだろう。学生の間によくやる罰ゲームか何かだったのだろうか。例えば手近な奴に告白をしてみるだとか、女子生徒だけでは飽き足りず男にまで告白をするような馬鹿げた罰。オレはここ九か月もの間、男子高校生たちに馬鹿にされていたのだろう。

 年齢が一回り上の、童貞で、今まで彼女がいなかったような男。男に告白されて初めは半信半疑だったが年下からのアプローチに押され、少しずつ心を奪われた挙句に、男子高校生に好意を抱いてしまうような変わり者を笑っていたのだ。

だが最近はオレを嘲笑うのにも飽きてきたのだろう。気分じゃないだの適当なことを抜かして、いつかは捨てるのだ。「告白は冗談のつもりだった。おじさんと付き合うわけもないし、男が男を好きになるはずがないだろ、気色悪い」などと捨て台詞を吐いて。

「ごめんな。らしくないっていうかやっぱおかしいよな、こんなのはさ」

 ゆっくりと勇の体から距離を置き、ソファーに座り直した。様子を窺うような彼からの視線を尻目に、頭を抱えてしまう。

ありえもしない妄想だと笑ってくれ。ネガティブな童貞が一人勝手に生み出した不安だと否定をして欲しかった。今までろくに恋愛をしたことのなかったオレがやっと恋愛に乗り気になった相手が男子高校生など許されることではないだろう。それでも、大きくなり出した好意を完全に消去することなどできそうにもなかった。

 勇にもっと触れてみたい。勇ともっと話をしたい。仲を深めたい。「好き」の気持ちが膨れ上がると同時に汚い欲望までもが心を侵食していくようだ。

 自分の年齢を忘れてしまいたいぐらい、オレは勇に心を奪われきっていた。もう少し年齢が近ければ、同い年ぐらいだったら、勇よりも年下だったら。現実にはありえもしないことばかりを思って勇とともに居たいと願ってしまう。

「トモ、本当にどうした? 今日、なんか変だぞ」

「変、か。そうかもなあ」

 ――これでは二十八歳男性の皮を被った、恋に生き、恋に絶望をする女子高生だ、オレは。もういっそのことフッてくれたらいいのに。完膚なきまでオレの心を突き放して離れて行ってくれたら楽になれるはずなのだから。

 頭を抱え続けたオレに、何かに気付いたらしい勇が声をかけてきた。

「おーい、変なトモ、スマホ鳴ってるぞ」

 わざとらしく「変な」を強調した勇の言葉にオレは視線を上げた。食事時から置きっぱなしだったスマートフォンが何度も振動をしている。静かに手に取り画面を点灯させると、思わぬ誘いの連絡が入っていた。

 使い慣れたメッセージアプリを起動すると、友人「青山(あおやま)浩一(こういち)」からの連絡が何度か届いていた。確認をすると『今週末高校時代の奴らと集まって同窓会をしようぜ』との内容だった。わいわいと楽し気にはしゃぐ動物のスタンプも添えられている。そして新たにバースデーケーキを持った犬のスタンプが送られてきた。

 指定された週末の日付を再確認すると、その日はオレの誕生日だった。残念なことにその日は特に予定もなく空いている。だが一応確認をしておきたかった。

 相手は男子高校生だが、恋人としてまだ想ってくれているのであれば期待をしてもいいだろうか。ただその日に一緒に居てくれるだけでいい。他には何も望みはしないから。

オレは僅かな期待を込めて口を開いた。

「勇、浩一って覚えてるよな」

「あー最近は会ってないけど覚えてるよ。それがなに?」

「そいつからさ、同窓会に誘われたから行ってくるな。今週末の十八日だ。夕飯は作れないだろうから一人で済ませといてくれよ」

 わざわざ日付も伝えたのは意識をして欲しかったからだ。二十八にもなると自分の誕生日など特に関心がなくなるかと思っていたが、そんなことはないらしい。一年に一度の大切な日だ。大切な人と過ごしたい。

 最初から同窓会を断れば済む話でもあるが、それでは駄目なのだ。もう一度勇の本心を知り、多幸感を得たいがためにわざとらしく伝えた。

 昔のオレが、今のオレを見たら嘲笑うだろう。年下の男を前に心を揺さぶり、いい年になってもまるで純情な女の子のように不安と戦い、勇に恋をしている。

「行って来たらいいじゃん。俺は適当に食べとくから心配すんなよ」

「そ、分かった……行ってくるな」

 素直になれない女の子であればここで一度や二度怒りをぶつけるだろう。本当は止めて欲しかった、折角の誕生日なのだから祝ってもらいたかった、誕生日を意識してくれないなんて最低。怒りに身を任せて喧嘩にも発展していたかもしれない。しかしオレは年上の男だ。怒りを超越した先には寂しさが広がっていた。

 ただ希望が出されたままに一緒に暮らし、昔馴染みの年下男に告白をされて九か月。幼少期の頃とは比べ物にならないほど魅力的になった男に、いつしか自分も恋をし、年甲斐もなく溺れてしまった。

 その成れの果てが、ただの寂しがり屋の男だ。こんなんで二十八? 笑えないな、本当に。

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