君の心臓を愛してる。
misaki19999
序章
莉緒が真っ白い石膏のように横たわっている。
病室のベッドで、色々なチューブを体中につけられて。
もう長くはないと言われている。
私たちはもう若くない。莉緒とは付き合って50年近く経つ。
ものすごく巨大な砂時計の砂が流れ落ちた。
それをひっくり返して、また元の時間に戻れたなら。
でもそんなことを思っても、その巨大な砂時計を持ち上げる体力も気力もなくなっている。
私は流れ落ちていく残り少ない時の砂を、ただ眺めているだけの男になってしまった。
病室の窓に夕陽が差し、微睡(まどろ)んでいた莉緒が目を覚ました。
その真っ白い顔に陽差しがオレンジ色の絵の具を塗った。
その顔は綺麗だった。
莉緒も私も、もう皺だらけだけれど。
それでも美しいものは美しいと思う。
私はそこに一編の詩を見た気がした。
私は今も莉緒を愛している。
2人の子供たちも巣立ちをしたし、孫という宝物も見せてもらった。良い人生だったと思う。
莉緒が私の隣を歩いてくれたお陰だ。
莉緒がチューブの着いた手で、私に手招きをした。もう耳元でないと莉緒の声は聴こえない。
私は花が咲いた時のような静かな笑顔でベッドに近づき、莉緒の苺のような唇に耳を傾けた。
「あなた、ごめんなさい」
まるで繊細な和紙のページをめくるような、かすかな声が聴こえた。
「どうしたの? 何を謝ってるの?」
「私……嘘をついてたの、あなたに」
嘘。嘘なんて私だっていくらでもついてきた。
優しい嘘は薄紙のように心を包む。そして守ってくれる。私が今までついてきたのは、その種の嘘だ。
「50年前も前のことだけど、私……」
「大丈夫だから、言ってごらん」
「私、あなたを騙していたの。あなたに好かれるために。美笛(みてき)さんのことは覚えてるでしょ」
「うん、覚えてる」
美笛が莉緒に心臓を提供した。私はそう信じていた。
「私はあなたが美笛さんを好きだって気持ちを利用したの。嘘をついたの」
頬が熱い。夕陽の絵の具は私の顔まで塗っているようだ。
莉緒は私にどんな嘘をついたというのだろうか?
遥か遠い昔に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます