狙われた清少納言の兄~清原致信の厄災~
紗窓ともえ
第1章 清原致信と源頼親
寛仁元年というと西暦にして1017年、今から千年も昔の話である。
時代は平安時代に摂関政治華やかなりし頃。
有名な藤原道長が天皇に奉る文書や天皇が裁可する書類の一切を先に見る権限を任される令外の官「内覧」になったのが長徳元年(995)であり、その道長が太政官の首班・左大:臣になったのが長徳2年(996年)と記した方が時間経過の流れを想像しやすいだろうか。
そう、道長が藤原氏の長者となってから、おおよそ二十年が過ぎた頃である。
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清原邸は六角小路と富小路が交わるところに位置していた。
かつては清原元輔が受領を歴任して一財産設けたはずであったが、その息子の清原致信(きよはらのむねのぶ)も既に老境に差し掛かり、手狭な家に移り住んでいた。
だからと言って現代の日本人の感覚で考えると勘違いしかねない。
現代の建売に見られる庭付き一軒家とは規模が違う。道長が住んでいるような豪壮な寝殿造りから較べればかなり小さいという意味とお考えいただきたい。
建物は母屋と東に曲がって張り出した格好の東対(ひがしのつい)の庇(ひさし=現代風に言えば渡り廊下で繋がった離れ)だけであり、その間に小さめの庭が拡がっている。
庭は木々もまばらで、見通しが良過ぎるくらいなのは貴族の住まいとしては寂しいものである。
手入れはされているらしく、草はきれいに刈り取られスッキリしすぎているきらいがある程。
母屋には清原が暮らして寝る場所であるだけでなく、家人や下働きの者が住み込む部屋も用意されており、細々としたことは通いの下女数人に任せている――そんな暮らしの家であった。
現代人から見て特筆すべきは、東対の庇には出家した清少納言がひっそりと暮らしていることであろうか。
そう、清少納言は清原致信の妹である。
その日、3月8日、渡り廊下を通って清原致信は妹のところへ面会に来ていた。
まだ肌寒い3月のことであるから、障子戸は閉ざされ、室内では火鉢が焚かれている。
清少納言は御簾の向こうで机に紙を拡げ、すぐ脇の火鉢から暖を取っていた。
「おや、珍しいですね。そんな二藍の狩衣(かりぎぬ=平安時代の貴族の普段着)姿でお話しに来るなんて。良い人でも出来たのですか」
「からかうのは止しなさい。私はお前よりも年上なのだ。
この年で、そんな甲斐性があるわけもないだろう」
「あら、兄上の仕える大和守(やまとのかみ、平井保昌のこと)はほんの数年前に新しく妻(和泉式部のこと)を娶ったのではありませんか」
国守(くにのかみ)とは、その国の国府の長官という意味である。
大和守といえば大和国(現代の奈良県に当たる)の最高責任者に当たる。
「それはもう四年も前の話。平井保昌様が大和守に着任なさる頃の話だぞ」
「だって、兄上は大和守よりも四つも五つも年が少ないじゃありませんか。しかも相手は奔放な恋愛で噂になった女官。大和守の年齢でそんな相手が務まるくらいですから、兄上はもっとしっかりしないといけませんね」
清原致信は少し鋭い視線を妹に向ける。
「あら、怒りました?怖い、怖い、モテない男のひがんだ顔ほど、見ていて気持ちの良くないものはありませんね。
それじゃあ改めて話を聞こうじゃありませんの。なにも妹にいじられたくてやって来たのではないでしょうから」
「当たり前だ。
今朝方、その大和守様から早馬で連絡があった。淡路守が私の命を狙っている、と」
「あら大変。あの『殺しの名人』ですわね」
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清少納言が「殺しの名人」と呼んだのは、淡路守(あわじのかみ)こと源頼親(みなもとのよりちか)という武将のことである。
この源頼親は既に亡くなっていた源満仲(みなもとのみつなか)の息子の一人として知られ、それ以上に「殺しの名人」として当時の都では名が通っていた。
だが彼にしても現代人にとっては、酒呑童子退治で有名な源頼光の弟と紹介した方が誰だか想起しやすいであろう。
兄の源頼光とその家臣である四天王は化け物退治の伝説や舞台の演目でいまなお有名だし、弟の源頼信もまた河内源氏の祖として歴史に名をとどめる。
八幡太郎で名高いあの源義家の祖父に当たり、子孫には鎌倉幕府を開く源頼朝がいる。そんな有名な兄と弟に挟まれ、後世になって忘れられつつあるのが源頼親である。
「ならば今日、清原は在宅なのだな」と、その頼親が部下に念を押したのが、同じ寛仁元年3月8日のことであった。
部下が頷くと頼親はもう一つの気がかりを尋ねる。
「藤原保昌が客人として訪ねて来たりはするまいな」
藤原保昌とは、先ほど清少納言と清原致信の間で話題になった大和守の本名である。
酒呑童子退治では源頼光と四天王の向こうを張って活躍した豪傑である。
そんな保昌も既に齢六十を迎えており、「殺しの名人」源頼親が気にする程の相手ではないはずであったが、そう簡単には片付けられない事情がある。
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藤原保昌こと平井保昌と源満仲が摂津に有する所領は境界が接しており、かつては両家の関係性は緊張を孕んだものであった。
保昌の父・藤原致忠と源満仲の間では武力抗争にまで発展したこともあり、遂には保昌の姉を満仲が娶ることで争いは鎮静化したのだ。
言わば政略結婚である。その保昌の姉が産んだのが源頼親と頼信の兄弟である。
