第26話・災厄
「……遅いですねえ」
「どっちが?」
「両方、ですかねえ」
遺跡の外で、待機組がもう何度目か分からない会話をかわす。会話なのか確認なのか、それすらもう分からない。ただ、黙っているのに耐えられなくて言葉をこぼしているような状況だ。
クレーターの縁に腰かけ、クロウが入って行った穴をぼーっと見つめていた隊員が、空を仰いで大きな欠伸をする。いくら平和な騎士団とはいえ、任務中である。普段ならば、さすがに見咎められる行為だ。だが幸いなことに、いまこの場にはそれを咎める立場のものがいなかった。
お陰でのびのびと欠伸を堪能し、涙の浮かんだまなじりをこすりながら目を開いた若い騎士は、そのままの形で固まってしまった。後ろに左手をついて、空を仰いだ格好のまま。先ほどの欠伸よりもあんぐりと口を開け、ぱちぱちと瞬きを二回。
「どしたの。顎でも外れたか?」
大欠伸なんかするからだよ、と笑う同僚に、若い騎士はぱくぱくと口を動かしながら、右手で必死に空を指さした。
「……う、上、空……空、が……ッ!」
「……空?」
彼の必死な形相を見、同僚は怪訝な顔をしながら空へと視線を動かす。動かした視界に映った空を見上げ、同僚もまた、口をあんぐりと開けて立ち尽くした。
「……な、んだ、ありゃあ……」
青い空に赤い絵の具を落としたかの如く。
遺跡の真上の空が、ぽたり、ぽたりと血のような赤色に染まり、波紋をえがいてゆっくりと青を侵食していく。
気付いたのはいつで、誰だったか。
空が――赤い。
まだ、夕暮れには程遠い時刻だというのに、青いはずの空は毒々しい赤に染まっていた。ところどころで低い音を唸らせながら、稲光も見える。人びとは初めて見る空に言い知れぬ恐怖を感じ、足早に帰路につくもの、窓や扉を補強しだすもの――そして、城へ向かうものたちが群を成して大通りへ押し寄せる。誰が最初かは最早わからない。一人が足を向けたが最後、皆引き寄せられるように後に後にと続いた。
「なるほど。隕石に憑いていたのは……なるほどねえ」
一国の王の部屋にしては質素とも思える私室の中から不気味な空を見上げ、国王は一人うんうんと頷いた。その顔は、特に緊張もせず普段通りである。
「不完全なままで呼び寄せるということは……。かわいそうにねえ」
しかし、次の台詞には、軽い口調と裏腹に複雑な感情がこめられていた。哀愁と、ほんの少しの嫌悪感、だろうか。
「それにしても、彼らはなにも変わっていないなあ。その、傲慢さが嫌いだったっていうのに」
――墓穴を掘ったってことにも、気がついていないんだろうけど。
呟いて、国王はゆるりと自室の扉を見やる。
ほどなく、扉の外からばたばたと大慌てで走ってくる足音が聞こえ、彼はノックされる前に扉を開いた。目いっぱい急ブレーキをかけて扉の前で止まろうと頑張っていたクリストフは、突き当たるはずだった目標がなくなり、つんのめるように部屋に転がり込む。
「ああ、大丈夫? 開けないほうが良かったかな」
「いいえ。お気遣い、感謝いたします」
言いながら、クリストフはきちんと居住まいを正す。
「で、急用? まあ十中八九、あの空の件だよねえ」
「はい、十中全部、空の件です。不安で国民が、城に集まってきています。今のところ、騎士たちが説得、警護をしておりますが、これ以上増え続けると抑えられなくなる可能性がございます」
「まあ、君も落ち着いて。うん、わしが話そう。あの空については大体の見当がついてるから、心配しなくても大丈夫じゃないかな」
「……え? 見当? あ、待ってください陛下!」
国王から飛び出た言葉に戸惑うクリストフを尻目に、王はさっさと部屋を後にした。
バルコニーに出て、王は集まった人々を見回すとまるで緊張感のない様子で手を振った。たとえ挨拶だとしても、いまはセレモニーじゃないのだ。ほんの少しでも、行動に重みというものを伴ってほしい、と騎士団長は影に馴染みながら頭を抱えたいのをぐっとこらえる。
「えーと皆さん。ちょっと空の色が変なことになってるけど、この件はもう聖女が解決に動いてるから大丈夫。これ以上はなにも起きない。すぐに、元に戻るよ」
まったく、とクリストフは小さく嘆息した。いつもどおり国王を守るべく、背景の一部と化して突っ立っていたのだが、こんなときでさえ緩いままのほほんと話す王にある意味感心したのだ。
しかも、国民もみな、そんな国王の一言で勇気づけられて歓声があがっているのだから――本当に、困る。
少しぐらいは、威厳というものを持ってほしいものだ、と思いながらもこのままでいいと納得している自分もいるのだから――本当に、どうしようもない。
「なにか言いたそうだね、クリストフ」
「いえ、なにも」
「と言っても、じゅうぶん顔に表れちゃってるよ。なにが不服?」
ゆるゆると言われ、クリストフはしばしの逡巡ののち、慎重に言葉を返した。
「では、一つだけ言わせて頂きます。国王さまは、少し聖女さまを過信しておられないかと――」
みなまで言わせず、国王はうんうんと頷く。十中八九、否、これは百パーセントの確率で自分の言いたいことを分かっていたのだと、クリストフは悟る。
ならば、もう自分が話す必要はない。
「そう、聖女さま。うちの聖女さまは最強だからね。癒しだけじゃない――本物の証を持った、正真正銘の聖女さまだ。彼女がこの程度の災厄に、負けるはずがないよ」
そう言って。
国王は、柔らかな笑みを浮かべた。
――君たち如きでは。
役不足だよ、三賢神。
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