隣人少女を餌付けした

@shiromizakana0117

第1話

 東京、とあるオンボロアパートにて。

「よっと」

 大学二年の春。始業を迎えて、はや三週間。

 大学から帰宅した俺は、少し早めの夕食を準備をしていた。とはいってもカップ麺の湯を沸かしているだけなんだがな。


 六畳間の一室と簡易的な台所、そしてトイレと風呂。最低限生活ができるアパート、恵比寿荘で俺は一人暮らしをしている。


「────すいませーん」 

 沸騰したお湯を容器に注いでいたところ、呼び鈴が鳴った。

「ん?…………」

 今日宅配が来る予定もなかったはずだし、友人が来る予定もなかったはず。

 あれか。この時間なら押し売りか。最近多いんだよな。

 無視だ。無視。

 湯を注ぎこんだカップ麺の蓋を閉じる。

 面倒くさがり屋な俺にとって全くありがたいものである。

 というか金がないだけなんですけどね。まあ最低限野菜を食えば、あとはレトルト食品ですましていいんですよ。

「さて」

 麺をすすること自体も至高であるが、それを待つこの三分間も至高である。


「────すいませーん」

 そんな至高な時間を邪魔するこの呼び鈴は、そう。

「めんどくさ」

 邪魔以外のなにものでもなかった。

 ちょうど三分が経とうとしていたときだった。

「…………あれぇ、おかしいなぁ? さっき帰ってきたはずなんだけど」

 どうやら女のセールスマンらしい。

 あまりに薄いおかげで、外の音を簡単に拾ってしまうぼろアパの壁さん。おかげで折女の喘ぎ声が聞こえてきやがる。

「────すいませ~ん」

 麺が伸びるのはたいそう残念。

「はぁ……」

 しかし、セールスマンさんはどうやら相当自信作をお持ちのようだ。こうなったら仕方がない。もちろん買う気はないが、一応玄関まで出向くことにした。これ以上居座られると近所迷惑だからな。

 さっさと追い払おう。

 ドアノブを回す。そして、ドアを開けるのと同時に一言。

「あー、うち、結構なんで」

 どこで習ったんだよってくらい使う定型文。

「あっ、やっと出できた」

 声の主に視線を向ける。

「ん……?」

 違った。セールスマンじゃない。セールスウーマンでもない。

 普通の、女の子だった。

 まあ、普通というよりは多少顔が整い、乳がでかかった。

 

「広末さーん、ご飯ちょーだい」


 飯をくれ。それが名前の知らない彼女の第一声だった。

「ん……? どちらさん?」

「え、ええーっ⁉ 分かんないんのぉ⁉」

 彼女は大げさに驚いて見せた。

「……いきなり大声出すなよ」

 近所迷惑だろ。

「朝比奈芽衣ですよ……。ほら、隣に住んでる」

 そういって彼女は右横の部屋の扉を指した。

「隣……?」

「そです。ほらほら、表札」

 朝比奈と名乗る少女に手招かれ、隣の部屋に。表札を見るとそこにはなるほど『朝比奈』の文字が確かに刻まれていた。

「えっと……、一年前引っ越してきたときに挨拶もしたし、大学でお会いした時とかもちゃんと挨拶してますよ?」

「大学?」

「ええっ⁉ おなじ大学じゃないですかー? しかも同じ学部!」

 全く覚えていない。

「ええっと……。ちょっと傷ついちゃったな。てなわけで先輩、ちょっとお邪魔しますね」

「お、おいっ」

 朝比奈は俺の脇をするりと潜り抜け、俺の部屋に転がり込んだ。

「うわわ、散らかってるね」

 芽衣はぐるりと台所を見回した。狭いアパートなので玄関と台所は隣接している。

「……それ、人んち勝手に上がり込んで言う言葉か」

 朝比奈の言う通り、俺の家は物であふれていた。食べ散らかしたコンビニ弁当の容器、積み上げられたカップ麺、読み終えた雑誌、などなどまさに俺の怠惰な大学生活を体現している。

「うわ、エロ本! いまどき書面で買う人なんているんだ」

「ちょっ! 勝手に漁んなよ!」

 ほら、あれだ。読書するとき、電子版じゃ読みにくいってやつがいる。それのエロバージョンである。

 ってそんなことはどうでもいい。

「あっ、カップラーメン!」

 朝比奈が作りかけのカップ麺を見つけた。

 蓋の隙間からこぼれる湯気。湯を注いでから間もなく三分弱。すでに食べごろ。

「広末さん、これもらっていい?」

 いきなり人の家を訪ねて飯をねだるとは。

「いいわけあるかい」

 ふん、確かに以前までのおれだったら、かわい子ちゃんに飯をせがまれたら、そりゃすぐに食わしただろうさ。しかし、今は違う。おれは一人心に決めた相手がいるのさ。そう、完全脈ありのあの子を!

「自分の家の飯食えよ。さぁ、帰ってくれ」

「えー。女の子にカップ麺ひとつもおごれないなんて、広末さん、もてませんよ。永遠にそのエロ本でしごいているだけですよ!」

「し、失礼な!」

 そんなこと言われちゃったらな。席に着き、カップ麺の蓋を開ける。

「えっ……」

 朝比奈が悲壮な顔を浮かべた。

「ふっ」

 おれは勝利の笑みを浮かべる。

 白い湯煙が顔面を襲った。

 ずずーっと一口。

「あーうめー」 

 朝比奈の顔を見てにやり。

「むーっ!」 

「帰ろうか?」

「いやっ!」

 強く否定。「おなかすいてるの!」と騒ぎ出した。

 机をゴトゴトと揺らし、威嚇するようににらんでくる。

「騒いでもやらんぞ。飯ぐらいその辺で自分で買ってこいよ」

「それじゃ、ダメなの! おなかすいたの!」

 わけが分からん。激しく意味不明である。


 しばらく抵抗した俺だったが、やむなく敗北を認めた。

「はぁ……。分かった。分かった。じゃあ、適当にその辺のやつを食え」

 積み上げられた未開封のカップラーメンの山を指す。

「やったー! ありがと。先輩」

 

 *


「えへへ。カップラーメンもなかなかいけますね」 

 さっきからずっとこの調子だ。もはや朝比奈に遠慮はない。よほど腹が減っていたのかカップ麺を二つも平らげた。

「あっ、でもこんなのばっかり食べてちゃ体壊すよ? 広末さん」

「うっせーよ」

 別に俺だって好きでレトルト食品ばかり食っているわけではない。たまには自炊だってするさ。しかし、男一人暮らしで自炊を続けるのはきついのさ。

 もちろん他人が作った料理なら喜んでいただこう。

「ごちそうさまぁ。久しぶりのご飯だった」

「……ん?」

 久しぶり? 

 一瞬気になる言葉を聞いた気がした。

 しかし、これ以上いられても邪魔である。

「もう用はないな。さぁ、帰った帰った」

 腕を引っ張って玄関まで連れて行く。 

「ちょっ、もうちょっといいじゃん」と何やらブツブツ文句を言う朝比奈。

 ポイっと外にほうり出して、ドアをきつく閉めた。

「ほっ……」

 嵐が過ぎ去った後の平穏な空気。


「なんか疲れたな……」

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