源満仲が領地の所在地から多田満仲と呼ばれることがあるように、藤原保昌はその領地から平井保昌とも呼ばれていた。
むしろ平井保昌の方が通り良いくらいであった。
平井の屋敷で姉と暮らす保昌は、頼親にとっては幼い頃から一緒に暮らした馴染みの顔。
間柄としては叔父と甥。
そんな相手と襲撃の場で出くわしたら面倒だ。
平井保昌と言えば「袴垂れ」との月夜の邂逅がよく知られる。
誰もいない夜道で「袴垂れ」という盗賊に付け狙われるも、悠然と笛を吹く様に賊の方が畏れ入り、許しを請うたところで逆に衣服を与えられたという逸話である。
他には和泉式部の心を射止めるために内裏に咲く梅の木を手折り、衛兵からは矢を射かけられるも辛くも逃げおおせた「花盗人」も巷間に挙げられる話題であろうか。
こちらは祇園祭の保昌山にその名をとどめている。
袴垂れの逸話での保昌は丸腰であったと伝わっており、肝が据わっていることは間違いない。
ところが実際には源頼光以上の豪傑として、数々の化け物退治の逸話で活躍するような人物であったらしい。
世の権力の趨勢が貴族から武士へと変遷していく過程で、物語の中の保昌の影は薄くなっていき、反対に頼光の冒険譚へと移り変わっていったようなのである。
年を取ったとは言え、そんな豪傑が清原と同席していれば、部下達の切っ先も鈍ろうというものである。
それに加えて清少納言の存在もある。清原というのは元来が保昌の家人であるだけではない。
かつての帝(一条天皇)の寵愛篤い中宮・定子の女官にその人ありと知られた清少納言こそが清原致信の妹・諾子(なぎこ)なのだ。
しかも、当時としては爆発的に読まれ、現代に於いても古典として読まれ続ける「枕草子」を著したせいで、未だにその名は知れ渡っている。
これからやろうという事をし損じようものならば、どれだけ後々の禍根になるかは予断を許さない。
だからこそ、この襲撃は一回で済ませてしまわなければならない――源頼親はそう決意していた。
年の離れた兄・美濃守(源頼光のこと)の勧めで、世に言う「頼光・四天王」を手勢に加えている。
当初は心強いとありがたく感じたものだが、こうして供に行動するとなるとこれが厄介の種でしかない。
まだ昼日中の都の往来であるから、手勢を引き連れていても騒ぎにならぬように整然と進まなければならないのだが、連中と来たら蹄の音も高らかに往来を行き来し、その得物をぶん回して気勢を上げるのだ。隠密行動どころの話ではない。
美濃の守が一体どういう了見で四天王を助勢に加えたのか、その気が知れない。
腹立ち紛れに頼親は呟く「頼光め、耄碌したか」と。
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弟に「耄碌したか」とまで罵られた源頼光であるが、この名高い英傑も既に齢七十を迎えていた。
前年に美濃守に就任していたが、七月末の京都大火で被災した摂政(藤原道長)の見舞いに上洛すると、そのまま都に居座り続けていたのだ。
その前の日、三月七日に美濃守(頼光)は四天王の筆頭である渡辺綱を呼び寄せた。
「明日、弟が清原邸を襲撃すると伝えてきた。お前達に加勢させる約束をしたぞ」
頼光の言葉に渡辺綱は驚いた。
と言うのも源頼光はもちろんのこと、渡辺綱を始めとする四天王の面々だって平井保昌とは顔なじみであり、その腹心の清原は浅からぬ縁のある者である。
渡辺綱は主君の心情を読み取ろうとその顔を覗き込むが、ついぞその真意を読み取れたことがない。
それは本当に何も考えていないからかも知れなかったが。
それでも渡辺綱は自分が任せられたからには、やるべき事は一つしかないと信じていた。
問題はたくさんある。
頼光が言葉にして命令したのではない以上、どこまでを明確な主命として仲間に伝えるべきなのか。
碓井貞光(うすいのさだみつ)と卜部季武(うらべのすえたけ)ならそれでも通じるだろう。
問題なのは坂田金時(さかたのきんとき)である。
腕前に関して言えば、金太郎こと坂田金時に何ら不都合はない。
鉞(まさかり)を担いでの実力は折り紙付き、並みの手腕で太刀打ちできるものではない。
その上、怪力無双ぶりは力自慢の荒太郎こと碓井貞光にさえ勝る金太郎なのである。
味方に付けてこれほど心強い男はいないだろう。
ただ、腹芸や忖度とは無縁な男で、命令されたことを命令された通りに実行する――或る意味では真っ正直な、別な意味だと馬鹿な――融通の利かない暴れん坊なのだ。
「あいつは残して出かけようか」と腹の中では考えていたのだが、頼光からは「四天王から一人も欠けることなく弟に協力せよ」と言い含められてしまった。
それよりも、そんな風に念を押されたおかげで渡辺綱は頼光の真意を更に計りかねる。
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前日の迷いを呑み込んで頼親の指揮する軍勢に付き従ってみれば、坂田金時はいつもの通りの傍若無人な振る舞いだ。
頼親が目立たぬようにと少数の騎馬と十人程度の歩兵といった編成に抑えているというのに、坂田金時は隊列に従わずにあちこちと馬を乗り回すわ、碓井貞光と馬を並べたままで鉞と長刀で何合も打ち合わせるわ、正気を失った無頼の徒のようで、隠密行動もへったくれもない。
傍から見ても頼親が腹を立てているのが分かる程であった。
「後で美濃守から大目玉だな」と渡辺綱も苦虫を噛み潰す。
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